狭い世界に長く閉じ込められていた反動からか、マリクはいろんなものに興味津々だ。念願のバイクはさることながら他の国の料理や文化、服装から流行っているものまで、彼の好奇心は留まることを知らない。教える私の方が学ばされることも多々ある。今日も「課外学習」の一環としてマリクと喫茶店に訪れていた。
「さっきのショー凄かったね。僕も出てみたいよ」
「終わってもしばらくそこを動かなかったもんね、マリク。そんなにやってみたいならクラス調べるから試しにやってみなよ」
「いいのかい?」
「今更でしょ。遠慮しないで」
「ありがとう。君にはいつも教えてもらうばかりだ」
「お互い様だから気にしないで〜」
注文したジュースは、休むことなく歓声をあげて疲労した喉を冷やしてくれた。前々から観たいと言っていたバイクショーを観終えた私達は、近くにあった小洒落た喫茶店で休憩を摂ることにした。狭いとも広いとも言えない絶妙な規模の店内に、ジャズの音楽が控えめに流れる。充満するウッドの香りは、熱を上げた身体を落ち着かせる役を担っていた。けれどもそれは私だけのようで、向かい側に座るマリクにその様子は見受けられない。むしろ籠に閉じ込められていた鳥が勢いよく羽ばたくように、活発にショーの素晴らしさを語る。
「そういえば君の趣味ってスカイダイビングなんだよね」
「趣味って程でもないよ。たまに行くだけ」
「今度一緒に行かないかい? 空中落下なんてやったことないんだ」
「スカイダイビング経験者の方が少ないよ。でもいいよ、今度行ってみよっか」
頷けば彼は嬉しそうに破顔した。マリクのことは過分には知らない。知り合ったのも、旅行先で訪れていたカフェで偶然知り合ったって感じで、遊んだりするのは気が合うからだ。聞かされた彼の身の上話では、彼が家のルールとして今の歳になるまで地下に住んでいたことと、今はルールのしがらみがなくなって自由に旅をしていることくらい。聞くところによれば家族がふたり居るらしいが、家族はみんな母国に居るようだ。たまに帰国するのでその都度私のことも話しているらしい。どのように伝わっているか気になるし、少し照れくさい。
「名前の家族は居ないのかい?」
「両親は二年前に大往生したよ。恋人も居ないから絶賛独身中」
死ぬまでにひとりくらいは欲しいんだけどね〜、と戯けてみせる。
「名前ならできるよ、絶対。充分魅力的だしね」
「マリクくんは歳上を喜ばせるのが上手だねぇ。そういうマリクは彼女作らないの? 君なら引く手数多に見えるんだけど」
少々子供っぽいところがあるけど、彼くらいの年代ではむしろこれくらいアウトドアの方がモテそうだ。身長も鼻筋も高いし、スタイルいいし何より話し上手。彼が学校に通っていたらクラスは毎日黄色い歓声に包まれること必至だろう。その気がないのか、彼はうーんと言葉を濁して苦笑いを浮かべた。
「今はそれよりも旅したいんだ。今まで見られなかったものを体験したいしそれを姉さんやリシドに教えたい」
「そっかそっか。ま、恋人なんて死なない限りできるしね」
「でも恋人ができたら少しだけ寂しくなるな」
「え、なんで?」
「名前とこうして色んな所に回れないじゃないか」
真面目な顔で言うものだから、茶化すに茶化せない雰囲気になってしまった。最近の歳下はみんなこうも素直なのか、マリクが歳上の私を弄っているだけなのか。けれども率直な気持ちを嬉しくないと思えず、不甲斐なくも「ありがとう」と感謝を述べる。マリクはお得意の爽やかな笑顔で「ほんとのことだからね」なんて追い打ちをかけるようなことを言うもんだから、尚更言葉に詰まる。これを素でやってるのなら大した御仁と言える。やっぱ君モテるよ。
「あ」
「ん?」
「そろそろ映画の上映時間だ。出ないと間に合わなくなるよ」
「ほんとだ。私ポップコーンとコーラ買いたいから早く行かなくちゃ。マリクは何か買う?」
「ポップコーン食べたいからLサイズにしない?」
「ん、おっけー。じゃ行こっか」
各々荷物を持って席を立つ。今日はマリクおすすめのホラー映画を観に行くのだが、本人曰く「予告が面白かったから期待できる」って言っていたから私も朝から楽しみにしている。会計を済ませて喫茶店の軒を潜れば、肌を焼き上げるような強い陽射しが目の奥を突き刺した。くらくらする暑い空の下、その太陽の熱さにも負けない彼の元気に当てられて、喫茶店で冷やしたばかりの身体に熱が点る。マリクはああ言ったけど、私も実のところ彼とこうして遊べなくなるのは寂しいと思ってたりするのだ。