田中眼蛇夢くんに恋をしている?

 大地の目覚めの刻――。
 蒼白い光が一閃したロビーには、双つ、人の形をした陰影が浮かび上がった。

「貴様、闇の傷跡の消えぬ頃に、此の暗黒領域で束の間の平和を弄んでいるとはな……」
「ふふっ……私は内なる意思の導くままに動いているだけよ。貴男こそ、何処から時間を超越して来たのかしら」

 落ち着き払った態度を装いながら、ソファに座り足を組むと、眼蛇夢くんは呆れたように鼻を鳴らした。

「俺様に隙を見せるとはな! 愚者よ!」
「あら……そんな事を言って。貴男も破綻箇所はあるわ。そう――闇の魔物の数ほど、ね……」
「何をッ……貴様! 邪悪の塊のような物、俺様が容易に信じると思ったか!」
「まだ分からないのね。貴男の――」

 立ち上がってスッと眼蛇夢くんに手を伸ばそうとした所で、ロビーの空気が一変する。
 日向くんが呆れ顔でロビーに入ってきたからだ。

「……日向か」
「おはよう日向くん」
「あ、あぁ……おはよう。お前ら、またやってたのか」
「俺様と符号できる数少ない下僕と戯れていただけだ」
「えー……っていうか日向くんね、またって何? 私は眼蛇夢くんと愛を育んでただけだよ」
「何を言っている!? 調子に乗るな。き、貴様のような雌猫と邪気の調」
「冗談だよ眼蛇夢くん。邪気調和したいならしても……」
「なっ!? 何を嘆いている!! 俺様はもう行くぞ」

 ストールを口元まで引き上げ、学ランの裾を翻しながら早足で階段を登っていく眼蛇夢くんを日向くんと一緒に見守る。
 眼蛇夢くんがロビーから見えなくなると、日向くんが私に向く。

「楽しそうだな、毎朝」
「もちろん、楽しいよ! ああやって厨二ごっこやり合える友達なんて、今までに居なかったから」
「田中はきっと、“ごっこ”とは思ってないぞ」
「うん、知ってるよ。だから面白いんだよ!」

 そう答えた私に、さも理解できないといった様子で肩を竦めた日向くんは、レストランへ続く階段を指差して、「行くか」と私に声をかけた。


「ふうあ! お腹いっぱい!」
「女子が朝からそんなに食って大丈夫なのか?」
「あっ、 なんてこと言うの。食事は朝にたくさん取るほうがいいんだって知らないの?」
「い、いや〜……ンな怒んなって。ほら、これやる」
「わーい!やっ……………あんぁんぁあん!!」

 左右田くんから渡された雑誌を真っ二つに破り捨てようとしてふと思い止まる。この雑誌は後で花村くんのコテージの前に置いておくとしよう。
 流石に左右田くんがわざわざくれたものを捨てるなんて申し訳ないと良心が傷んだ私は、とりあえず片脇に雑誌を抱えて左右田くんを睨んだ。

「怖い顔すんなよ。そんな顔してっと、田中が逃げるかもしれねーぞ」
「眼蛇夢くんは左右田くんみたいに弄れてないからそんなことしません!」
「充分弄れてる気ィすんだけど……」
「そうやって眼蛇夢くんの気を引きたいからって私に話しかけても無駄です!! もう眼蛇夢くんは採取場所に向かっちゃってるからね」
「違ェよ!! 気持ち悪ィ勘違いすんな!!」

 両手をぶんぶんと振って必死に否定する振りをする左右田くんを軽くあしらいつつ、私は採取場所へと向かった。


 私に割り当てられた場所は森。眼蛇夢くんとソニアちゃんも一緒だ。

「さぁ。田中さん、丼田さん、共に頑張りましょう!」

 ソニアちゃんのそんな掛け声に腕を上げて合図を返した私は、森の入り口付近は物が少なさそうだと判断し、森の奥の方へと進んだ。

 私の判断は間違っていなかったようで、そこらに丸太や何の動物かわからないが、地面に半分埋まりかけた骨がごろごろと転がっていた。
 確か日向くんは、骨と丸太と、あればケモノの皮もあったほうがいいと言っていた。これならもう少し探ってみればケモノの皮もそのあたりに落ちていそうだ。


