狛枝凪斗とヒーロー日向創

「………………」

 昼食後、ロビー。
 私は首筋に当たるふわふわとした感覚にくすぐったいと身を捩ろうとした……が、全く身動きが取れずに、口から溜息に近い吐息が漏れる。
 視界の端に見える高麗納戸のコート、白くて細くて長い指。

「あの…………」
「…………」

「えーっと…………」
「…………」

 段々と温まる背中に、いつからこんな体制なんだっけ、と考えを巡らせる。
 始まったのはレストランで昼食を食べ終えてから。席を立ってコテージに戻ろうとしていた私を引き止めた狛枝くんが私を連れてホテルのロビーにあるソファに座らせて。

「えーっと、それから……」

 何か話があるのだろうかと大人しく座っていた私の隣に座った狛枝くんが、突然『抱っこさせてよ』とか言い出して。

「…………あぁ」

 それからずっとこれだ。
 後ろから抱き抱えるようにして、というか腕を私の体に巻き付けて、逆にもたれかかられるような形で抱き締められている。
 狛枝くんが首元に額を置いて眠っているかなんなのか、まったく動かなくなったせいで、私まで動けずにいる。
 つま先や指先は自由に動かせるものの、その他の部位は全くと言っていいほど不自由だ。

 先程から定期的に声を掛け続けているものの、狛枝くんはうんともすんとも返してくれない。
 そろそろ諦めようとしていたら、首元で小さく唸るような声が聞こえる。

「狛枝くん?」
「……う……ん? …ふあぁ……」
「……おはよう」

 やはり寝ていたらしい。
 顔は見えないが、瞬きを繰り返して目を覚ましているような気配がする。
 しばらくぼーっとした後、私におはようと返す。

「……暖かい」
「ずっとくっついてたもん」
「ごめんね」
「謝るくらいならやらないでよ……!」
「うん。ボクなんかが丼田サンを拘束するなんておこがましいにも程があるよね」
「……とかいって、離れる気配無いくせに」

 今度は反対側の首元に顔を埋めて呼吸をされて、今度は流石に身体がむず痒くて動いてしまう。
 悪くはないけど、そんなにわざとらしく息を吐きかける必要はないと思う。
 くすぐったくて身を捩っても離れない狛枝くんをどうにか離そうと、ソファの背もたれと私の背中の間で押し潰すつもりで後ろへと体重をかける。

「あれ、キミはもうオッケーなの?」
「……は?」

 何を勘違いしたのか、驚きと喜びが4:6の声を出した狛枝くんは、私の手首を掴んで口元へ運ぶと一つキスをした。

「なっ……にやってんの…」
「ん? ……不満?」
「いや、うん。不満だよ……長い間拘束されてて、起きて解放されると思いきやそんなことはなく勘違いされて手の甲にキスされるって……」

 言葉にしてみたせいか、不満要素が増えていく気がする。
 狛枝くんは悪気が無さそうに苦笑して、今度は指先にキスをした。

「……!」
「丼田サンって、こういうの慣れないよね」
「は……こういうの?」
「キス、とか。慣れてない感じかな、初々しいっていうか」
「じゃあ狛枝くんは慣れてるの?」
「丼田サンにするのは、だけど……まぁ、ボクもキミにキスするときはドキドキするよ? 背中から伝わらないかな、ボクの鼓動」
「ちょっと、気持ち悪いこと言わないでっ」

 そんな伝わるとか言われてしまうと、狛枝くんのが私に、ではなく、私のドキドキが狛枝くんに伝わってしまっているのではないかと思ってしまう。
 心臓の高さは大体近い位置だから、伝わったとしてもなんとか自分のものだと思ってくれそうだけど。

「もう、コテージに戻りたい」
「ダメだよ」
「なんで!」
「ボクがキミとこのままこうしていたいからだけど。迷惑かな?」
「迷惑だよ!」

 狛枝くんはうーん、と唸ったかと思えば、さらにきつく私に巻き付いてきた。

「キミが迷惑だって思っても、今日のボクは一味違うよ……だからダメ、離さない」
「ちょっと! 何言って……っ、あ」

 無理矢理立ち上がろうと足に力を込めた途端に当たる首筋の生暖かい感触に力が抜ける。
 耳元でくすくすと笑うような声がして顔が赤くなっていくのが自分でわかった。

「……たまこ」
「…………」

 耳元で熱い息を吐く狛枝くんの口から、私の名前が紡がれる。
 ――甘えたような声を出して、何もかも流されるかと思えば大違いなんだから。
 そう言おうとしても、なんだか身体が痺れるような感覚に蝕まれてしまって、声に出せない。

「っ……」
「そんなに我慢しなくても良いんだけど…………あ」

 遠慮など全く、しようともしない狛枝くんから首元に何度もキスをされて嫌とも言えない。
 必死に、顔が赤いのと鼓動の早さを抑えようと俯いていると、狛枝くんがロビーの外に何かを見つけたようで、短い声を出した。

「え……あっ」

 私もうつむいていた顔を上げて外を見てみると、日向くんがプール付近で左右田くんと一緒に右往左往していた。
 多分、二人ともロビーに何か用があったのか、またはレストランに用があったけど邪魔をするかと思って近付けなかったのか……と言うところだろうか。

 ロビーから私達が見ている事に気が付いた左右田くんと日向くんが、こちらに視線を向けて目がバッチリと合ってしまう。
 左右田くんはパクパクと口を動かした後、顔を真っ赤にして俯いてしまって、日向くんは眉をハの字にして小さく手を振ってくる。
 見られたことがかなり恥ずかしいが、無視するわけにもいかず手を振り返そうとすると、後ろの狛枝くんがばっと私の腕を掴む。

