くたりと少し元気の無くなってしまった花を供える。ここに来る前に買ったものだ。紫と薄い赤と白く小さな花で纏められたそれは、弔いの場にはそぐわない。けれどそれは仕方がないと静雄は思う。自身がこの墓石の下に眠る男にわざわざ弔い用の花を誂えるだなんてバカな話だと思っていたし、そんなこと柄ではないと思っているからだ。ただ、茎の部分を強く握りすぎて、いつも供えるときには力なくくたりとしているのだけは、どうにかしたいと、どうにかしようと思っている。残念ながら思っているだけで、実行できた試しはない。

男の、折原臨也の墓は、なにもない山奥にひっそりとつくられた。白くて滑らかな楕円形のフォルムを描く墓石は、あの男には似合わない。墓石に合わせた丸みのある字体すらなんだか似合わなくて、Izaya Orihara と掘られたそのアルファベットは、知らない誰かを示しているように思われた。

木々がさわさわとなく。何故、彼は死んでしまったのだろうか、と、静雄は、ここに来る度に考える。なぜ、彼はこの世を去ったのだろうか。あれほど、自分と喧嘩をしても数日すればなにごともなかったかのようにケロリと自分の前に現れる彼の死を、静雄はいつも連想できないでいた。自分が息の根を止めてやるのだとは思ってはいたけれど、それがどういった形で成されるのかをまったく想像ができないでいた。

彼の死は唐突だった。本当に突然だった。もう二十も半ばを越した頃に、当たり前のように池袋を歩く奴に当たり前のように自販機を投げつける。もちろん、彼に当たるように静雄は投げた。果たして、自販機は彼に当たることはなかった。彼は当たり前のように自身に向かってくる自販機を軽々とよけた。しかし、次の瞬間、彼の身体がふらりと揺れて、倒れた。

それから彼は三日後に、真っ白な部屋で、耳にいやに響く機械音を響かせてこの世を去った。

彼が倒れてから、意識を浮上させたのはたったの一日だった、一日あったかも怪しいくらい、少ない時間だった。

「臨也」
「……なに」
「死ぬのか」
「そうなんじゃない?まあでも、これはシズちゃんが悪いわけじゃないよ」

前から少しわかってたのだと臨也は言った。笑った。泣かないでよ、気持ち悪いから、そう言ってにたにた笑った。実にいやらしい、臨也らしい笑みだった。

「ねえ、シズちゃん。お墓はさ、山奥にたててよ、俺の骨って貴重だからさあ。墓荒らしにあっちゃうかもしれないし?ねぇ?」

死ぬ間際らしいと言うのに、よく喋るやつだ、と思った。けれどそれは思い違いで、次に言葉は続かなかった。ただ、ごめんね、という吐息がこぼされた。静雄はなんだか堪らない気持ちになって、顔を伏せて唇をかんだ。

次の日、折原臨也はこの世からいなくなった。肉体だけ、入れ物だけが残ってしまった。折原臨也という入れ物を燃やして灰にしてやる。空にたなびく灰色の煙がなんだかやけに細く見えた。新羅が墓の手配をしているのを横目に、自分に壊されることのなかった、自分と対等に関わってくれた、自分と正面から相対してくれた存在がいなくなったなと、自分のことを考えた。他の奴らは、面と向かって喧嘩をすることもなければ、触れ合うこともないのだった、と思い当たって、今更ながらに折原臨也という人物の存在を惜しく思った。唯一の存在だった。ふと、思い出して、新羅に墓は山奥にたててやってくれと告げた。新羅は不思議そうにしながらも頷いた。


墓石の前で名前を呼んでみる。臨也、久しぶりに口に出すその音は、静雄に違和感しか与えない。

帰ろう、と静雄は踵を返す。帰って、寝て、明日からまた仕事だ。

ん、と伸びをして、墓石を見る。やっぱり白く滑らかなそのフォルムは臨也という男には不釣り合いだった。

山を下りたところに彼女はいた。滅多に利用されることのない、青い塗料が剥げ落ち、薄汚れたベンチに座っていた。白いワンピースが風に舞う姿は、なにかの映画のワンシーンのように思えた。

彼女がこちらに気付くとぺこりと頭を下げる。静雄も軽く会釈を返す。彼女はどこか見覚えのある顔立ちだった。どこだったか、静雄は思考を巡らせたけれど面倒になってすぐに放棄した。もう会うことはないだろう彼女の顔なぞ、気にかける必要が静雄にはなかった。

