優しさというものはなんだったかと考えて、考え始める前よりもわからなくなった。こんなことならそんな疑問を持つべきではなかったと後悔するも遅く、空を眺め、青々とした木々を眺め、自身の手をぼんやりと見つめた。
夏も近づいてきた、と帰ってくる度にスクアーロは言ったが、空調の効いた部屋からあまり、いいや、まったくと出ないために、その言葉の実感はわかず、机の上のコーヒーもほのかに白く湯気を漂わせていた。
「ザンザス、アンタもちったぁ外に出たらどぉだぁ?」
頭が悪そうな口ぶりでスクアーロが言う。隊服の袖口が捲られている。さむい、さむい、この部屋ありえねぇぞぉ、だなんて呟いては露出した腕をさする。なんなら出ていけと言おうか迷って、面倒になってやめる。言っても出ていきやしないことなど解りきっているからだ。
「なあザンザス、飯でも食いにいこうぜぇ、下町でよぉ、美味いパスタがあんだぁ」
にこにこと笑って言う。そんなスクアーロから視線をはずして、コーヒーに手を伸ばす。暖かい。もう夏が近づいてきたとコイツは言うが、俺はコーヒーを飲んでは暖かいだなんて冬のようなことを考える。
スクアーロの手が頬を滑る。べたべたとうっとうしいことこの上ないが、スクアーロの手は暖かだった。不覚にも気持ちがよくて、目を細めると、スクアーロの眉がよる。
「身体冷えてんじゃねぇか、アンタほんと、はぁ、」
その続きの言葉はため息として落とされる。コーヒーを取り上げられ、机の上へと戻された。殴ってやろうかと思ったが、少し考えて、意外と形のいい頭を撫でてやった。殴らずに。そうするとスクアーロは目を白黒とさせる。
「ゔぉ゙、なんだぁ、きもちわりぃ」
「優しさだ」
歯に衣着せずに露骨な言葉を吐くスクアーロに淡々と返してやる。実は違うのかもしれないが、そういうことにしておこうと。
「あ゙?」
「だから、優しさだ」
わからないと雄弁に語る視線を無視してさらに言い重ねる。するとスクアーロはなんとも言えない顔でなんとも言いにくい息をはいた。
「バカかぁ」
「死ぬか」
「あんなぁ、優しさっつーのはよぉ」
スクアーロの手が机の上、湯気の漂わなくなったコーヒーに伸びる。
「さみぃっつってる奴にあったけーコーヒー差し出すもんだろぉ」
違うだろう。思ったけれども言わない。スクアーロがきっともう暖かくないであろうコーヒーに口をつける。
「差し出さなくても勝手に飲んでんじゃねぇか」
「今日はアンタが優しいからなぁ」
ずずっ、と音をたててコーヒーを飲み干すスクアーロを眺める。夏だと言うわりには黒ずくめで、冬と言うには白すぎる男だ。
「うまいか」
「うまいっていやぁ、下町のパスタだぁ」
それも違うだろう。今はそんな話をしてやいないのだから。しかし、言わないでおく。優しさとは結局なにかわからぬままで。スクアーロは下町のパスタについて未だ喋っている。行くなどと返事をした覚えもないのに明後日の昼はそこへ赴くこととなったようだ。
行きたいのかなどとは聞かない。聞く必要がないからだ。思えば、コイツのことはなにもせずとも知っていることばかりだと気がついて、それならもうなにかを知る必要もないのではないかと、漠然と思い付く。優しさなど知る必要などなかったのだろう、きっと。
「なぁ、ザンザス」
スクアーロがなにかを喋っている。別に聞かなくともなんとなく予想はつく。ならば、いいかと。自己完結してコーヒーを、と手を伸ばすと、コーヒーはスクアーロの手にあった。
勿論、殴り飛ばしたのは言うまでもない。
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