「このくらいでいいかな。っていうかこれ以上は持てないんだけど……」

 持てるだけ素材を持って、森の入口へと向かう。少しだけオレンジがかった空が木々の隙間から見えて、自分がかなり採取に没頭していたんだとわかった。
 入口に近付くと、眼蛇夢くんとソニアちゃんの後ろ姿が見えて、声を掛けようと口を開く。

「おー……」

 はっとして急いで口を閉じる。
 ソニアちゃんと眼蛇夢くんが二人で素材の入っているであろう袋の持ち手を片方ずつ仲良く持っていたのが見えたからだ。背を向けて歩いていたために顔は見えなかったが、雰囲気は決して悪くなかった。
 流石の私でも、二人の仲を邪魔することなんて出来ない。……なんて嘘で、本当は声が出なかっただけ。
 心臓にチクリとした痛みが走って、よろけそうになるのを必死に両足で支えて一つ二つ深呼吸をした。

 眼蛇夢くんとソニアちゃんは、そのまま私に気付かないで行ってくれた。
 しばらく時間を置いて、私もこの重い素材を置くために、同じように重い足を動かして公園へと向かった。



 夜、レストランで夕食を食べ終わったあともまだモヤつきは収まっていなかった。
 いつも以上に口数が少ない私を不審に思ったのか、珍しく罪木ちゃんから話しかけてくれた。
 おどおどはしていたけど、話しかけてくれたのは本当に心配してくれているんだって事だろう。

「うん。ごめんね、えっと……ちょっと悩み事かな」
「悩み事、ですかぁ……? あのあの、もやもやってしているときは、心臓がどきどきする音とか、息遣いとかをゆっくり聞くといいみたいですよぉ……」
「心臓の音と息遣い……」
「は、はいぃ! あ、あの、5分とか10分とか、短くても充分効果はあるんですよぉ。だ、だから……」
「うん。話すだけでも少し楽になるね。ありがとう、罪木ちゃん」

 笑顔を作ると、罪木ちゃんはほっとしたように胸に手を当てて、笑顔を向けてくれた。

 そんな罪木ちゃんにだいぶ癒された私は、まだ厨房に残っていた花村くんに水を貰ってコテージに戻ろうとロビーへと降りる。
 
「よ、よぉ、偶然だな?」
「……左右田くん? 何やってるの、一人で」

 ロビーには、テレビの前でうろうろとしていた左右田くんがいて、私に気付くと白々しく片手を上げた。
 階段を降りて左右田くんの近くに寄ると、左右田くんは私の顔を見て、困惑したような気まずい表情で閉じている口を動かす。
 見たことのない左右田くんの表情を見て当惑に眉をひそめる。

「……あの、よ」
「うん、どうしたの? 朝の雑誌なら花村くんが持ってると思うよ」
「ち、違うって、あんなのオレが持ってても意味ねーから。あー、ンだ、そうじゃなくてだな」
「……うん?」

 左右田くんはしばらく悩んだ様子で頬を掻いたかと思えば、突然私の手首を掴んでロビーを出た。
 ロビーの明かりが届く範囲をとっくに抜けてしまった暗い夜道を歩いていく。プールサイトを抜けて、コテージを抜けて、私の手首を掴んだままの左右田くんが早足で歩いていく。

 最初は左右田くんの歩く速さについていけず躓きそうになっていたものの、やがて気付いた左右田くんが歩幅を縮めてくれたおかげでゆっくりと歩けるようになっていた。
 手首を掴まれたままで、なんとか離せないかと揺らしてみる。左右田くんは掴んでいた手を離したかと思えば、手首を摩ろうと左右田くんから引き離した私の手を握った。

「な、……」
「ちっと暗ェけど大丈夫かよ」
「……うん」

 私の横で、空を仰ぎ見た左右田くんに小さく頷いた。
 頭上には、満点の星空が私たちを見下ろし輝いていた。開放的なのにどこか閉鎖的で、荒唐無稽な夜空。
 逃げ場など無いんだと機械的に告げているような暗黒色。

「オメーよ、なんか悩んでんなら言え」
「どうして?」
「口には出してねーけど、日向とか小泉とかみんな心配っつか、気になってたぞ」
「……ごめん、心配かけて」
「頼れるヤツならいくらでも居んだろ。っつーか、そういう時こそ田中じゃねえ?」

 田中くんの名前が左右田くんから出てきた途端に、つい眉を潜めてしまう。左右田くんはそれを見てか、口を閉ざしてしまう。
 左右田くんは何となく把握出来たのか、空に向けていた視線を落として横に流れていく景色を見つめた。