彼女の前を通り過ぎようとしたとき、呼び止められた。涼やかな声で。

「すみません、平和島静雄さんでしょうか」

確信的な言い方だった。弟のファンかとも思ったがそんな様子ではなかった。眉を寄せて彼女を見ると、ふふ、と笑う。柔らかな笑み。

「私は、平和島静雄さん、あなたの娘です」

お会いできて良かった。そう彼女は言った。しかし、静雄の耳には届かなかった。娘という一言に思考のすべてを奪われた。まさか、そんなことあるはずがない、そう思った。けれど思考の片隅で、納得している自分もいた。だからか、見たことのある顔をしていると思ったのは、と。弟や自分に似ていたのかと。

子ども、というのに一つ、心当たりがあった。遠い昔というには近い過去。高校の時分は、とにかく愛に飢えていた。誰でもいいから愛してほしくて、なんでもいいから温もりがほしかった。幸い、容姿は悪い方ではなかったので、何人かと身体だけの関係を結んだことがあった。避妊はしっかり抜かりなくしていた。けれど数人の内、一人、子どもが出来てしまった。胸中で強く舌を打つ。身ごもった彼女には、堕ろせと言った。新羅を紹介して、医療費は俺が持つからと、たしかに、堕胎させたはずだった。

だが、その子どもとやらは、今目の前で微笑んでいた。新羅ならきっとなんとかやるだろう、信じられない話ではない。年の頃も、丁度その頃だろう。

「……なんできた」
「会いたかったからです」
「なんで、」
「一緒に、生活をしたいと思っていたからです」

彼女は、自身の質問に丁寧に答えた。やはり涼やかな声で。静雄は苦々しい気持ちでいっぱいだった。どうしろというんだと叫びたい気持ちでいっぱいだった。

「なんで、ここにいるとわかった」
「新羅さんに教えていただきました」

一緒に、暮らしませんか?彼女は言った。風が木々をならす。彼女の声は木々の音に消えることなく響いた。

静雄は首を振る。いやだ、と。子どもなんて、他人なんて考えられなかった。恐ろしかった。絶対に、壊してしまうと思った。だから首を振った。いやだ、と、臨也がいなくなってからは、確かに一人で寂しいけれど、亡くすのは怖いから、いやだ、と。もちろん、口には出さなかった。

首を振るだけでは彼女は食い下がらなかった。なんでですか、と聞く。怖いからですか、と言う。

その言葉に静雄は目を見開いた。口には出さなかった。たしかに。けれど彼女にはわかっていた。見透かされていた。気づかれていた。

「私は大丈夫ですよ、壊れません」

またも確信的に彼女は言うが静雄は首を振る、縦に振りそうになるのをたえて、横に、力なく。今まで笑みを絶やさなかった彼女の眉根が寄せられる。不服そうに口を突き出す。

「私は、あなたを愛したいし、愛しています。あなたは愛されたいし、愛してほしい。なにか間違っていますか?愛したいなら愛せばよくて、愛されたいなら愛されるべきだと、私は思います」
「……亡くすのが、いやなんだ」

絞り出した言葉に彼女は眉間の皺をほどく、簡単な話だと笑う。静雄は笑顔の多い女だなと、ぼんやり思った。彼女が腕を持ち上げた。こちらに向かって伸ばす。届かなくて、足を一歩踏み出した。静雄は足を一歩引いて彼女の手から逃げた。

「静雄さん」

ぴくり、静雄の肩がはねる。その隙に彼女は地を蹴って静雄に抱きついた。ぎゅうと抱きしめられる。

「静雄さん、簡単な話です。私は壊れません、愛したいので、愛される覚悟を、触れ合う勇気を持って下さい」

私は壊れません、もう一度彼女は言った。きゅう、腕の力が増した気がした。

「でも、」

言葉を濁す。彼女の腕の力は確かに強かったけれど、それに反して酷く細かった。脆そうだと思った。

「私はね、静雄さん、あなたの娘、なんです」

一言一言区切って言う、強い言葉。身体に回されていた腕がするりと解けて、首へと回る。彼女は背伸びをして、静雄の頭を抱えた。自然、前屈みの姿勢になる、傍からみたら大変不格好なことだろう。これもまたぎゅうと締められる。息がし辛かった。視界がにじむ。

少しするとまた腕がするりと離れてゆく。

「ね、強いでしょう?」
「……そうだな」


ほほえむ彼女の顔は滲んで朧気だった。静雄はなぜ視界が滲んでいるのかを考えて、きっと息がし辛かったからだろうとあたりをつけた。

彼女が静雄の手を取りぐいぐいと引いて歩く。それは実に強かな腕だった。

驚いて声を上げる。すると彼女は微笑むではなく声を上げて笑っていった。

「勿論です、だってあなたの娘なんですから」




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