素直になれない田中眼蛇夢とわたし

「ねえ、ねえ」
「なんだ」
「ねえ……ってば」
「なんだと聞いているだろう」

 大好きな人といるのに、不満ばっかり溜まっていくのが嫌だ。

「こっち、向いて欲しい」
「理由を話せ」
「……見たいから」
「ふん。そんなくだらない理由で……」

 大好きな人といるときくらい笑顔でいたいのに。
 ぶすっとして不貞腐れた顔しか出来ない自分がとっても嫌だ。それに、そんな私に気付いてくれない田中くんも嫌。

「わがままなのはわかってるよ……」

 無理を言って田中くんの側に居させてもらっているこの状態だって、すごく嫌。
 恋人なら、もう少し仲が良いものだと思った。恋人になれば、田中くんともっと仲良くなれるんだって思って、勇気を振り絞って告白して、結ばれた、はずなのに。
 田中くんは私のことを見てくれない。触れさせてくれない。会話だって、短いものばっかりでモヤモヤする。

 ずっと田中くんの背中ばっかり見ているのはなんだか悲しくて、二人でいるのに寂しくって、でもどうしようもなくて、泣きたいのに涙も出てこない。
 田中くんの肩に触れて、寄り添って、抱き締められたらどんなに幸せなんだろうって思うと、胸がチクチク痛む。

「やめろ」

 俯いた私に小さく静止の声が掛かる。たった三文字の短い言葉。
 顔を上げてみれば、見えたのは田中くんの背中ではなかった。視線は私に向けられていないものの、私に体を向けてくれている。
 たったそれだけのことなのに、嬉しくて目頭がじわりと暖かくなるのを感じる。
 田中くんのストールから顔を覗かせたハムスターの小さな瞳が私を見つめて、小さく鳴いた。

「田中く、」
「やめろと言っている。貴様は俺様にそのような愚かしい顔を見せつけて、楽しんでいるのか」
「っ……違う、これは」

――田中くんのせいだ。
 喉に引っかかって出てこない言葉に息が詰まる。
 違う、田中くんのせいじゃない。勝手に不安になっている私のせいだ。

「……何が不満だ」
「え……」
「何が不満だ。俺様の側に居ると言ったのは貴様だろう」
「それ、は……」
「聞いてやる、一度だけだ。俺様の気が変わらぬうちに不満を口に出せ」

 私に体を向けて腕を組んで、聞く体制に入ってしまった田中くんの目を見つめる。
 でも、その目は私を見てくれていない。意地でも合わせないつもりなのかもしれない。

「……田中くんとの距離が縮まらないこと、どんなに頑張っても田中くんは私のことを見てくれないんだもん。田中くんはいつも私に背中を向けてばっかりで、近くにいるのに顔も見れない。田中くんは私といるとき、いつも不機嫌そうで話しかけるのも少し、躊躇して……」

 もやもやが心から声になって出て行くのを、田中くんは黙って聞いていた。

「笑顔で居たい……田中くんと笑いあいたいのに、楽しく過ごしたいのに、それができないのが嫌だよ……恋人って関係なのに、これじゃ友達以下だよ。好きだって思ってる自分が馬鹿みたいに思えてきて、不満ばっかり溜まっちゃって、どうしようもない。どうして……どうして私が告白した時に付き合うことにしてくれたのか理解できないよ。私のことが嫌なら最初から断っていればよかったのに……!」

――違うよ、こんなこと言いたいんじゃない。
 涙が止まらなくて、ぐるぐると回る頭と、考えなしに声になる不満を抑えることができない。熱くなった頬に涙がつたっていく感覚が気持ち悪いのに、それすらも拭うことができない。
 ぼやぼやと霞んで歪んだ視界に見える田中くんから少しだけ困ったような雰囲気が感じ取れる。
 田中くんを困らせたかったわけではない、狼狽えさせようと思って泣いているわけじゃない。止めなきゃいけないと思っても、自然とあふれる涙は自分では止めようがない。