「ならよ、オレとか」
「え……」
「頼りになるかって言ったら、まァ日向よりは劣るけどよォ……溜め込むよりマシじゃねーか。オレだって、一応オメーのこと気にかかるっつーか……あ、今日だけだぞ、ンなこと言うの」

 歩みを止めて、私に向いて、頭を掻きながら歯を見せて笑う左右田くんに胸と目頭がじわりと熱くなる。

「っ……」
「何があったのか、話せよ」
「わ……私が悪いんだ。勝手に苦しくなってるだけでっ……勝手にもやもやして心配かけるなんて……!」
「ん」
「……眼蛇夢くんとね、ソニアちゃんが仲良さそうに歩いてるの見た……って、ただ、それだけなんだよ……なのに……モヤモヤして、胸が苦しくて、何やっても楽しくなく思えて、」
「…………」
「ソニアちゃんも眼蛇夢くんも大好きなのにっ……なのに、……嫌なんだよ、顔見てると辛くて……つらくって! 私は邪魔なんじゃないかって、思えてきて……」
「……田中のこと好きなのか?」

 じっと私を見つめて問いかける左右田くんの瞳を見つめ返す。
―― 好き?
 左右田くんから目をそらして足元に視線を落とす。
―― 私が、眼蛇夢くんを?
 眼蛇夢くんの笑う顔が脳裏に浮かぶ。その隣には、綺麗に、お淑やかに微笑むソニアさんの顔。

「……っ!」
「好きなんだろ? つーか、自覚無かったのかよ」

 呆れたように目を伏せて苦笑した左右田くんを凝視する。
 自覚をすると途端に胸の痛みは増していく。じくじくと痛む胸を軽く抑えると、瞳に涙が溜まっていくのがわかった。

 左右田くんが半歩私に歩み寄る、私は、溢れそうな涙を見られたくなくて左右田くんの胸に飛び込んだ。
 頭の中でたくさん言い訳を繰り返しながら、感情を必死にコントロールしながら泣き声を押し殺して左右田くんの服にしがみついた。

 何も言わず私の背中を撫でてくれながら、顔が見えないように夜空を見上げる左右田くんの優しさが柔らかくて暖かくて離れがたくなってしまう。
 触れている左右田くんの規則的な鼓動の音が伝わって、言葉では言い表せない安楽的な感覚に満たされていく。
 罪木ちゃんの言っていた心臓の音や息遣いで安心できるという言葉が頭に浮かんだ。



「じゃあ……えっと…………」

 コテージ前で左右田くんと別れる。気恥ずかしくてしどろもどろになっていると、左右田くんは私の頭を軽く撫でた。

「また明日な!」
「う、うんっ……」

 私の髪を撫でて離れていく左右田くんの手を名残惜しく感じた。

「……?」
「あ……」

 離れていく左右田くんの手を咄嗟に掴んでしまっていた私は、言い訳を絞り出そうと、驚いて固まっている左右田くんの顔を見つめながら思考を働かせてみる。

「えぇと……その、あ、……ありがとう」
「おォ! 気にすんな!」

 元気よく笑って手を振ってくれた左右田くんの背中を見送って、私もコテージへと戻った。


 翌朝。朝日の差し込むレストランには、もう既に島にいる半数の人数が揃っていた。
 階段を上がってきた私に駆け寄って挨拶をしてくれた真昼ちゃんに笑顔で挨拶を返すと、真昼ちゃんもにっこり笑ってくれた。

「うん、いい笑顔!」
「真昼ちゃんもかわいいよ!」
「ちょ、……ちょっと! いきなりそういうこと言わないの! でもありがとね、ほら、こっちおいで」
「うん!」

 真昼ちゃんに手を引かれ、席に着く。右隣に真昼ちゃんが座り、その隣には日寄子ちゃん。私の左隣には私の後に来たばかりらしい日向くんが座った。

「おはよう日向くん」
「ああ、おはよう。今日は元気なんだな」
「おかげさまで!」
「田中とは話したのか?」
「……ううん、まだ! た、楽しみは後でね!」
「…… 相変わらずだな」

