暴力というのは限りない、と花宮は考える。ただ殴って、蹴って、痛めつけるばかりが暴力ではないし、ただ詰って、貶して、罵倒するばかりが暴力ではない。そんなわかりやすい「暴力」をむしろ花宮は可愛いげのある方だと思っていたし、目に見えて明らかな「暴力」にたいして自衛できないほうがどうかしているとさえ思っていた。だって、降りかかる拳は払い落とせるし、勢いよく持ち上げられた脚は避けることができる。浴びせられる言葉には興味関心を示さなければ響かないし、そっくりそのまま返してやれば言葉の威力は誰にたいしても等しいものだから相手にだって傷がつく。ではそれ以外のものは。

「花宮くん」と廊下で声をかけられて、花宮は舌打ちを飲み込み腹の底に落とし混んだあと、ご丁寧に何びきもの猫をあしらって優等生の顔で振り向いた。花宮を呼び止めたのは化学の授業で担当を受け持つ教師だった。わずかばかり高い声で、ちょっと首をかしげて「はい、なにか」と問えば、教師はべらべらと話し出す。まるで堰を失った下水のようだと花宮は思った。教師の口からだらだらと吐き出される話はくだらない。本当にくだらない。その半分は花宮の成績の良さや、バスケット業界における名声や、優秀さを褒めるものだったけれど、もちろん花宮にはそんなこと興味がない。そもそもバスケット業界に明るくない化学教師は花宮につけられた無冠の五将、悪童という二つ名を蔑称だと捉えておらず、それがひどい決めつけとレッテルであると思ってすらいない。くだらない。馬鹿馬鹿しい。他人の決めつけた、他人の思い込む花宮真のなんと滑稽でみっともないことだろう。まるで下世話でクズな馬鹿の脳内でめちゃくちゃに犯されて弄ばれているようなものだった。それは暴力ではないのだろうか。花宮は考える。暴力に限りなどない。

化学教師の話に適当な相づちをうって、予鈴を理由にその場を切り上げる。次の授業で二限目だ。一日はまだはじまったばかりだったけれど、どうもろくでもない一日になりそうだった。

予感は的中したようで、花宮はそれから何度となく暴力をふるわれた。目に見える殴る蹴る詰る貶めると言ったものではない暴力は、花宮の気分をひどく害した。そのためか部活の練習メニューは類を見ないほど厳しいものになった。もちろん加減は忘れてはいないし、無駄な練習はさせていない。身体を壊すような練習だってさせていない。ただすこしいつもより体力の消耗が激しいだろうな、くらいのものだ。けれど霧崎第一はスポーツ特待の学校ではなく、学力重視の進学校であるし、バスケットボール部は引き抜きもなければ元々が強豪というわけでもない。花宮がすこし異質なだけで普通の頭のいい男子高校生の集まりだ。それがちょっとだけよくなかった。一年の一人が眉根を寄せて花宮を睨み付けた。無冠の五将だかなんだか知らねーけど何様だよ。一年の彼はそう吐き捨てた。そりゃあ天才様は何をいっても許されるんだろうな!やってられるか!と舌を打って、首に下げたタオルを床に叩きつけて体育館を出ていった。花宮は思う。くだらない、本当にくだらない。何様だなんて監督様に決まってる。そう返せばきっと彼は「なら選手なんてやめてしまえ」と言っただろう。だから花宮はなんにも返さない。ただ体育館をあとにする一年を見送ってため息をひとつ吐いただけだ。彼の中の花宮真もまたチープで安っぽくって薄っぺらいものである。花宮自身があわれに思うほどに、彼の想像する花宮真は安上がりだ。花宮が花宮であるためになんにもしてないと信じきっている。そんなものは練習にもろくろく出ずに試合という試合を蹂躙したキセキにでも言ってやればいいのだ。あれこそ、だって、才能の大バーゲンなのだから。花宮は考える。これは暴力ではないのか。

うんざりしながら部活を終えた、帰路。今日はとことんついてない。朗らかに笑って「久しぶりだな」と声をかけてくる男に花宮は遠慮なく舌打ちをくれてやった。鉄心とわざと嫌がる呼び名で呼んでやったにも関わらず、木吉は相変わらずだなあと暢気に返しただけだった。花宮は木吉が嫌いだ。世間的に見ればきっと花宮のほうが暴虐無尽な最低の人間なのだろうけれど、花宮からしたら木吉のほうがよほど理不尽で暴力的だった。この男は暴力なんてものでは片付かないほどの危害を花宮に加える。いつも、いつもだ。花宮は警戒心を露に木吉を睨み付けるけれど、そんなものは木吉にはなんの意味もない。だから朗らかに「今から帰りか」なんて聞いてくるし「時間があるならちょっといったところにストバスコートがあるんだ。バスケしないか」なんて言ってくる。くそったれだ。花宮は「やるわけねぇだろバァカ」と律儀にも返事を返してやったのだけれど、まぁまぁと意味のわからない宥め方をされ、あまつさえヤツは花宮の腕をとりストバスコートへと引きずっていく。

「ざっけんな!やめろ!つーかお前怪我治ってねぇだろ!」
「軽く動かしとかないと、なんにもしない方が駄目になりそうだろ」

たまったもんじゃない!花宮は木吉の手を無理矢理振り剥がした。とても強い力で振り払ったのに、木吉はあっさりと指から力を抜いたから花宮の腕は無意味に宙をからぶった。

「お前なんでまだバスケしてんだよ」
「そりゃあバスケが好きだからだろう。おかしなことを言うな、花宮は」

くそったれだくそったれだくそったれだ。ひどい暴力だ。花宮は頭が真っ白に、目の前が真っ赤になったように感じる。まるで何度も何度もナイフで突き刺されてるかのようだった。目の前が真っ赤なのも血だまりでぶっ倒れてるからに違いなかった。バスケが好きだから。なんて、なんてくだらない。不愉快でしかない。理由があるのに、建前があるのに、どうとだってできる武器があるのに。どうにかなりそうだった。どうにかなってしまいそうだった。こんなにも劣等感を嫉妬心を、羨望を後悔を煽られてはとてもじゃない。悪い薬をちゃんぽんさせられてるようだった。吐き気がする。花宮は考える。暴力に限りなんてない。きっと死ぬまでない。だからこそ花宮は木吉が嫌いだった。羨ましいから大嫌いだった。ああ、もう。この世界はなんて暴力的なんだろう。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -