2023/02/12
焼き払った村でせしめた財宝を換金するため、そこからだいぶ離れた場所に位置する街に立ち入った。月が真上に輝く時分。開いてる店はいずれも娼館かそれに関連するものばかり。そこでひとりの娼婦を知った。
その女の出自はとにかくつまらないもので、平凡な家に生まれ育ち、平凡な恋愛を経て平凡な男と結婚し、平凡な理由によって捨てられ、着の身着のままここへ転がり込んだと言う。
あまりの退屈さと、あまりの馬鹿らしさに手を叩いて笑い、その場に居た連中に至っては嘲笑を含めた憐憫を投げかけていた。女は耐えきれず泣き出した。容器に水を注ぐように目を潤ませ、頬にそれを流しながら「笑わないでください」とか細い声で訴えていた。
それからしばらくして街を出たが、以降、その街に用事がある都度その女に会いに行った。あまりに哀れなそいつを笑った俺の指名に、女は感情を落ち着かせないでいたが、女に酒を浴びせ、女の持っているものひとつひとつを丁寧に貶してやると、瞬く間に泣き始めた。それは鈴よりも澄んだ音だった。
「酷い……、あまりに酷い……。なんだってこんなことをなさるのです」
「会った早々泣くのかよ。ここも随分質が堕ちたもんだな?」
「……わたくしめを指名していただき嬉しゅう存じます。旦那様、今宵はよろしく可愛がってくださいまし」
「たっぷり楽しませてもらうさ」
その夜も女は良い声で泣いた。母を貶し、父を貶し、夫を貶し、女のすべてをことごとく否定した。店主に贖ってもらったという櫛を取り上げた時、尋常ではない縋り方をしたので、言及したら他客から貰った物だと白状した。丁寧に仕上げられた櫛は、床に崩れ落ちる女の前で折ってやった。やはり女の泣き声は耳によく馴染む。
期間を空けてその娼館を訪ねた。店主は俺の顔を見るや否や言い寄り、そして奥へ下がっていく。しばらくもしないうちに顔を出して、その肩越しには女の姿も見えた。涙がよく映える顔に変わりはなかった。
その夜もたっぷり女を泣かせた。随分な間を置いたせいで啜り泣き始めると心臓が騒ぎ出したが、徐々に凪いでいき、音が肌に浸透する感覚に耽っていた。今日は髪を詰ってやった。至極大切にしていたようだから、いつか殺した老婆もそんな髪をしていたと言い放った。無力のくせに一端に目を吊り上げて睨める女。俺ほど詰れないのは、女が娼婦であるから。
ふいに手を伸ばした。乱暴されると強ばった女の髪を引き寄せ、自分の懐に入れてやる。泣くことに力を使いすぎた女の身体は容易く傾き、女は見上げながら恐怖に瞳を揺らしていた。涙に濡れた頬は照明を受けて艶を放つ。つ、と眦から垂れた滴が女の唇に乗った。興が乗ったとはこういうのを指すのか、俺は身を以て知る。しゃくり上げる女の唇に吸い付く。当然濡れた感触が伝わってきたが、酒を飲んだばかりの熱を持った舌で舐めてもう一度吸い付けば、皮膚の温度はさらに上がっていた。
「んっ、ふ……」
僅かに空く隙間から艶を帯びた高い声が漏れる。手狭な客室にはよく行き渡った。泣き声を消すほどの嬌声は、女の身体をじりじりと焦がして熱くさせる。萎えた身体は快楽によって息を吹き返す。女はそれを認めたくないと胸を叩いて反抗の意志を示した。存外女の唇は柔らかく、疎ましく感じてもおかしくない温度と言うのにその熱はやけに自分の身体に馴染んだ。布が擦れて焚き染めた香の扇情的な匂いが散る。鼻の奥に染み付いたそれが時間をかけて脳に染みていくのを感じながら、煽られるように重ねた唇に歯を立てた。
「いっ……!」
奔ったであろう痛みに眉を顰めるが、舐めてやれば容易く肩が緩んだ。これほど解りやすい女だったかと初めて知る。抗っていた手はいつしか脱力し、あれほど頬を濡らしていた涙は乾き切っていた。痕すら残さぬほどに。今まで女の泣き声しか知らなかった。しかし、今鼓膜を刺激するのは鼻を啜る音でも悲嘆に暮れる嗚咽でもない。折に触れて跳ねる肩のように弾む嬌声。欲が滲み出した高い声がやけに響いて聞こえた。いつもとは違う鼓動を自覚した。