『寒さの厳しい日が続きますね、いかがお過ごしでしょうか。街の並木は葉をなくし、すこし寂しくうつりますが、空気がよく冷えた夜は星がとてもきれいに見えます。並木道も夜空もきれいに見ることができればいいのに、どちらかしか選べないのは悲しいですね』

たかが部活動、たかがスポーツに人生をかけるほど思い詰めるなんてオカシイんじゃないか、と笑ったのは誰だったか。

受験勉強をしていた。特に希望はなかったので、徒歩で行ける距離の場所に進学することに決めた。総北高校、東戸も山本もそこにするというので、オレもそこでいいかな、なんて。総北高校には自転車競技部があるらしくて、それだけがちょっと嫌だったけれど、関係ないと言えばそれまでの話だった。高校では自転車はやめる。 ロードを続けろとみんな言ってくれたけれど、みんな受験が切羽詰まってくるとオレどころではなくなって、もうオレに自転車はしないのかなんて言わなくなった。葦木場だけが「一緒に一番をとるって言った!」とぐずっていたけれど、安定しない声で「オレ引っ越しするんだ」と言ってきたのに「じゃあ一緒になんて無理じゃん」と返したら、とうとう葦木場もなんにも言わなくなった。
高校では、自転車はやめる。その日の夜空の、なんてきれいなこと。



『まだかまだかと待ち望んでいた桜も、気がつけばすっかり若葉にかわっていましたね。春は川沿いに植えられた桜が見事で、雨が降れば花筏が見られますが、もう青い木には遅い話ですね。先日、もう蝉の鳴き声が聞こえました。季節の移り変わりは人の心よりもはやいのかもしれません。』

卒業式のときは桜なんて咲いてなかったのに、入学式のときに花嵐だったのは、なにかの前触れだとロマンチストを気取ってみたり。高校にはいったのにオレは汗まみれでペダルを踏んでいた。自転車にのって、自転車競技部に入っていた。東戸がそれ見ろと言わんばかりの表情をしていたのが気恥ずかしくもあり、悔しくもあった。葦木場には言えなかった。だってやっぱり気恥ずかしくもあり、悔しくもあって、まさか、こんな、おめおめと。オレはとっても身勝手なものだからあんなにも思いっきり傷つけておいて「葦木場も続けていたのならどこかで会うだろう」なんてふうに考えていた。だってこんな、あんなにも辞めるといってなんにも、誰の言葉も聞かなかったのに、一年もたってないのにこの様なんて。
青八木と会って、あの桜はこのために舞ったのだと思った。ロマンチストだから。自転車をもう一度頑張ろうと思った。オレは坂道が嫌いだった。走りにごまかしがきかなくて、しんどくって、歩いた方が楽だって思えるほど苦手だった。そんな坂を、青八木はきれいなフォームでのぼっていた。「自転車にひた向きです」とその背中が語っていて、すっごく羨ましかった。オレも自転車に一生懸命になりたかった。なんたってオレはロマンチストで、身勝手で、ついでにプライドが高かったものだから、この出会いに運命を覚えずにはいられなかったし、彼の走りに嫉妬しないわけもなかった。
高校でも、オレは自転車にのっている。



『最近は夜もずいぶんと寒くなりましたね。月がきれいに見えるようになったと感じます。近頃、日の暮れになるとひぐらしが鳴くようになりました。もうじき夏が終わりますね』

怪我をしていたって、古賀は速かった。嫉妬とかそういうのはなぜかあんまりなくて、テレビのなかで動き回るスポーツ選手を見ているような気持ちだった。先輩たちの待遇が、比べるまでもなく違ったからか、はたまた、中学のときの憧憬よりも距離が近すぎたからか。古賀の走りを見て素直にすごいなと思っていた。だからインハイメンバーにそいつが選ばれたときは「やっぱりな」と思った。だってスポーツ選手っていったら大きな大会に出るもんだ。オレはエキストラのように走り回ってチームをサポートした。
その日の大会で金城さんが落車した。
夜に、古賀はいった。
「オレが出る」
よくない、と思った。それは、よくない。古賀は怪我をしていて、それでも夢のように速いけれど、どこも怪我なんてしてないオレよりも速いけれど、だって、オレには理解できなかった。オレはインターハイなんてしっかりした舞台に充てられていて、いつかオレもあそこになんて考えていて、だから、このままゆったり走ったって、結果なんかだせなくたって来年のインハイが確約されているのに無茶をする必要がまったくわからなかった。オレは結果を出さないときっとそこを走れないけれど、古賀はそうじゃない。期待だってされていて、無茶をして「もし」があったら絶対を保証されている来年がなくなってしまうのだ。それは、よくない。だって、今がそんなに大事だなんて、栄えある未来よりも大事だなんて。
熱をもった三日間が終わりを迎え、古賀に残ったのは悔いだけだったのかもしれない。



『やっと桜の季節になりましたね。今年はゆっくりと花を愛でにいけそうです。そちらはお変わりありませんか。あまり変化のない毎日が続くと退屈に感じてしまいますが、本当はきっとそれが一番いいのかもしれませんね。もしかしたら人生なんて同じことの繰り返しなのかもしれません。桜が散ったら、また夏になりますから。』

