あ、と声をあげたのは男鹿だった。美咲が「ずいぶんと陽が短くなったわねぇ」と窓の外を見ながら言うのに、そういえば朝起きたらすこし寒くなったな、と思い起こし、そういえばもうそろそろ冬じゃねぇか、と気がついて、冬っていやあどっかのアホの誕生日じゃねぇか、と思い出したのだ。 ふい、とテレビの横に吊り下げられたカレンダーを見る。11と大きく書かれた数字に今月かよ、と眉根を寄せる。去年は家族からも石矢魔の奴らからも祝ってもらえず、うじうじと面倒この上なかったので、来年はなにかしてやろうかと思っていたのだ。すっかりと忘れていたのでなんにも考えていないままにもう今年になっていたのだけれど。 「姉貴、今日何日」 「あんた、ついには日付すら覚えらんなくなったの」 「うっせ」 「今日は五日よ。あら、もうすぐたかちんの誕生日じゃない」 一年ははやいわぁ、としみじみ呟く美咲をよそに、あと一週間もねぇのか、と男鹿は寄せた眉根をさらに顰めた。 * あれから数日。時間なんてはやいもので、あれよ、あれよと古市の誕生日も明後日になった。なにかしてやろうと一年かけて、実際はほとんど忘れていたので二週間くらいだろうけれど、とにかく幾日かをかけて、古市になにをしてやろうかと考えてはいたのだけれど、まったくなんにも思い浮かばなかった。自身の誕生日は果たしてなにをしてもらったか、と記憶を辿ったものの、夏休みの宿題と手作りコロッケという真似のしようがないものであった。さらに言えば、コロッケを奢りでもすればいいか、という素晴らしい名案を思い付いたのだけれど、11日のマスが赤色で塗りつぶされていて、古市の誕生日が休日であることを主張していたことにより折角の名案は白紙になった。コロッケを奢るとすれば当然フジノのコロッケだが、フジノは通学路にある。古市の家は男鹿の家よりも学校から遠い。位置関係で言えは、古市の家があり、男鹿の家があり、フジノがあって学校という感じだ。先にコロッケを買いに行ってやって、古市にあげても良かったのだが、フジノのコロッケは揚げたての方が美味しいし、どうせなら美味しく食わせてやりたいものである。となればフジノに出向いてコロッケを買い、古市にくれてやらねばならないのだが、面倒なことに、古市は寒がりであった。必要以上に寒い寒いとうるさい男で、冬になると外に出るのをひどく嫌がるのだ。男鹿に言わせればお前の見た目のが寒ぃわ、といったところだが、とどのつまり、古市は寒い冬にわざわざコロッケを奢られるために出てこないだろうということだった。なんて面倒な奴だ、と大きくため息を吐く。別に祝ってくれと言われたわけでもないし、逆に「期待していない」と言われている男に、してやることがまったくと思い浮かばなかった。 さて、どうしたものか。あまり考え事が好きではないこともあってか、もうどうでもいいかと思う気持ちがわき出てくる。どうせ、今年もオレにはなんの期待してやいないだろうし、今年は家族もいるだろうし、ラミアがなにかするだろうし、もういいか、と。しかし、考えるのをやめようとしても去年のあんまりに落ち込んだ背中を思い出してしまって、また、どうしたものかと思考を巡らせてしまうのだった。結局この日も何一つ思い浮かばずに一日が終わり、古市の誕生日にまたすこし近づいた。 * 「さむい」 部屋に上がりこんでくるなり第一声がそれかと思うものの、鼻やら頬やらを紅くして言われると「本当に寒かったんだな」という気になってしまう。完全冬装備でもこもこになっている古市が寝っ転がっているオレを見て、ギロリと全然怖くも威厳もない眼で睨みつけるが、ベル坊が「ダァ、」と鷹揚に挨拶をすると、にへらと笑って挨拶をかえしていた。 「あれ、今日ヒルダさんいねーの?」 「なんかラミアと用事があんだと」 「ふうん、残念」 心底残念だという体を隠しもせずに声にのせて言葉を落とした古市は、やっと完全冬装備品の重っ苦しいコートを脱いでドアの横に放り投げた。首にぐるぐると巻かれているマフラーも剥ぎ取りながらベル坊に手を伸ばす。 