こんなくだらないことを思いついたのは誰だったか。四人が四人言いだしそうなものだから、誰かが声を上げたとき、誰も違和感というものを感じなかった。三年間、たかだか三年間だ。それがこんなにも大切に思えるようになるなんて、入学当初はまったく考えもしていなかった。 「うーわー、うん、なかなかに気味が悪い」 真夜中、学校の正面玄関で座り込んであとの三人を待っていると、ひどく楽しそうな声を上げて臨也が現れた。そのあとに静雄、門田とやってきて、それぞれ「はやいな」だとか、「最後か」だとか言ってやってきた。みんな汚れるのを覚悟したのかなんなのか、もう着る機会もなくなるのだろう来神高校指定のジャージを着ていた。同じ時間を共有すれば多少は思考回路も似通うのだろうが(夫婦は似るというし、)この三人と思考を合わせるのは少し嫌だなと思ってしまった。 ペンキとロープは門田が用意した。内定をもらった就職先で譲ってもらったそうだ。学校の合鍵はなぜか臨也が持っていた。刷毛は静雄が用意した。自分はタオルを何枚か用意した。家に腐るほどあるものを持ってきた。臨也がうきうきという言葉が似合う足取りで玄関のカギを開ける。警備業者のセキュリティをやすやすと解くものだから、関心よりも呆れが勝ってしまうのはしょうがないことだろう。静雄や門田も同じことを持ったのか重たい溜息と強かな舌打ちが背後から聞こえた。 「はい、じゃあ、いざ潜入!!」 「潜入ってのも変な感じだな」 「そうだね、毎日というか今日もここにきて普通に過ごしてたし」 夜の学校に灯りは一切ないけれど、そこは都会。周りの街のネオンで足元は危うくない。臨也は後ろなど見ずに一目散にと屋上に向かう。途中静雄をからかうものだから追いかけっこが始まって二人の背中は闇にのまれた。 「あいつらは、同じことしかしないのか」 心底呆れたように門田が呟くのに笑い声だけを返した。耳を澄ませなくとも静雄の怒声と臨也の笑い声が聞こえる。いつも通りのはずなのに、どことなくテンションが高いように思えた。それは静雄と臨也だけでなく、自身や隣にいる門田もだ。 「行こうか」 「おー」 階段を駆け上がる。まさかこんなにも自分がアクティブだなんて、それこそ少し前までは考えもしなかったのだ。 ※ ※ ※ ※ 屋上について喧嘩する静雄と臨也を門田が止める。その手慣れた様子に思わず拍手。さすが、みんなのお母さん!だなんて言うと珍しく門田本人から鉄槌を頂戴した。そのかわり、静雄と臨也の二人は仲が良さ気に笑っていた。正直なところ気持ち悪い以外の何でもない。天変地異だ。もちろん明日は槍が降るだろう。 喧嘩をやめてもなおくだらない(幼稚ともいう)言い合いをする二人に門田がペンキの缶を渡すと大人しくなった。静雄がみんなに刷毛を渡した。ロープを門田が腰に装備してくれて、屋上のフェンスに結び付ける。準備が整ったものからそろそろと校舎の壁面に足をつけて壁にへばりつく。忍者か。そう思ったのは仕方がないことだと思う。 「うわあ、なにこれ足元不安定」 「軟弱ノミ蟲」 「俺が軟弱だったら新羅はなんなのさ」 「ちょっと臨也、なんでそこで僕をだすの?なんでそこで僕を出したの」 「だぁってドタチンには負ける」 「お前に負けるやつがいるか」 「はぁ?シズちゃんは俺に負けっぱなしだったじゃない」 「あーあーあーあーはいはい」 延々に続きそうないがみあいを声を上げて止める。いいから早くするよ、と言ってペンキの缶に刷毛を浸した。 「門田くん、これ何色?」 「ん?あー、確か赤と黄色と青と緑?」 「俺は赤だと見た」 「じゃあ俺青だな」 「んじゃ僕は黄色で」 「イメージカラーじゃねぇんだぞ?」 実際、暗いので色なんてわからないが、多分そうだろうなという予想を立てる。ただの色のイメージ。確かに臨也は赤っぽいし、静雄は青っぽい、門田は緑っぽいから、じゃあ自分は黄色だろう、あくまで予想だけども。 わかるわかる、と声を上げる臨也が校舎に第一筆を入れた。それに負けじと静雄も続く。なにかあれば張り合うのだからこの二人の人生はさぞ退屈からほど遠いだろう。くすくすと笑いながら自分も校舎に筆をぶつけた。 ※ ※ ※ ※ 「うん、よし、上々!!」 