泣かせてやろうと思った。静雄があまりにも壊すので。壊したもの慈しむを女性が、悲しげな顔をするのをこれ以上見てはいられなかったので。女性が悲しむと、折角迎えた春も冬になる心地が、千景には耐え難いことのように思えて。

声をかけるのは簡単だった。意外にも。世間的に言う甘い関係になるのも、思っていたより容易かった。静雄は大層愛に飢えていたから。そうして千景は女性に愛を与えることになれていた。なにぶん男には不慣れであったけれど、愛情に耐性のない静雄には確かに効果的であったし、それで十分であったのだ。比較的早く、また容易く静雄という獣を掌に乗せることができたのはこれらの要因もあったであろう。

静雄は恐ろしく短気な性格で、しばしば千景の手を焼いたけれど、人の好意には素直でかわいらしいところがあった。千景はそんな静雄の一面を見る度に瞠目し、本来の目的を忘れかけたけれど、その度に、頭を振り、目を瞑り、脳内で目的を反芻するのだった。千景には女性を悲しませる静雄を悲しませるという目的があるだから。

静雄と千景の関係が周囲から見ても板につくようになったのは、千景が意を固めてから一年と少しの年月が経った頃だった。女性たちと見に行っていた雪も桜も静雄と見に行った。それが大層綺麗であったので千景は戸惑ってしまった。

行為に及んだのもその頃。千景は自分でも驚くくらいに慎重で清らかな付き合いをしていた。桜ももう残り香だけを部屋へと運び、樹には緑の新芽を芽吹かせようとしていた。

行為を済ませて、少し馴染ませたら、こっぴどく痛めつけて身を眩ませようと思っていた。失う悲しみや痛みを、そして涙をくれてやろうと思っていた。部屋の片隅で身を屈めて悲しむ静雄を想像し笑ってやりたかったが、頬があまり上がらず、なぜか胸が痛んだだけであった。

最中、静雄はひどく静かであった。付き合ってみてわかったことだが、静雄はなかなかに静かな男であった。反応も、女性に比べたら薄い方であった。しっかりと反応はあるものの、とても些細な仕草であったので、千景はその反応を読みとるのにひと月を要した。読みとれるようになってからは喜ばせるのが楽しくなった、なんてことは見ない振りをしていたのだけれど。

千景は必死に静雄の仕草を観察した。経験など静雄にはあまりにも無意味であった。できるだけ千景と離れがたくするにはどうすればいいかと、静雄のすべてを隈無く観察した。

そこで千景はあることに気づく。上気した頬や、薄く開いた唇、震える睫毛に、堅く閉じられた瞳はなにかを堪えるようであった。シーツを握りしめる掌は白い。

「静雄、」
「ち、かげ……?」

千景は静雄の名を呼んだ。思った以上に声が甘くなったことに驚きつつも表情には出さない。

「手、シーツじゃなくて俺に縋ってくれねぇ?男として、ちょーっと切なくなる」

出来るだけ静雄が頷きやすいようにおどけて言う。しかし静雄は首を振った。嫌だと細い声で言う。嫌だ、いやだ。

あまりにも拒まれて、千景の眉間に皺がよる。拒まれて嬉しいものなど世の中にいようはずはない。しかし静雄の様子はひどく真剣であった。不思議に思い眉間の皺を説く。静かに見据えてやると静雄は不安げな目で見返してくる。

「ん?どした?」


開いて、閉じて、またおずおずと開かれる唇からか細く音が漏れる。

「俺、は、もうなにも壊したくないんだ、失いたくないんだ」

言葉を落としてから、静雄はぽろぽろと泣いた。嫌なのだと泣いた。千景はなにか言ってやろうとして、しかしなにも言えなかった。千景は静雄を泣かせるために、失うことを、壊されることの悲しみを。それこそ手ひどく与えるために近寄ったのに、静雄が泣いた、そのことである大きな間違いに気がついた。気がついてしまったのだ。見ないようにと、蓋をしていた事実に。

「静雄、静雄」

名前を呼んでやる。今度は優しく優しくと意識して。ぴくりと震わせた身に片手を添える。抱き寄せてやる。首を振る頭をもう片手で固定して嫌だと言う唇にキス。

千景は大きな勘違いをしていたのだ。静雄は失う悲しみを、壊す苦しさを、涙が枯れるほどに知っていたのだった。それを知らずに近づいた自分のなんと罪深いことか!

「静雄、俺は静雄が好きだよ、壊されてでも縋って欲しいと思うくらいに」

静雄は泣いた。ぽろぽろぽろぽろ。泣かせてやろうと、確かに思っていたのに、今は涙をどうして止めてやろうかとそればかりであった。

薄く開いた窓からふわりと桜の香りがした。もう終わりを迎えるそれはまたしても千景に一つのことを気づかせたのだ。

春。そう、千景に、そして静雄にも新たな春を迎えたのだ。確かに、しかし芳しい春を。




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