∴地獄の沙汰もおもいのとおり




男は鉛色の空が広がり溝色の川がせせらぐ白っぽい石がごろごろと転がった足場の悪い地面の上で立ち尽くしていた。べつに呆然としているわけではなくどちらかといえば苛立っているようにさえ見えた。もうどれだけの時間が過ぎたか定かではないがこの場所へ来たときからずっと男ーー古橋康次郎は一歩たりとも動かず、無表情に虚空を睨んで立ち続けていた。

ーーー三途の川辺で。

前述した通り、古橋はなにも自分の死を受け入れることができずに呆然としているわけではなかった。ここが三途の川だとしっかり理解もしていた。もっと言えば三途の川辺で幼い子供達に石を詰ませることに勤しんでいた鬼が一向に動かない古橋を訝しがって声をかけてきたりもした。仕事だと連絡を受けて小汚ない木でできた船をつけてきた水先案内人にも声をかけられた。それで死んだことを理解してないというほうが無理だ。だからといって古橋が動くことはなかった。鬼に話しかけられたときも、水先案内人に話しかけられたときも古橋は眉ひとつ動かさず、しかしながらどことなく苛立ちを隠しきれない雰囲気で「人を待っているだけだ、貴様らには関係ない」とすっぱり返した。

これに困惑したのは鬼と水先案内人だった。死んだばかりの人間というのは現世に未練があってなかなか川を渡ろうとしなかったり、パニックに陥って鬼や水先案内人が近寄ると泣きわめいたりすることはあるが、迷惑だと言わんばかりの声で関係ないなどと言いだすやつは今まで一人もいなかった。

「いや、でもここに居てもらっても邪魔なんだよ、ほら、ガキも気が散って石がなかなか積みあがらねぇし、積まれなきゃこっちも崩せねぇし」
「君が渡ってくれなきゃオレが上司から怒られるから」

狼狽えながらも、とりあえずは、と鬼も水先案内人も古橋を宥めにかかった。本来ならばちょっと脅したり、小突いたり、脅したりすればなんとかなりそうなものだが、なにせ彼の能面ヅラはどことなく不気味なものであったし、それ以上に脅したり小突いたりが効きそうな雰囲気がまるでなかったからだ。

「お前たちの仕事など知るか。二度も言わせるな。オレは人を待っている」

古橋の言葉に鬼と水先案内人は深いため息をはいた。たしかに脅しや暴力が通じる相手ではないことはたしかだ。だからといって説得が通じる雰囲気も古橋にはまったくといっていいほど感じられなかった。それどころか、次に同じことを言わせたならば遠慮なく殴らせてもらうという宣告まで受けた。仕方がないので鬼はアプローチを変えることにした。

「人を待ってるっていうけど、どんな人?恋人とか?」
「いいや、違う」

古橋が案外と素直に答えてくれたことに鬼はちょっとだけ驚いた。もしや恋人と向こう岸にいきたい、もしくは、一緒に天国になんて約束をしたのではないかと思ったのだが、どうやら外れたらしい。ならばと次は水先案内人が控えめに挙手をしながら質問をだす。

「なんで人を待ってるわけ?」
「言ってやりたいことがあってな」
「どんなこと?」

思わず鬼が繋げるが、さすがにそこまでは教えてくれなかった。というか古橋の眉間にシワがより、纏うオーラが重たくなった気がして鬼と水先案内人はそれ以上突っ込むことができなかった。

結局、古橋の待ち人と、言ってやりたい台詞がわかったのはもう暫く経ってからのことだった。







ギャアギャアと騒ぎながら二人の男がやってくると、今まで一向に、梃子でも動かなかった古橋がピクリと肩を震わせたあと騒ぎの方へと足を踏み出した。古橋、三途の川辺での記念すべき第一歩だった。

鬼と水先案内人がさすがに興味を惹かれて古橋へと視線を投げる。古橋が騒ぎの方へ早足で歩を進めるなか、ギャアギャアと騒ぐ声もまたこちらへと近づいていた。

「あっれー?古橋じゃん、おひさ」
「あ、マジだ。お前だいぶ前に死んでんのにまだこんなとこいるのかよ。地獄に門前払いでもされたか?」

やってきたのは二人の男だった。紫色の髪をした男と、オレンジの髪をした男。どうやらこの二人が古橋の待ち人だったらしい。古橋は二人の前で腕を組むとトゲのある声で言った。