「……狛枝くん」
「何かな?」
「何って…日向くんが困ってるから」
「そうだね。でも今日くらいはいいんじゃないかな」

 狛枝くんはそう言うが、日向くんは普段この島にいる個性的な面々のお陰でかなり苦労している。その中に狛枝くんも含まれているのに。
 自覚がないのかわざとなのか、日向くんをそんな風に扱ってそのまま、また甘い空気に戻そうとする狛枝くんに、どうにか抵抗できないかと、助けを求めるように日向くんの方へと目を向ける。

 口を動かせば狛枝くんが気付いて止められるかもしれない。必死に日向くんにアイコンタクトを送る。
 お願い、届いて。
 必死に送り続けた甲斐あってか、日向くんはやがて肩を竦める動作をして隣の左右田くんとともにロビーへ入ってきた。

「! 日向く」
「あれ? どうして日向クンと左右田クンがここにいるの?」

 狛枝くんから拘束されていたのを忘れていた私は、立ち上がろうとしたところを引かれてそのまま狛枝くんの腕の中へと戻っていく。

「何でってなあ……狛枝、こいつが困ってるぞ」
「そうかな? でも、それは仕方ないよ!」
「な、は……? 仕方ないって、なんで」
「だって、キミがボクじゃない人とらーぶらーぶなんてするから」
「な!? 何言ってるの!」

 抵抗した私の手首を片手でまとめあげられ、本格的に何もできない状態になってしまう。

「わっ、馬鹿! 馬鹿っ、ちょっと何やってるの! 日向くん!」
「えっ? あ、悪い……お、おい狛枝、あんまり酷くしてやるなよ」
「酷く? そんなことしないよ、ボクが丼田サンのこと乱暴に扱うと思ってるの?」
「いや、それ見て思ったから言ったんだろ……」

 日向くんのツッコミは狛枝くんの耳には入っていないようで、狛枝くんは二人が目の前にいるのにも関わらず私にキスをするのをやめてくれない。

「そ、そ、左右田くんも俯いてないで止め、」
「ああもう……今日のキミは少しだけオイタが過ぎるね?」
「なんでっ、なんで狛枝くんが怒ってるの!? 理不尽にも程があるよ!」
「そ、そうだぞ狛枝! オメー彼女には優しくしてやれよ!」
「彼女じゃないよ! 左右田くんのスパナオタク!」
「なんでオレには冷てぇんだよ……っつーかスパナオタクじゃねーよ!」

 こんな状況でもまともにツッコミをする超高校級のツッコミである左右田和一くんをからかってる間にも狛枝くんは止めず私の首を執拗に責めてくる。

「〜〜っ、狛枝くんの涎が垂れてきてるんだよっ! 狛枝くん!」

 もはや首ではなく耳のした辺りから狛枝くんの涎でびっちょびっちょになっているこの状態は、あまり気持ちが良いものではない。
 狛枝くん自身は嫌いではないけど、これは……ちょっと、違う気もする。

「やめ、ちょっと……」
「……狛枝、あんまり長い事いじめてると丼田から嫌われても知らないぞ」
「うーん……ま、それもそうなんだけど……なんだ、日向クンにはお見通しなの」

 溜息を吐きながら日向くんが呟いた言葉に、狛枝くんは心底つまらなさそうな顔をして私の手首の拘束を解く。
 その途端に今だとばかりに駆け出して、左右田くんの背中に抱きつくように隠れる。

「おう!? おい丼田……」
「離れるのはいいんだけど、どうして左右田クンなのかな?」
「どういう意味だよッ!」
「だっていざという時に投げ捨てられる方は左右田くんだから」
「真面目な声音で答えてんじゃねえよッ! ンだよ……オレ嫌われてんのかよ……」
「左右田くんのこと好きだからだよ、愛ゆえにだよ」
「……あのさぁ丼田サン」

 左右田くんを好きだと言った途端に顔色を変えて近付いてくる狛枝くんに若干本気で恐怖を感じて、左右田くんの腰辺りをがっしり掴んで盾にする。
 狛枝くんは背後に回り込むことなくそのまま左右田くん……というか私に近付いてきて、がばっと抱き着いた。私ではなく、私の前にいた左右田くんに。

「ヒィィィィィ!!! オ、ぎにゃあああ!!!」
「狛枝……それは……」

 前から思い出したように叫んで顔面蒼白になっている左右田くんと、横から困惑したような呆れたような日向くんの声が聞こえる。
 狛枝くんが左右田くんに抱きついて、左右田くんが私から抱き着かれての傍から見れば地獄絵図が出来上がっている。傍から見る側の日向くんの顔が若干引きつっているのも仕方がない。

「……丼田」

 左右田くんに抱き着いたまま壊れたパソコンのように動かなくなった狛枝くんを見て、今しかないと思ったのか、日向くんが私に耳打ちをしようと顔を寄せる。

「確認取る必要なんてないか……行くぞ!」

 日向くんに顔を寄せた途端に、腕を掴まれほぼ引っこ抜くような勢いで日向くんが走り出す。
 そのままロビーを抜けてプールサイドへと全速力な日向くんに引きずられるような体制の私。

「左右田くん……」
「左右田はああなる運命だったんだ、振り向くと死ぬぞ!」
「視覚的にってこと?」
「……」

 何も返してくれない日向くんの後ろで荒く呼吸を繰り返して、なんとか持ち直すと日向くんにお礼を言った。

「いいんだよ、お前が無事なら」
「……きゅん」
「は?」
「なんでもない」

 危うく日向くんに傾きかけたハートを逆方向に傾け直して、もう一度お礼を言ってロビーへ振り向いた。
 ロビーの窓に手のひらと鼻の頭をくっつけて仲良くこちらを見ている左右田くんと狛枝くんがいて、私は日向くんと顔を見合わせたあと、笑い死にかけた。



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