たくさんの意味で暑い夏を終えて、秋を迎えようとしていた。コートはまだ出していないけれど、生徒のほとんどはマフラーを巻いて登下校をするような季節だった。
屋上に続く踊り場で、卒業前にしたいことを純太が嬉々として語るので、適当に返事をして、それで、そう、それで。
「学校に忍び込むのは誰しも一度はやってみたいことだろ」
なんて純太がいうものだから、仕方がないなあ、と溜息を吐いた。「もちろん夜の、な」と付け加えるので、わかってるよ、と返す。
「じゃあ、夜、裏門に。もちろんロードで来るなよ、危ないから」

どうせならシンデレラタイムにしようぜ、と今日のロマンチストは言ったので、シンデレラの世界でお城の鐘が鳴るころ丁度に裏門坂の頂上につくように坂を登った。徒歩でだ。純太はもうすでについていたようで、校門にもたれかかってオレを待っていた。
「早かったな」
「徒歩ってなると時間感覚分かんなくてバカみたいにはやくに出たんだよ」
お前はちょうどだな、と言葉が重ねられるのを聞き流し、門は、と尋ねればしれっとした様子で「乗り越える」と返された。

夜の学校はやっぱりわくわくするな、とスキップのような足取りで純太が歩く。オレは「そうだな」と答えながらまだうっすらとした星空を眺めていた。
「どうする、校内入る?一応東入口の鍵だけ開けてきてんだけど」
「なんでそんなに周到なんだ」
「楽しみで?」
オレの横に並び、今度は歩幅を合わせて歩く。寒い寒いというので、左手を取って繋いで上着のポケットに突っ込んだ。
「もっと着込んで来ればよかったのに」
「マフラーしてたらいけるかとおもって」
「寒がりのくせに」
「でもおかげで公貴が手繋いでくれたろ。やっぱりせっかくだし校内入ろうぜ」
「好きにしろ」
やった、小さく呟く息が白い。寒がりのくせに。
真っ暗な校内は足元が心もとない。懐中電灯でも持ってきたらよかったとぶうたれる純太に、ならもう帰るかと尋ねれば嫌だという。
「教室は当たり前だけど鍵しまってるぞ」
「大丈夫、オレの教室開けてきてる」
「なにが大丈夫なんだ」
「遊べるじゃん」
純太が繋いでいた手をほどいて小走りで離れていく。暗い廊下はすぐに純太の背中を飲み込もうとするので、オレは慌てて追いかけた。
三年三組と札の下がった教室の窓を開けて待っていた。オレが追いついたのを確認すると乗り越えるようにして教室に入り込む。
「すっげえ真っ暗」
「夜だからな」
「ちょっと月見える」
「夜だからな」
靴を脱いで机の上に立つとそのままトントンと横断歩道の白い部分だけ歩く子供のように横の机へと飛び移る。
「やりたい放題だな」
「夜だからなあ」
一番端の机の上まで来るとカーテンタッセルを外して教室を覆う。
「なにしてるんだ」
「二人きり」
「真っ暗だな」
「夜だからなあ」
このまま今だけ切り取れたらなあ。純太が呟く。息の色は夜のせいでわからなかった。
「次はプールに行きたい」
「寒がりなのに」
「いいじゃん」
カーテンも直さずに教室を抜け出して、廊下を歩く。ささやかな声がぐわんと響いた。窓の外を見ると、先ほどよりも星あかりが濃く見えた。
「プールってさ、学校にあるイメージ」
「だから?」
「行っときたいなって」
「好きにしたらいいだろ」
「そのつもり」
純太が声だけで笑う。オレの腕をさらっていきなり走り出すので、足がつっかえて転けそうになった。
校門を出てからはどうしてだか競争みたいになってお互い本気で走っていた。先にプールの門に手をついたのはオレのほうで、純太が憎々しげに舌を打った。
「あつい」
「走ったからな」
「バカみたいだ」
「今更だろう」
例のごとくプールの門によじ登る。
「なんだか泥棒気分だ」
「本当にこれがしたかったのか」
「とても」
夜のプールは真っ暗で、そこだけ宇宙にでも繋がってるようだった。星がない分余計にタチが悪い。
「黒い!」
「うるさい」
「夜のプールって思ったよりこわいな」
「プールにも入るか?」
「いや、オレ寒がりだから」
「……二人っきりで切り取られるかも」
びくりと純太の肩が跳ねた。もちろん寒さのせいなんかじゃないだろう。オレは肩をすくめた。
「どうする?」
返事はなかった。正直、純太に言っては見たものの、オレは飛び込みたくない。とてもじゃない。暗いし、寒そうだし、たぶんそんなに綺麗じゃないし、飛び込んだあと帰るのが大変そうだし。
純太はうつむいていた。あろうことか、悩んでいた。
「別に、二人っきりがいいわけじゃ、ないんだけど」
「うん」
「たぶん、ちょっとさみしいだけなんだよ。オレさ、インターハイのことはずっと忘れられないと思う。一年の時も二年の時も。三年の時なんてきっと墓まで持っていくと思う。でもそのほかの毎日を、オレはきっと忘れてしまうんだと思う。そうなんだってなんとなく知ってるんだよ。それが、さみしいなって思う。なにかせめて一つくらい、忘れられないほど馬鹿なことをして、せめて一つくらいお前とのなにかを墓まで持っていきたい、って、」
ぽつぽつと純太がこぼす。落ちていく言葉がなんだか真っ暗なプールに吸い込まれて行くように思えた。それくらい控えめな音量だった。吸い込まれて、それはきっと宇宙につながってて、うっすらと光って溶けていきそうだった。弱々しい純太の本音が、つまりはなんだかとっても魅力的に思えたのだ。

考える、までもないかな。

オレは純太に体当たりをするような形で抱きついて、そのままプールになだれ込んだ。せめても水に身体を打ち付けることがないよう抱き込んでやる。純太の癖のある髪が取り残されるように揺れて、意外と細い髪の毛の隙間から柔らかに星が瞬いていた。
わ、と純太が声を出す。ばか。プールの水飲むつもりか。純太の頭に手を回して肩口に押し付ける。ザバン、と大きな音を立ててプールの底に沈んだ。


「な、にして、てか寒い!」
水面にでて一番に純太が騒ぐ。オレは純太を離すと、眼鏡を外して水滴を拭った。すこし見えづらい。
「本当、なんでこんなことしたんだよ」
「なんでって、こんな寒い中プールに、しかも夜に飛び込むだけでも馬鹿げてるのに、これで二人そろって風邪でもひいたらもっと馬鹿だろ」
「はあ?」
「こんなくだらないこと、死んだあとだって忘れないだろ」
「……公貴さむい」
「それはお前が寒がりだから」
純太がこそばゆいと言わんばかりにはにかんだ。はは、とこぼす笑い声の息は白い。
「うれしいよ」
「あたりまえだろ」

そのために一緒にばかになってやったんだから。



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