「あのときパンが焦げたのはオレのせいではなく火葬場の火力ミスだ。オレが焼いていたらちゃんと焼けていた」

鬼と水先案内人はまるでわけがわからなかった。思わず「待て待て」と制止をかけるとやってきたばかりの男二人が今こちらに気づきましたというように振り返る、けれど、その顔はすぐに古橋に戻された。せめてなにかリアクションはないのか、と後に鬼は嘆いたが今はおいておく。

「古橋なにあれ?知り合い?」
「それとも恋人?趣味変わった?」

オレンジと紫が軽快に話す。どうにもこの二人は相手の神経を逆撫でしかしない。どうしようもなく失礼で無礼だ。あんまりにも清々しいので鬼であるのに関心さえした。水先案内人はすこし引いていた。

古橋は二人の問いに憐れみをのせた声で返す。

「知らん」

紛れもなくオレンジと紫は古橋の知り合いだろう。鬼と水先案内人はほんのちょっとだけ泣きたくなった。だって、古橋が一歩たりとも動かなかった永久とも感じられる時間のなか、鬼も水先案内人も時おり彼に話しかけていたのだから。そんな、まったくはじめて見た知らないもの、みたいな扱いはあんまりだった。

「オレとお前の仲なのに!」

思わず鬼が叫んだら、紫がけたけたと笑いながらやっぱり恋人じゃんと言った、瞬間、古橋が鬼にエルボーを食らわせたので鬼は今度こそ本当に泣いた。

次の日、鬼は水先案内人にひっそりと愚痴をこぼした。最近古橋のせいでガキどもがオレを怖がらなくなってきた、と。水先案内人もつられるように愚痴をこぼす。オレ上司からの連絡止めすぎててもしかしたら解雇かもしれないんだよね、と。

鬼はどうしても古橋がきてからこの場所が地獄の様を呈してきたように感じられて仕方がなかった。石を詰ませていたガキが最近三途の川で石投げをするようになった。紫とオレンジの影響だ。今もまた、古橋とオレンジと紫が三途の川で石投げ連続記録を競いあっていた。もしかしたら知らないかもしれないから一応教えてあげたい。三途の川ってやつはそういうことをするためにあるんじゃないんだぞ、と。

オレンジがなかなか石投げが得意なようで丸く平たい石が川の水面をトン、トン、トン、と軽やかに跳ねていった。






古橋の待ち人がきてから幾ばくが経ったが古橋はまだ三途の川を渡っていない。水先案内人はもう自分の船の上で大の字になって寝ている。古橋の知人二人もまた三途の川を渡ることはせずに、川辺でだらだらと過ごしていた。紫は原という名前で、オレンジは山崎という名前らしい。この二人を迎えに来た水先案内人が教えてくれた。最初は二人を迎えにきた水先案内人たちが古橋を迎えにきた水先案内人をせせら笑っていたが、原と山崎がこれまた梃子でも動かないので水先案内人グループの上司へと連絡がいき、古橋の水先案内人が原と山崎まで受け持つことになってしまった。これにはさすがの鬼も同情した。

つい最近ようやく古橋が原と山崎にいったパンがどうのこうのという話の意味を聞いた。

なんでも古橋が死んだ際に棺のなかに献花とともにパン種を入れたらしい。古橋は生前パンを焼くのが得意だったから喜ぶだろうと思っていれたのだそうだ。しかし、いざ火葬してみれば肉を灰にするほどの火力。パンがふっくら焼き上がるどころか灰になってでてきたので、骨を拾いながら、やれ「パン作りが得意なら身をていしてパンを守れ」だの「せっかくこの日のために頑張って捏ねたパン種が無駄になった」だの「楽しみにしていたのにがっかり」だのと言いたい放題だったらしい。

古橋は、今生へと別れを告げるために葬式の様子を見ることができる水瓶でその様子をみてご立腹、どうしても弁解してやらねば気がすまないと川辺で一歩も動かず待ち受けていたらしい。

その弁解が「オレが焼いていたらもっとうまく焼けていた」というものだから鬼も、さらには寝こけていた水先案内人も開いた口が塞がらない。こんな馬鹿みたことない。しかしそれを口にしようものなら古橋に肘を、原に足を、山崎に拳をもらうことは避けられないためグッと我慢して飲み込んだ。

鬼よりも乱暴で手のはやい問題児が、今では三人も川辺に集まってしまっている。これを憂鬱と言わずなんと言えばいいのか、鬼にはさっぱりわからなかった。




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