「っ……」

 下唇に血が滲むくらい強く歯を立てても、痛いと感じない。握った服越しに爪が食い込んでいても何とも思わない。
 涙が首を滑り落ちて、服を湿らせていく。

「ぅ、うあ……っ」

 固く瞳を閉じると瞳に溜まっていた涙がこぼれた。口元を手のひらで覆っても、嗚咽する声が指の隙間から漏れていく。

「……くっ」

 唐突に手首を掴まれて引っ張られて、足元が覚束無くなる。
 転倒を覚悟していた私の身体は、暖かなものに包まれる。

「たな、っ……」

 背中に回された力強い腕と、頬にあたる柔らかな布。抱き締められているんだって気付くと、心臓が大きく跳ねた。
 田中くんのストールに、私の瞳から溢れた涙や、頬に伝う涙が染み込んでいく。
 汚しちゃうのはいけないのに、熱くなってぼうっとして何も考える事ができない頭では、田中くんから離れることすらできない。
 そんな何も出来ない私を窒息してしまいそうなくらい強く腕で縛ってくる田中くん。顔を上げようとしても上げられない、腕も田中くんの胸と私の体に挟まれて動かすことができない。
 成す術もなく、田中くんに寄り添っているこの状況を混乱する頭で微かに幸せだと思える。
 田中くんに抱き締められるのも、こんなに近付くのも初めてで、爪先からどろどろと熔けてしまいそうだ。

「貴様のような愚民の考える事は、俺様には到底理解出来そうもないな」

 声と共に吐き出された息が、私の髪にかかる。くすぐったくて、心地良い。
 田中くんの胸に潜り込むように、ストールに顔を埋めると、田中くんの大きな手のひらが私の背中を滑る。
 耳元で小さな鳴き声がして、もふもふとした丸い身体が耳朶をくすぐる。

「あ……!」

 腕の力が緩くなった隙にと田中くんから離れるが、腰辺りに腕を回されていて、離れたと言い難い距離しか置くことができない。
 田中くんの胸に両手を置いて、田中くんを見上げるその格好は、まるで童話のお姫様と王子様のようで、羞恥と悦喜が入り混じる。
 恥ずかしくて視線を下げると、ストールと首の隙間から小さな耳がぴくぴくと揺れているのが見えた。つい唇を綻ばせてしまうと、頭上から控えめな咳払いが聞こえてくる。
 視線を田中くんの口元に戻して、それより少しだけ上を見つめる。

 私より少しだけ下を向いて頬を薄く染めている田中くんが、先刻のように揺らいでではなく、今ははっきりと見ることができる。
 見つめ続ければ、やがて田中くんの視線が私の視線とぶつかる。

「た、……田中くん」
「口を慎め。然もなくば貴様の明日は無い」

 田中くんの胸にあった私の腕を包帯の巻かれた腕で引かれてまた距離が縮まる。
 見上げた私と見下ろす田中くんの視線が絡み、ほどこうにもそうは出来ない。
 縮まる距離は終わりを迎えず、遂には田中くんの唇が、私のものと触れ合う程にまで。

 手首を掴んでいた田中くんの手のひらが私の手のひらと重なって、指と指がどちらからともなく絡み合う。
 唇が離れても、頭はぐるぐるとしたままだ。悦に浸る感覚、口元で聞こえる低い笑い声。

「フ、貴様は海水か、」
「あ……」

 口元を舌でなぞった田中くんが目を伏せてそう笑う。ぽやぽやと泡が飛んで弾けるような思考のまま、頬が更に熱くなる。
 瞼が少しだけ重く感じる。これが田中くんの持つ【毒】なのかもしれない。

「……貴様の事は嫌ってなどいない」
「……え……?」
「何だ……感情を言葉に所作して貴様に告げる事を赦されなかっただけだ」

 小さな声で吐き出された田中くんの本音を噛み砕いて理解する。
 田中くんは好きだと言う事が恥ずかしかっただけ。

「俺様の邪眼に他人の邪気を取り入れる事も同様……」

――顔を見せてくれなかったのも、目を合わせてくれなかったのも、ただ恥ずかしかっただけ?
 鼻の頭や頬を真っ赤にしてまで気持ちを伝えようとする田中くんに胸が締め付けられる。

 目頭が熱くなるのを感じながら、田中くんの色違いの瞳を見つめる。

「その……お前の事は……す、……好き、だ」

 田中君の薄い唇が震えている。
 絡み合った視線、ゆっくりとした瞬きに合図するように、再度田中くんとの距離が無くなった。





...月影の蓮水さんとの合同お題コラボ的なもの。
お題は「目を合わせたその一瞬、」でした。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -