最近やたらと海馬くんから声をかけられる。それは学校のみならず邂逅した街中や、コンビニの帰り道、はたまたバイト先にまで。後半に至っては頻度が尋常じゃないのでもしやGPS付けられてるとさえ勘繰ってしまうが、問題はそこ以上に彼の変わらぬ主張にある。彼の言動に腐心していると、渦中の人物が悠然とやってきた。そして私を見るや否や聞き飽きたフレーズを口にする。
「今日こそ貴様の欲しい物を言ってもらうぞ!」
鼓膜が破裂する声量に耳がキーンとする。昼休みの教室内は騒々しいから注目する生徒は少ないけど、私からしてみたらいい加減折れてほしい。気にしないのは多分いつもの光景に慣れたからなんだろう。目を背けるなら助け舟を出してくれ。憮然の態度で見下ろす彼にそっと溜息を吐いた。
「もお〜、無いってば。いい加減執拗いよ海馬くん」
「貴様が俺の要求に即座に応えればいいだけだろう」
「無いものは仕方ないじゃん!」
「朴念仁が手間をかけさせおって」
「誰も頼んでないよ!」
「こうなれば俺の方で決めさせてもらうぞ。童実野町にある高級レストランを貸切にしてビュッフェスタイルにさせる。それでどうだ」
「要らないって。なんで高級レストラン? なんでビュッフェ?」
「面倒な」
「君が勝手にやってることでしょうよ」
あまりの話の通じなさと粘り強さにこちらが疲れる。どのタイミングで出くわすか解らないから最近は眠りまで浅くなり、ついには夢の中にまで彼の怒号にも似た声が聞こえてくるはめになった。悪夢だ、最悪だ。何が彼をそうさせてるかは知らないが、顔を合わせる度に同じことを言う私の身にもなってほしい。なんてったって私なんかに固執するのか解らないし、なんで欲しい物を尋ねてくるかも解らない。いつもの彼を見るに、人にプレゼントするような柄とは思えないし、もしや貸しを作る気かと疑ったが私に貸しを作る理由も解らない。解らないこそ頭がこんがらがって、果てに疲れるのだ。
「じゃあ何もくれなくていいから教えてよ、私に毎度そんなこと聞いてくる理由」
私と海馬くんはクラスメイトってだけでそれ以外の共通点はない。家が隣ってわけでも幼馴染ってわけでもなく、なんなら席だって離れてる。私の名前を呼ぶようになったのさえ最近のこと。そんな仲に何故プレゼントしようなんて考えに至ったのか、私はそれが知りたい。自分の机に上半身をだらけながら顔を上げて彼を見る。昼休憩なのに弁当すら食べていない彼は、私を見下しながら険しい表情を作った。なんでそんな顔するんだ、海馬くん。
「不覚にも作ってしまった貴様への借りの返しだ」
「は?」
汚物を見るかのように吐き捨てた理由に、思わず素っ頓狂な低い声が出てしまった。恍ける私に海馬くんは「なんだその顔は」と睨めつけるが、今の私は彼の打ち明けた理由に驚いていた。私っていつ海馬くんに貸しを作ったんだっけ? 海馬くんはそう言うけど、残念ながら私にはその認識が欠片もない。目を瞬かせながら口を噤む私を見て、海馬くんが柳眉を少しづつ吊り上げていく。気づいた頃には般若と瓜二つとなっていた。教室にけたたましい怒号が鳴り響く。
「貴様ァ! まさかあの出来事を忘れたと言うつもりかァ!」
「うるっさ。あの出来事って何?」
「ほんとうに忘れたと言うのか!」
「ごめんだけどそのとおりです」
素直に認めれば、尾を引く舌打ちを返された。どんだけ怒られようが心当たりないものは仕方ないだろう。当たるのは筋違いと思いますよ海馬くん。これ以上何を言っても無駄だと悟ったのか、経緯を教えてくれた。
「二週間前のことだ。その日は午後になって急激に天候が変わり雨天となった。昇降口で雨宿りしていた俺にお前は傘を押し付けたのだ。これで思い出せたか」
「そんだけ!? 傘貸しただけじゃん! 覚えてるわけないわ!」
「それだけとはなんだ! 雨宿りしていた俺に押し付けたとはいえ、貸しは貸しだ。返済しないのは目覚めが悪い」
どんな大事かと思えば思っていた以上にしょうもないことだった。全身から息を吐き出すレベルの肩透かしを食らった。貸しって、ただの傘じゃん。彼に言われて二週間前の出来事が引っ張り出される。言われてみればそんなことがあったな。一日中晴れですと言っていた気象キャスターの読みを真っ向から否定するような土砂降りの雨の中で、私はたまたま二本の傘を持っていた。折り畳みと普通のやつ。昇降口で天気を仰ぐ海馬くんを見つけてどちらか片方貸したっけ。要らないって押し返されたけど、半ば強引に渡したんだよね。返品結構です!という意地も付けて。
「そんなこともあったねぇ。忘れてたや」
「使えない記憶力だな。だがこれで判明しただろう。さあ、さっさと言え。それで借りは返せる」
「うわぁ頑固。要らないって言っても聞いてくるんでしょ、どーせ」
「フン、俺は人に借りを作らない主義なんでな」
「あー、はいはい。立派ですね〜」
何にしようかと思案しながら頬杖突くも案は閃かない。そりゃそうだ。傘を貸したからってそれは見返りを求めての行動じゃない。ただ見かけた時、使うかなって思ったから貸しただけだ。それなのに海馬くんは戦車を持ってきても動かない意地を見せている。彼の要求を満たせば不眠は一切なくなる。いっそのこと適当なことを言ってみようか。
「じゃあさ」
「なんだ」
「今度一緒に遊ぼうよ」
人差し指を立てて胸を張って言えば、海馬くんの訝しむ表情で一刀両断された。
「ふざけているのか」
「ふざけてませーん。前々から気になってたんだよ、世界中で有名な海馬社長を、一般人が連れ回したらどう反応するかなって」
「反吐が出る趣味だな」
「なんとでも言って結構。高校生なのに全然顔見せないし、ちょっとだけ気になってるんだよこれでも」
「海馬コーポレーションの恩恵に預かりたいと、そう言えばいいものを」
「うわぁ捻くれてる〜。そんなんじゃないのに」
言葉で何言っても鵜呑みにしてくれそうにない。けれどこの要求以外はないので撤回する気もない。海馬コーポレーションの社長ではなく、童実野高校に通う海馬瀬人に興味があることは嘘偽りない本音なのに。
「ともかく! 私はこの要求は撤回しないから、今度の土曜日に駅前の公園に集合ね」
「早計な。いや、いいだろう。せいぜい俺を満足させるコースを考えておくんだな」
海馬くんは声高に笑いながら教室を出て行った。午後の授業は受けないのとか、昼食はどうするのとか、それらよりも最初に思ったことは、私が海馬くんをエスコートするんだということだった。でも考えてみれば当然かもしれない。向こうが言ってきたこととはいえ、遊びたいと誘ったのは私だ。だったらエスコート役は私になる。
「えぇ、なんだか私凄いことしちゃったかも」
来たる土曜日に向けて、取り敢えず童実野町にある店を知ろうとスマホにかじりつく私であった。