「そうだ、インドに行こう」というと、純太は呆れた顔をしていた。呆気にとられていたようにも見える。斜め上をぼんやりと眺め数秒おいてから、落ち着こうとでもいうようにオレンジジュースに手を伸ばし、一口飲んだ。ごくり、と音に合わせて純太の喉が上下するのを見ているとパチンと目が合う。ヤツはやはり呆れたような、呆気にとられたような表情でオレを見るとひどく億劫そうに声を出した。
「お前は変なところで大バカだ」
「失礼なやつだ」
純太の言葉にフンと鼻を鳴らしながら携帯電話をジーンズのポケットから取り出した。暗証ロックを解除してネットに繋ぐ。検索バーに「インド 飛行機」と入力するとすぐにページが切り替わり航空会社のサイトが並んだ。
「失礼なもんか。お前、だって、インドって」
「お前なんかに相談するんじゃなかったよ、お前はもっと話がわかるやつだと思ってた」
「テメ、今それ言う?」
大体さぁ、と純太の軽薄な声をBGMにオレは一番上に表示された検索結果を選択する。出発地は東京、行先はインド、人数は一人、必要事項を入力すると、画面が真っ白になり、必死に航空便を探し出してくれる。その間にカプチーノに口をつけながら純太の話を聞き流した。
「いつもいつも考えすぎなんだよ、先のことなんてどうなるかわかんないのに」
「かといって男同士だぞ。はいそうですかで流されて易きなんてもんでもないだろ」
「まあ。で、本当にインドに行くの」
純太がおもむろに携帯を取り出して尋ねる。真っ向から否定されてひねたのかもしれないし、もう興味も薄れたのかもしれない。行く、と答えながら自身の携帯を見やれば、インドに行く便が何件かリストアップされていた。一番安い便ははやくて明日の夕方。迷わず予約をいれてチケットを手配する。
「いつ出んの?」
「明日の夕方かな」
「お金とかあんの?」
「そこそこ」
「ホテルは?」
「現地で」
「ふ、うーん」
縦肘ついて、携帯を弄りながら純太が言う。それがいやに含みを持って響いたものだから、知らず眉間に皺がよった。
「なんだよ」
「別にぃ?」
「ふうん?」
「楽しんできたら」
パタン、と携帯を閉じて、純太がにんまりと笑う。こいつがこんな笑い方をするときは大抵ろくなことにはならないのだ。

段竹に好かれて困っている、と純太に話してもなんの参考にもならず、だんだんとなぜ困っているのかもわからなくなってきて、それがさらに自分を困らせるものだから、ちょっと自分探しのつもりだった。もともと自分はどんな考え方をして、どんな偏見をもっていて、どんなふうに彼をみていて、どんなところが好ましく、どんなところが嫌いで、そういうことをちゃんと整理し直して適切な距離を二十万足らずで作り変えようと思ったのだ。だって純太は「いいんじゃないの、ほだされたら」だなんて、「人って案外単純だから流れに流れて海に出たりするもんだし」だなんて。まともに取り合うこともしないから。



 翌、夕方。インドに向かう日本人は六人しかいないようだった。待合室にはすでに四人いて、自分を含めるとあと一人で全員揃うといったところ。水でも買うか思案していると「古賀さん」と染み込むような声が鼓膜を打つ。にんまりと笑う純太の顔が脳裏にちらついた。記憶の中の純太が言う。旅は道連れ、世は情け。
「そんなことあってたまるか」
舌打ちしたい気持ちを飲み込んで、必死に耐えて、目の前の段竹にかける言葉を探した。こいつもまた純太によって踊らされた一人なのだ。
「大学は」
「休みました、手嶋さんにちゃんとしてこいって言われたので」
オレはまた言葉を探す。ちゃんともなにも、オレと段竹はまだなんにもないのだ。もちろんこれからもないままにしようと思っている。痛む頭を無視してどうしたものかと考えていると、携帯電話が鳴った。どうやらメールのようだった。純太からの。
「がんばって」
なにをだ。
「楽しみましょうね」
段竹が言う。いっそ、いっそわがまま放題に振り回して、愛想でも尽かせてやろうか、大喧嘩でもしてしまえば。見知らぬ土地なら親しい仲でも争うというし。
「よろしく」
オレはきっと苦虫を噛み潰し、腹に入れたような表情だったろう。



「どうだったよ、インドは」
なんとなく聞かなくてもわかるけど?いつかの笑顔で純太が言った。オレはカプチーノに口をつけながらインドでの出来事を思い出す。
「楽しかったの?」
「それなりに」
「だろうな。段竹とはどうだった」
「多分お前の想象通りだよ、楽しくて、気恥ずかしい旅だった」

多分、本当に純太の思惑通りになったのだと思う。インドに行って、いろいろと考え直すつもりが段竹を送って寄越されて、じゃあ喧嘩でもしよう、そうして愛想つかして離れていけばいいのだと思ったのに、なんにもなかった。喧嘩はしなかった。インドに行って一番に少し小汚い飯屋でカレーを食べた。屋台を見て回って、ドライフルーツを食べながら歩いた。わがまま放題にしてやろうと思っていたのに、わがままなんてそう思いつくこともなかったし、ゆっくりと町並みを見て回った。段竹もゆっくり後ろからついてきた。象を見に行けば、どうやら背中に乗せてもらえるというので、想象以上に硬く、泥がかたまり茶色くなった肌を一撫でしてからお邪魔した。すごく高くなった視界にちょっと驚いたあとに下に視線を投げれば段竹がいた。当たり前と言えば、それまで、なんだけれど。
 象はひどくゆっくりと移動した。段竹もやはりそれに着いてきた。決まったコースを象が歩く横をずっと、段竹はついてきていた。緑の山と、土が踏みしめられた道をぼんやり眺め、たまに段竹に視線を投げる。ゆっくり、ゆっくり歩を進めるなか、時折投げた視線をうまく拾われ、返される。オレは段竹から返ってきたあんまりにも穏やかな視線にとっても驚いた。象の背に乗り、変わった視線の高さよりも驚いた。
段竹の視線を受けて、インドの空がどことなく淡く見えてしまった。

「だから、もういいかなって思えてしまって、無駄だったけど、楽しい旅だったよ」
「そりゃなによりだ」
「全然、なによりなんかじゃないよ、いやだなあ」
「流れればたどり着いたそこは海かもしれない」
純太が言った。
してやったりと表情が語る。たどり着いた先はインドだったけど、でもそれでも、いやだなあ。こんなにもうまくほだされてしまった。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -