二人、春を迎えてからというものの、千景には思うところがあった。静雄にではなく自分自身に。そもそも、静雄を愛することが目的ではなかったために、恋人という関係を持ったと言えども千景にしてはおざなりな付き合いであったので。

千景は女というのは守るべきであり、護るべきであり、尊ぶべきであると考えている。なので、女がしたいと言うことは叶えてやるのが当たり前で、そうでなければ自身が動くのが当たり前であると思っている。大げさに言うのであれば、イエス・キリストやブッダの百の言葉よりも、女の一言の方がよっぽど千景にとっては重きをおくものであった。

しかして、静雄は男である。愛する目的で近寄ったのではなかったことも相成って、それはもうあまりにも誠意の無い付き合いであった。そこらにいるゴロツキよりは幾分と篤実な態度ではあったものの、千景の中では有り得ないことで、有ってはならないことであった。付き合う、というのはオンナにするということ。守り、護り、尊ばなければならないということ。しかし、春を迎える前の千景には、まったく誠意などありはしなかった。なので、春を迎えた今、千景は難しい顔をしては、どうにか過去に戻って以前までの自分を殴りつけてやれないかと思考を巡らせた。無理な話ではあると理解しながらも。

「千景、どうした?」

ことり、と静かに置かれたカップを見やる。ふわりと湯気の立つココアは甘く香り、千景の表情を和らげたものの、また静雄を動かしてしまったと、自分の不甲斐なさに胸中で舌を打った。同じく、中身はココアであろうマグカップを傾けながら静雄は千景の様子を尋ねる。自然な動作で行われたそれは関係を持った頃に発した言葉があってか、はたまた静雄が世話をよく焼く性格なのか、千景にはわからなかった。

けれど、千景はひどく悔いていた。静雄を丸め込んでから、年下という武器を前面に押し出して駄々をこねた。手料理が食べたい、甘やかしてほしい、などとほざき、いろいろな物事を静雄に押しつけた。細かな作業が得意でないことなど知っていたし、家事や料理が苦手であることももちろん知っていた。しかし当時は男のために、また、静雄のためにしてやることなどなに一つとしてなく、してやるものかとすら考えていた。出掛けた先の金も殆ど静雄が持った。これも、千景は静雄に対してはなに一つと浪費するまいという意識のもとでのことだった。

また、静雄がそれらにまったく嫌な顔をしなかったので。手料理などの家事の類は少し渋りはしたけれど、しかし快く請け負ってくれた。そうでなくとも押しつける気でいた千景にとっては大層、楽な話であった。今思うと非常に馬鹿なことであったのだが。

とどのつまり、静雄が今ひどく自然な動作でココアを差しだし、千景の様を気にするのが、千景にとっては非常に心苦しかった。付き合いは最初が肝心とは言ったもので、静雄は千景が手を挟むまもなくキッチンに立ってしまうし、出掛けた先でも千景より先に伝票を持ち去ってしまうのだ。要するに、未だに千景は静雄に何ひとつとしてしてやれてなどなく、また立場もないのであった。

マグカップに手を伸ばし、ココアを一口。美味い。それはもう文句なしに。最初の頃は飲めたものではなかった。ココアなど普段は飲まないと言っていた静雄の作るココアは、なるほど、確かに飲まないのだろうなと思うくらいのものであった。簡単に言えば色が付いた湯。しかし、今、差しだされたココアは甘く、しっかりと味がついている。

練習、したのだろうな、と。料理だって始めはあまり食べれたものではなかったが、今はそこそこ出来るようになっている。四六時中一緒にいたわけではないから、やはり、自分が見ていない間に少し、苦労をしたのだろう。

「静雄、楽しいか?」

脈絡のない問いかけに静雄は眉を顰めた。一口ココアを口に含み、飲み干して、たっぷりと時間をかけて思考をめぐらせた後、口を開く。

「なにが?」

正当な答えであった。まあ、そうだよなあ、と千景は苦笑する。すぐに噛み付かずに時間をかけてから返答するようになったのも、千景が付き合い始めた当初に言ったことで、やはりほんのちょっと、心苦しいものがあった。

「料理とか、苦手だったろ。そういうの任せちまって悪りぃなって。もし嫌なら、別に、俺がやるぜ?」

ずるい言い方をする。自分がなにも悪くないような、気を使っているというような言い方。しかし今更。出した言葉は飲み込めない。過去に戻れないのと同様に。

千景の言葉に静雄は一瞬呆けて、そして笑った。なんだ、そのことか、そう言って千景の頭をくしゃりと撫でた。

「楽しいかって聞かれたらめんどくせぇし、わかんねぇけど。でもお前が嬉しそうにすんなら別にそれで」

だから、気にすんな。そう一言付け足されて、また、くしゃと髪をかき混ぜられる。

「でも、」

子供扱いに不満気な声を上げる。示しも格好もつかないままにあやされている自分がやはり不甲斐なかった。しかし静雄は笑うばかりで。

「さっきのが気にいらねぇなら言い直してやる。お前が楽しいってんなら俺は楽しい。それでいいじゃねぇか」

詰まるところ、静雄は千景よりもずっと大人なのであった。年下の男を甘やかしてやれるくらいには。そうして、やはり千景に立つ瀬などなく、また上手に立てるところもなかった。先の一言に顔を赤らめ、悔しそうに俯いてしまうくらいには。

即ち、あの日、獣を掌に乗せたと思っていたのは思い違いであり、掌に乗せられていたのは千景だったと言う話だ。



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