 一瞬不思議そうな顔をした日向くんは、その顔が嘘だったように呆れたように笑った。


「はうあ! お腹いっぱい! まんぷく!」
「朝から女子がそんなに食って大丈夫かよ」
「今日も言うの!? 左右田くん嫌い!」
「可愛子ぶっても、オレには通用しねーのわかってんだろ」
「うわっ つっまんなー! もういいです」
「あ、オイ!」

 拗ねた振りをして左右田くんに背を向け、そのままレストランから外へ続く階段へ向かおうとすると、咄嗟に手首を掴まれて止められる。

「なに、どうしたの?」
「あー……いや、やっぱいい」
「なにそれ! 気持ち悪いな」
「お、オメーな、折角人が心配してやってんのに」
「心配してくれてたんだ」
「……うっせ! オレはもう行くからな!」

 拗ねたように鼻を鳴らして、私を追い越しレストランを出て行く左右田くんを手を振りながら見送った。
 左右田くんには、これでもかなり感謝している。


 ゆっくりと手を下ろして、私も階段を降りて外へと出る。
 欠伸を噛み殺しながら大きく伸びをすると、横から声を掛けられる。そちらを見てみれば、旧館の玄関前に眼蛇夢くんが腰掛けて私を見上げていた。

「あ……さ、流石覇王様ね。貴男の波動を微塵も感じ取れなかったわ」
「俺様の波動を感じ取れないか、貴様も落魄したものだな。……貴様の腐敗の所以となった幾多の不必要な行動、言動、思考。全てにかの罪深き愚民が関わっているという事、俺様の前で隠そうとしても無駄だと分からないのか」
「…………」
「貴様の邪気は永遠に戻れぬ過ぎし日の貴様と何等変化などしていない」
「っ……」

 眼蛇夢くんは私を見上げたままさらりとそう言いのけた。今日は一言も言葉を交わしていないし、顔も合わせていない。毎日顔を合わせるたびにやっていた厨二ごっこも今日はしていなかった。
 それでも、眼蛇夢くんは私の心境を見透かしていた。

「どうして……」
「……さてな」

 立ち上がった眼蛇夢くんは、私について来いといった様子で視線を向けたかと思えば、さっさと歩いて行ってしまう。
 慌てて眼蛇夢くんの後を付いて行くと、着いたのは眼蛇夢くんのコテージ前。
 扉を開けた眼蛇夢くんは、私を強く引き寄せて無理矢理コテージの中へと押し込んで鍵を閉める。

「な……なに? なんで」

 疑問を口にしようとしても、たくさんあり過ぎて的確な言葉が浮かんでこない。
 後ろ手に鍵をかけたまま私を見下ろしている眼蛇夢くんを見上げたまま狼狽えていた私に、眼蛇夢くんは怒りが混じった表情をした。
 足が竦む。眼蛇夢くんのこんな顔を見るのは初めてだった。

 固まった私は、眼蛇夢くんから突き飛ばす勢いで押され、背後にあったベッドに背中から倒れ込んでいく。
 そんな私に覆いかぶさるように眼蛇夢くんは、私の体の横に片膝をついて、放り出されていた私の手首をシーツに縛り付けるように掴む。

「貴様は破邪の鉄槌を受けるに相当した咎を犯した。それも俺様の茫洋たる可視域でだ」
「……見て、たの……」

 左右田くんに泣き縋ったあの夜を思い出して胸が締め付けられる。
 真上から見下ろしてくる眼蛇夢くんの瞳に泣きそうな顔の自分が写っていた。

「……左右田に見せた貴様の煌く希望は何だ。今の貴様の眸に見えているものは何だ」
「……それ、は」

 苦しい。
 そう思う私と、そう訴えかけているような眼蛇夢くんの視線に段々と惑乱していく。
 森閑としたコテージのベッドで、眼蛇夢くんの視線が突き刺さる。
 一触即発の空気に、ぎりぎりと痛む手首の訴えも口に出すことが出来ず、ただ眼蛇夢くんを見上げる。

 消して触れてはならない張り詰めた糸のような冷えた空気を途切れさせたのは眼蛇夢くんだった。

「貴様は俺様にとって必要不可欠な下僕であり、数少ない特異点だ」
「……眼蛇夢くん」
「貴様は俺様と契約を交わした。俺様の体内に巡る毒は貴様を受け入れている。……だが、貴様という存在は俺様を拒んだ」
「違う……」
「何が違う? 貴様は俺様を忌避しただろう」
「違うよ……」

