朝早くから携帯電話が啼いていた。なんだなんだと携帯電話を開いて啼き声を止めてやると、電話口から透き通った声がした。朝一番に聞きたくないような、そんな声。それは、この声の主である折原臨也という男を知っているから思ってしまうのだろうと、正臣は考える。この男をまったくと知らなければ、朝に相応しい、きれいな声なのだ。臨也は電話口で言った。

「花が枯れた」
「花、ですか」
「そうだよ、花だ」

正臣が聞き返すのに、臨也が言い返す。聞き返したのは要領を得なかったからではなく、ただの確認だった。臨也はそれをわかっていたのか、今すぐ来てね、とだけ告げて通話を切った。電話はよそよそしいくらいに黙りこくって、正臣の手に収まっていた。


臨也の仕事場に足を向ける。なにも持たずに行った。なにも必要ないだろうと思ったからでもあるが、正直な話、なにが必要なのかがわからなかったのもある。携帯電話を置いてきてしまったのは少し後悔を伴いはしたが、けれど、やはりいらないだろう、という結論を正臣は弾き出していた。

思えば、考え出せば。たくさんのことを思い返して、たくさんのどろどろとしたものを、主に想い出だとかそういうものにまとわりつけては蹲っていたのに、そのはずなのに。なぜか楽しかったことや満たされたことしか思い付かなかった。ただ、ひとつ、男の仕事場には行ったことはあれど、私宅に赴いたことが一度もないことだけが、正臣の胸に小さな蟠りをつくった。でも、ただそれだけだ。


臨也は部屋にいた。椅子に座り、やってきたこちらなど見もせずに、パソコンを見つめて、マグカップを傾けていた。

「臨也さん」

声をかけて、ようやっとこちらを見る。それも、今気づきましたという風に。実に白々しい。べつに、そんなのいらないのに、と。思うだけで告げることはないが。

「来たの、思っていたより早かったね」
「すぐに来いって言ったのはどこの誰ですか」
「まあ、俺かな」

淡々と言ってのける男に溜息だけをよこす。正臣も、臨也も御託が減らない。どちらかが区切りをつけなければずっとだ。それも、実は嫌いではなかったのだけど。そんなこと、この男は考えもしなかっただろう。

「で、花、どこですか?」
「花?ああ、花ね」

本題であるはずの『枯れた花』について尋ねると臨也は怪訝な顔になる。それはすぐに思い当ったというような顔になったが、同時に視線をパソコンへと逸らされた。なるほど、男はよほどパソコンが好きらしい。

「花、流しにおいてある」

それだけ言った男はもう用は済んだというようだった。正臣はどこか虚しさを覚えながらも流しへとむかう。流しには、土塊と、球根が汚らしく存在していた。枯れた、と言われていたそれは咲いてすらいなかった。

「それさ、どうしたい?」

もうこちらに関心など残していないだろうと思っていただけに、急に声がかかって、少しだけ肩が跳ねた。

「どうって……」
「咲かなかったんだよね、咲かなかったんだ。球根が枯れていたのだと思う」

それで、どうしたい?男は聞く。勿論視線はパソコンに向けられたままで。答えを持ち合わせない正臣に尋ねる。果たして、なにも答えられないまま僅かばかり時間を過ごした。何も感じられない沈黙だった。

「……捨てましょう」
「捨てても始まらないよ、なにも」
「でも、俺にはそれしかわかりません」
「それじゃあさ、」

声がすぐ近くで聞こえた気がした。それは気のせいではなく、事実だったようで。臨也はすぐ近くまで来ていた。空っぽになったマグカップを指に引っ掛けて、なんでもよさそうにこちらをみていた。

「その花から、終わりというものを始めよう」

その花が俺たちの区切りなのだ、と声高々に言った。

「そうですね」

正臣は了承の言葉を続ける。なんの実りもない関係だった。だから花も咲かなかったのだろう。口付けるのも、身体を重ねるのも偽りとほんの少しの体温を蓄積させては消化するだけの行為だった。それも、嫌いではなかったけれど。

土塊を流して、流しの真ん中に寄せた花にアルコールをかぶせて火を落とす。ごうごうと燃える花は綺麗で暖かな色をしていた。

花が燃えきった頃。自然と顔を向き合わせる。正臣はへらりと笑った。今までで一番きれいな、自然な笑顔だった。それに臨也は軽く目を瞠るが、すぐに優しく笑い返してやった。やはり、今までで一番きれいな笑顔。

唇をそっと合わせる。やはり真実にはほど遠いその行為。きっと、絶対、これが最後となる行為。

正臣はなにも言わずに踵を返す。なにも言うことがないからでもあるが、なにを言ったら良いかがわからなかったのもある。そういえば、と。携帯を家においてきたことを思い出した。あれも燃やしてしまおう。暖かな色で包んでやろう。それでおしまい。それが最後だ。

ここに来る時よりも確かな足取りで歩く。実りのない時間は、けれどたしかにあたたかかった。










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