オレは実を言うと悔しくはあったけれど、後悔なんてしてはいない。青八木と二人で落車したとき、オレはもう二度と走れなくなったっていいし足がちぎれたってよくって、ただただ今泉や、小野田や、鳴子よりも先にゴールを割りたかった。その一瞬ですべてを失ったってかまわなかったし、それくらいオレはあのとき勝利したかった。だって、あのときはそれがオレのすべてだったから、その一瞬がどうしてもほしかったから。ゼロコンマの瞬間が、あのときはオレのこの先の人生や命よりも重たかったのだ。だって、だって。この日のためだけにオレは青八木と走っていた。田所さんと行けるインターハイは今年っきりで、そのためにかけた一瞬をオレは手にしたかった。結果は散々なもので、怪我はなんの致命傷でもない肉離れで、どうせなら粉々に砕かれてしまえばもっとたくさんのものをフッ切れられたのにと思った。後悔はしていなかった。けれど、中途半端な結果と傷しか得られなかった自分に嫌気がさした。夢の舞台は夢のままだ。昨年、無茶をして「もし」を与えられた古賀はインターハイには出られなかった。後悔は、していないのだろうか。オレはしていない、つもり。……なんていうのは嘘っぱちで、オレは実のところ悔いばっかりだ。けれど、やることはすべてやったつもりだったから、惜しむべきことが見つからなくて、ただ呆然と結果を迎え入れるしかなかった。
夏の青さの、なんと切ないこと。


『 昔を思い出すときはありますか。たまに入ったカフェで昔聞いていた音楽が鳴っていると、どうしても過去のことばかり考えてしまいます。ただ、どんなことがあったかは覚えていても、それを受けてどんな気持ちだったかなんてことは、案外思い出せないものですね。こんなことをさびしくおもった今このときも、きっといつかは思い出せなくなってしまうのかもしれません。いつか終わる日までに、忘れたくないと思えるほどの景色や記憶や感情を、一体どれほど蓄え、覚えたままでいられるのでしょうか。』

それは青春の青さに酔いしれてるだけさ、と笑ったのは誰だったか。確かにオレは青春という響きに夢を見ていた。若さだけで、その瞬間を駆けていけるとなんの根拠もなく思っていたし、駆け抜けた日々はいつかかけがえのないものになると思っていた。
例えば、昔というほど前ではないが、中学のときオレは特に目標なんてものもなく自転車にのっていて、いつも一等賞をとっていく今泉が憎くってしょうがなかった。別になにかになりたかったわけじゃなかったけれど、今泉のことは羨ましく感じていて、その時の自分にわかることはといえばそれだけだった。その気持ちが枯れないままに青八木と古賀にあった。古賀が怪我をして自転車に丸一年乗れなくなったことを同情していたら、次はオレと青八木がしばらく自転車に乗れなくなった。オレも青八木も古賀もインターハイをふいにした。オレは後悔なんてしてないふりをしながらも悔しくて悔しくて悔しくって後悔ばっかりだったから、ああきっと古賀もひどく悔いているだろうと思っていた。もちろん青八木も。
オレはまさしくこれが青春と若さだと思っていた。こんなたった一瞬に何年もかけて後悔して、こんなたった一瞬を欲しいがためにぼろぼろになったっていいと思えていて、そうじゃないとオレはこの一瞬を一生ずっと引きずってしまう。たかだか青春を、死ぬまで。楽しいとか、もうそういうことではなくて、そうしなければ気がすまないのだ。だって、まだ、若いから。

そんなオレは未だに青春の真っ只中で、不釣り合いなクライマー、ついでにキャプテンなんて肩書きを背負って苦手で嫌いで、歩いた方が楽だって思えるような坂をのぼっていた。昔よりは速くなった。でもやっぱり苦手だ。オレの前には前年二位が走っていて、これもまたオレにはなんだか似合わない。脚が痙攣して、ひきつって、酸素が足りないのか頭がいたかった。でも、ペダルを踏む足は休めたくなかった。だって、今、無茶をしないと死ぬまで引きずる。オレは身勝手でプライドが高いから、あの頃からちっとも成長してなくって、ロマンチストだから青春に夢を見ていて、夢のような舞台を終わらせたくなくって、だから。

「オレはお前よりも先にゴールを割りたいし、一番をとりたい。そんな未来があってもいいだろ」

そんな青春があったっていい。
ゴールラインはまだ見えない。この坂を登り終えたら明日があるかもわからない。でもそれでもよくって、それは仕方がなくって。だってオレはまた夢ばっかり見ている。山頂をとる夢を見ている。青い頂を独り占めにしたい、その瞬間がほしい。だってだって。その一瞬はオレの明日よりも、オレの命よりも、これから先の長い長いオレの人生よりも重たいものだから。



『青春というのは不思議なもので、いっこうに終わりがなく、今その時と思ったら、なんだかそれこそがはじめての春かのごとく心酔してしまいます。どんなに時を重ねても大事な一瞬は巡ってきて、どうしてもそれにすべてを賭けてしまいます。よくないことだと思っていても、つい。でも、だからこそ、いつも後悔しながらも後悔しない選択をしたいと思うものです。
どうか、忘れがたい青を。』



拝啓 いましかない自分へ。



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