「てめぇより俺のが上々だ」 「なにをわけのわからないことを言ってるの」 一筆二筆と入れてからはもう早かった。時間が飛ぶように過ぎた。下に下にと降りて行って地面に足がつくと、臨也が常備しているナイフでロープを切る。安定した地面に違和感を感じながら校舎を見上げようと顔を上げると目の前が一瞬陰る。なにかと思えば、なんてことはなく静雄と臨也がペンキを掛け合っていた。なんでも最初は校舎にぶちまけていたそうだが、臨也が静雄に缶ごとペンキをぶちまけたらしい。それでまた鬼ごっこ。飽きるという言葉を知らないようにずっとずっと、臨也は静雄から逃げるし、静雄は臨也を追っていた。門田はため息をつくことなくカラカラと笑っている。年相応だ。笑っていると思えば急に門田が走り出す、そして…… ――綺麗なラリアットを臨也にキめた。 「はぁあああ!?ちょ、ゲホッ、なんなのドタチン!!」 「ざまぁ!ノミ蟲!」 「シズちゃん死ね!!」 「お前らがくだんねぇことしてんのが悪い」 「理不尽!!」 それから小一時間ほど運動場で走り回り、思い出したように校舎にペンキを投げつけては走った。ジャージはペンキと砂利でどろどろになった。それどころかメガネもぼろぼろになった。でも笑えて笑えて仕方がなかった。久しぶりに肩で息をして、久しぶりに腹筋を使って笑った。 「帰るか」 誰かが言った。静雄の声にも、門田の声にも聞こえた。口調からして臨也ではきっとない。屋上に上がってロープを片付けた。濡らしたタオルで顔や手を拭った。夜景に目もくれず屋上から校内に入り、学校を出た。臨也が正面玄関の鍵を閉めてセキュリティロックをかけた。その間、みんな終始無言で、ああこれは明日は本格的に槍が降ると思った。槍の降る卒業式、シュールすぎて言葉も出なかった。 ※ ※ ※ ※ 卒業式の日は見事に晴れた。冬だ冬だと思っていたけれど、すっかり春は来ていたらしく、素晴らしい青空だった。昨夜のこともあって睡眠時間がひどく短い自分には青空は少し眩しすぎた。結局槍は降らず、カレンダーは桃の挿絵とともに「三月一日」と春を告げる数字を示していた。 セルティに学校まで送ってもらう。校門に人だかりがあったので何メートルか離れたところで下してもらった。 「おはよう」 「お、あ、ああ、岸谷、おはよう」 適当なクラスメイトに声をかける。どもりながら返事を返してくれたクラスメイトはこちらをちらりと見たもののすぐに校舎に向き直る。十中八九、この人だかりは昨夜の自分たちの仕業だろうと予想はついていた。新羅はクラスメイトに倣うふりをして校舎を見る。見て、思わず噴き出した。 昨夜、臨也がいた場所には赤いペンキ、静雄がいたところには青いペンキ、自分のいたところには黄色のペンキ、門田がいたところには緑のペンキが塗られていた。ひどく汚い落書きだった。これなら街中のカラーギャングの方がよっぽどマシなことを書く。 校舎の近くでは教師陣が顔を赤くして怒鳴り散らしている。その教師の声をかき消すように怒声と笑い声。どうしてこの二人は365日同じ登場の仕方しかできないんだと思うと笑いも収まる。 「あ、新羅、おはよう」 「待てこらノミ野郎!!」 「やだなあ、シズちゃんは、こんな日まで暴力なんてこわぁい」 人だかりを押しのけてグラウンドの真中へと躍り出た二人はピタリと止まり、噴き出した。教師の怒声が響くも二人の笑いは収まらないようだった。 「岸谷、おはよう」 「ああ、門田くん」 「あいつらは何してんだ」 「青春を謳歌?」 「バカか」 「バカだよ」 しようがない、という風に言う門田はしかし楽しそうに口角をあげていた。 「楽しそうじゃないか」 「当たり前だろう、こんな傑作が目の前にあるんだ」 門田が静雄と臨也に向かって走り出す。二人はまた追いかけっこという名のくだらない喧嘩を展開していた。なぜか自然と口端があがる。わくわくしてうきうきしてしょうがなかった。門田の背を追って走り出す。グラウンドは未だ足を踏み入れにくいのか自分たち四人しか立ち入らない。 校舎に殴りつけられたペンキが青空に映えてとてもきれいに見える。槍が降らなくてよかったとちょっとだけ思った。 僕たちから三年間お世話になった校舎への最高で最低で最初で最後のプレゼント |