手嶋はよく食べる。そりゃあ、スプリンターである青八木よりは食べないけれど、あれは青八木が食べ過ぎなだけで、一般に比べると彼女はたくさん食べた。

ロードレースは体力も精神力も使うし、頭も使う。青八木の場合は手嶋が青八木の分も頭を使ってくれていたので、体力と精神力と、ちょっとの記憶力だけを使っていたのだけれど、それにしたって、ロードレースは身体の中にあるものすべてを使って競技する。走り終わったあとのお腹はぺこぺこで、ただ意識的にものを飲み込むようになる。どこぞのゲームであったグルメレースに近い。とにかく、腹が減るのだ。

昼休み、青八木と手嶋が教室でパンをかじっていた。一個、二個ではなく、机の上に乗るだけ一杯の、学生の経済力で買えるような安いパンだ。手嶋はぐるぐると渦巻きのようになった生地の上に白い砂糖がかかったパンにかじりつく。平たいが顔ほどもある大きさのパンは、駅前のスーパーで98円の代物だ。青八木は北海道の絵が描かれているチーズ蒸しパンをかじっていた。パンの上に地図を広げて、指で道をなぞる。

「今日の練習はさあ、前のコースと同じで良いと思うんだけど、ちょっと気になる道があって」

そこを下見に行きたい。と手嶋が言った。青八木は、口のなかでもごもごと噛み砕いていたチーズ蒸しパンをごくんと飲み込む。

「ああ、わかった。今日の練習終わりか?」
「立てないほど疲れてたらわかんねーけど、一応、それでさ、」

もぐ。手嶋が手に持っていたパンをかじる。最後の一口だったようで、パンを持っていた指先をこ擦り合わせてから、適当なパンを、広げた地図の下から引きずり出す。青八木もならってパンを引きずり出した。ぴり、とビニールを破いてパンを取り出す。手嶋はクリームパンで、青八木はピザパンだ。これも、どちらもスーパーで100円もせずに買えるものだ。

手嶋はクリームパンを口のなかに詰め込みながら器用に喋る。この量のパンを平らげるのに、昼休みはちょっと短いのだ。

「気になる道がここなんだけど、」

くるり、パンを持たない方の指先で地図を撫でた時だった。

「あ、手嶋さん。すごい量のパンだねえ」

クラスメイトの女の子が二人を見て笑っていた。正しくは、クラスメイトの女の子の集団が、手嶋の机の上にぶちまけられたパンの山を見て笑っていた。

「どうも」

手嶋はなんと返せば良いかがわからず、無難に答える。彼女たちも手嶋の無難な答えに気を悪くすることはなかった。

「手嶋さんってそんなに食べるのに太らないよね」

集団のうちの一人が言った。手嶋はそれにも、どうも、とだけ返した。

立てないほど疲れることもなく練習を終えた手嶋と青八木は、手嶋が気にかけていた道を走っていた。斜度は高いのに、整備の荒い、悪い道だ。二人は並んで走っていた。

「ケッ、ケッ、ふざけやがって」

手嶋が吐き捨てる。つまらなそうな表情を隠しもしない。青八木はそんな彼女を宥めるように笑ってやりたかったけれど、あいにくと表情が豊かな方ではなかったので、ただ真摯に彼女を見つめるに終わった。

「食べても太らないんじゃなくてその分走ってんだよこっちは。それにこんな硬い身体より、お前らの柔らかそうな身体のがよっぽどいいじゃねーか」

肉がつかないのは身体と顔だけで足は筋肉質で太いし、腕だって逞しいんだぜ、と、手嶋は続けてぶつくさ言う。

「なのに、他よりは筋肉質だろうがロード続けるにはちょっと足りねーの」

青八木は押し黙った。彼女は今でこそ、ロードをするから筋肉質だけれど、ロードをやめたって動くのが好きな彼女だから、きっとやせっぽっちに違いないだろうに、だとか、思っていても、言わない。言えばきっと、そんなことねーよ!とか、お前は知らねーの!なんて怒り口調で噛みつかれるだろうなあ、と勝手に考えるだけに留める。そもそも、青八木は表情がうまく作れないどころか、言葉もうまく繋げるタイプではなかった。

「な、青八木だって、中途半端だとおもうだろ」

なのに、手嶋は問いかける。意地悪な性格なのだ。彼女は。青八木は素直に困った。ぱかん、と口を開いて、でもやはり言葉が紡げず口を閉じた。かわりにふるふる、と頭を左右に振る。

「手嶋は普通の女の子がよかったか?」

ぽつり、言葉が落ちた。彼女を慰めることも励ますことも、肯定することも否定することもできない、なんの意味もない言葉だった。青八木は閉じ込め損ねた言葉に後悔するも、落ちた言葉は手嶋にきちんと届いていた。聞こえないふりもできたのに、意地の悪い彼女は、そんなマネをするはずもなく。

「まさか」

手嶋がいう。やはり未だ吐き捨てるように声を出す彼女の表情は、つまらなさを潜め、挑戦的な笑みを見せた。青八木は「そうか」とだけこたえる。手嶋が「そうだよ」と肯定する。その後すぐに、ワ、と叫びが上がる。手嶋の身体が傾いだ。彼女はすぐに地を蹴って自身の力で建て直す。坂はきつくて、砂利と石ばかりの悪い道だ。

「おしゃべりしてると舌噛むなあ」

手嶋が言うので、青八木は頷いた。頷きながらも、手嶋はどんな身体でも手嶋だよ、それにクラスで一番骨格がきれいだ、なんて、言おうかどうしようか迷う。けれど、やっぱり言わないでおいた。だって道は悪いし、舌を噛むかもしれないし、それに青八木は言葉を作るのが苦手なタイプであったから。



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