「おー、ベル坊あいかわらず天然カイロ」 「ダ!」 「はぁ、冬の間ベル坊がほしい」 すこし紅味のひいた頬をベル坊の真っ白な頬にすり付けながら古市が言う。 「今日一日貸してやらんでもない」 「は? なに」 「誕生日だろーが」 「あ、あー、ああ。いや、お前ベル坊から離れたら電撃くらうだろ」 「泊まればいーじゃねーか」 「なんでだよ、まあ魅力的だけどな。子供体温男鹿とベル坊のもち肌カイロ」 誕生日がそんなもんで済むならはやい話だと持ちかけてみると、馬鹿だろ、だなんて文字を顔面にでかでかとのっけて返される。その割に、満更でもないのか、うーうーと唸りながら抱きしめたもち肌天然カイロことベル坊の緑色の髪に顔を埋めて「あーでもいいかも、」なんて呟いている。 「なんでお前そんな寒ぃんだよ」 「普通、十一月っつーのは寒いもんなんだよ、お前がおかしーの」 「今も寒ぃか?」 「まあベル坊で大分マシだけどな」 「よし、ちょっと待ってろ」 聞きたい事は確認できたので、ひょろい身体を縮こめている古市に言い捨てる。よいしょ、とかけ声をあげて起き上がると「じじくせぇの」と笑われた。 * 台所に降りて浅い鍋に牛乳をいれて火にかけた。マグカップに水をいれて電子レンジに突っ込む。なんでこんなメンドクセーことしてんだ、と思っては、そういやアイツ誕生日じゃねぇか、と思い直す。 チン、と軽やかな音を立てて電子レンジが鳴いたので、マグカップを取り出して暖まった水をシンクに捨てた。布巾でぐりぐりとマグカップを拭いて、飾り棚からココアの粉末と砂糖を取り出す。ココア粉末をスプーン二杯分ざくざくといれて、砂糖も適当にざくざくといれる。鍋の牛乳をちょっとだけマグカップに注いでスプーンでぐるぐるとかき混ぜた。どろどろのとろとろになったら火を止めて、残りの牛乳もマグカップに注ぎいれる。また数回スプーンでくるくるとかき混ぜて、未だに寒がっているのであろう男がいる部屋へむかった。ポケットに二つ、小さなお菓子をしのばせて。 * あつあつのマグカップを差し出してやると、とんだ間抜け面で古市はオレの顔を凝視しだした。腕の中、抱きしめられているベル坊が興味深げに身を乗り出すのに小さな下腹部をぽんぽんと叩くことで落ち着かせながらポツリと音をこぼす。 「なにこれ」 「ココア」 オレの言葉に未だ釈然としない様子の古市はベル坊を拘束していた腕を緩め、左手で抱き上げるようにベル坊を抱えなおす。片膝を立てた上に左腕をおいて、ベル坊の居場所を安定させてから、空いた手でマグカップを受け取った。たゆたう濃い茶色を確認してから、オレの顔を見上げてくる。 「飲んでいいの」 「おー、あ、待て、まだ飲むな」 「……んだよ」 危うく忘れるところだったポケットの中身を取り出して封を切った。真っ白なそれを古市が持つマグカップに投げ入れてやるとココアがとんだのか「ほいほい入れんな。危ねぇだろ、ベル坊にとんだらどうすんだ」と古市が声をあげた。 「うっせ、おら、いいぞ」 「おう、なんだこれ」 「見りゃわかんだろ、ココアだ」 「ああ、ココアだな」 「ついでにチョコマシュマロだ」 「あの一個二十円のやつな」 瞼をぱちぱちと忙しくなく開けたり閉じたり、マグカップを見たりオレを見あげたりと落ち着きのない古市だったが、一瞬、神妙な表情をしたかと思えば、フ、と息を吹きだして笑いはじめた。 「誕生日?」 「たんじょーび」 「そっか」 「おー」 なんだか気恥ずかしくなってごまかすように古市の旋毛にキスをした。わしゃわしゃと銀色をかき混ぜて隣に腰をおろす。 「おめでとさん」 「おう、あんがとさん」 ちゅ、と、今度は首筋にキスをすると、ベル坊が真似をするように古市の鼻先におしゃぶりを押し当てる。古市がふにゃりと笑う。 「ありがとな、ベル坊、男鹿も」 「おー」 「アダ」 「さすがにちょっと嬉しいわ」 「当たり前だろーが、オレ様がしてやったんだから」 古市の腕の中からベル坊を取り上げて肩にのせる。こくん、とココアを飲む古市が「幸せだわ、」と呟くので、当たり前だろう、ともう一度言ってやった。 |