 触れている手が氷のように冷たい。見下ろしてくる眼蛇夢くんの視線は私を見てはいない。
 眼蛇夢くんの腕の力が弱まっていくのを感じて、眼蛇夢くんとの距離を表しているようだと勝手に虚しくなる。

「……眼蛇夢くんを見てると苦しかった」
「何故だ」
「ソニアちゃんと仲良くしてる眼蛇夢くんを見て、私はふたりの邪魔になってるんだって自覚したからっ……!」
「貴様……」
「……近付きたくなかった! ソニアちゃんと眼蛇夢くんを見てると苦しくなる! もうこんな思いしたくないんだよ!」
「……たまこ」
「そうさせてるのは眼蛇夢くんだよ! なんでっ……名前なんか呼ばないで! 私……」

 顔を覆った私の手の上で、眼蛇夢くんが狼狽えているのが伝わってきた。
 首元に触れたストールの柔らかさに嗚咽を誘われる。途切れ途切れに出る声が耳に響く。
 頬を滑り落ちる涙が耳朶を湿らせる。口の中が空気に触れて乾いていく。
 耳に眼蛇夢くんの左手が触れる。包帯越しに触れられた手の温度は曖昧に伝わってくる。

「……泣くな」
「泣いてない! 泣きたくないよ……!」
「貴様の涙には逡巡を誘う力がある、それを俺様に見せるな」
「うるさいっ……うるさい……」

 流れ続ける涙が眼蛇夢くんの包帯に沁みていく。喉を締め付けられたように息が出来なくなる。

「さわんないで……ソニアちゃんがいるのに私なんかに優しくしないで!」

 半狂乱的に叫んだ私の声は、枯れていてとても綺麗なものじゃない。ソニアちゃんみたいに可愛い声なんて出てこない。
 彼女と私の間にある酷く大きな差があることも、自覚しているのにまだ近くに引き止めているように眼蛇夢くんが居ることも、全てが私を苦しめる。

「丼田、聞け」

 苦しさに喘ぐ私の口を塞いだ眼蛇夢くんは、私の手を目元から引き離して視線を合わせる。
 視界に入ってきた眩しさは、脳を直接叩いたような刺激を与えた。

「俺様は貴様以外の雌猫と契約を交わした覚えは無い」

 嘘。濡れた目で眼蛇夢くんを見上げる。眼蛇夢くんは嘘なんて付いていないと言いたげに私を見下げていた。
 口元にある眼蛇夢くんの手を離す。

「昨日ソニアちゃんと一緒に片っぽずつ荷物もって仲良く歩いてたのに、そんな嘘つかないでよ!」
「重くて持てないと頼まれた。俺様が触れたのは大量の魔物の皮の入った忌まわしき聖骸布だけだ」
「笑い合って近しい距離だったのはどうしてっ……」
「俺様は笑い合ってなどいない。……もし、俺様が光を迸らせたのなら、それは破壊神暗黒四天王にだな……」

 もごもごと口を動かす眼蛇夢くんを見て、私は乾いた溜息を吐き出した。
 心と身体がキリキリと痛む。それと同時に、傷の付いていた箇所が癒えていく感覚が血液と紛れて全身に送られていく。

「……なに、それ」
「俺様は貴様以外の雌猫を特異点として見ることは無い。人類が闇に支配されてからも、世界が魔に支配されようとも」
「全部私の勘違いだったって言うわけ……」

 薬でも打たれたように全身から力が抜けていく。瞼が重くて視界が暗くなっていく。

「は、あ……ごめんなさい」
「俺様の波動を乱したという貴様の罪は重い、貴様の一生を掛けて償っても足りぬ程にな」
「それ……って」
「俺様闇に蝕まれ虚無になるその時まで、俺様の隣で懺悔することの許可をやろう」
「っ……また、私じゃなければ度し難い言葉を」

 無気力に眼蛇夢くんを見上げながら視線を受け止める。
 眼蛇夢くんの右手が頬に触れる。指輪の冷たい感触が妙に気持ち良く感じて目を閉じる。

「……いいな、これは魂の盟約だ。俺様の可視域から離れ彷徨う事は貴様の死を意味する」

 眼蛇夢くんの気配が近付いて、唇に柔らかな感触がした。
 うっすらと開いた瞼の隙間から、眩しい光が差し込んでくる。背にあたるシーツの柔らかさと自分のものではない温度を感じながら、脳から蕩かしていくような布擦れの音に再度目を瞑った。



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