やっと付き合うことができた恋人はたいそう初で、さらに照れ屋で、横にならんで歩くことすら難しい。そもそも足の長さが違うから、先に先に歩かれるとオレはすこし小走りになる。なんのトレーニングだと苦笑すれば、彼は情けなく眉を下げて「スミマセン」と謝るのだ。オーバーワークは良くないからと、各自設けるように告げた休連日という名の自主練禁止日をわざわざ合わせて一緒に帰れる日をつくった。一緒に帰ろうというと今泉は顔を真っ赤に染め、視線を泳がせる。そうしてたっぷりと間を開けてから「ハイ」と返してくれた。 しかしそれももう二ヶ月は前のことで、実際一緒に帰るのはこれで十回目になるかな、というところなのだけれど、彼はまだまだ慣れないみたいだった。

「いーまいーずみ」

先に先にと歩く彼の名前を呼ぶと気持ちだけ、彼の歩幅は小さくなる。オレはその隙を狙ってどうにか横にならんでやろう、とか、あわよくば規則正しく前後に揺れる左手をとって繋いでやろうなどと考えてはいるのだが、オレがワン、ツー、ステップで近づこうとすれば、今泉は逃げるみたいにちょっと大きく歩幅をとって離れてしまう。そんな態度に腹が立たないわけではないけれど、今泉の耳が斜め後ろから見てもわかるほどに真っ赤になっていることに気がついてしまうと怒るに怒れないのだ。オレはしょうがなしにゆらゆらと揺れる左手を諦める。本当は猫じゃらしにじゃれつく猫のように飛び付いてしまいたいのをグッと堪える。こらえて、でも、やっぱりどうにかして構いたいし、構われたいから、オレは、ワン、ツー、ステップで駆け出した足で、もう一度地を蹴って今泉にタックルみたいに抱きついた。

「わ、わ、ちょっと」
「速いんだよ歩くの!競歩かよ!」

冗談めかして言うと、やはり今泉は情けなく眉を下げて「スミマセン」と謝った。しょげた犬みたいで可愛らしい。腰に回した腕に力を込めると、歩けないんで離してくださいと心底参った声が降りてくる。オレは今泉の体温をすこし名残惜しく思いながらも解放してやった。帰りたくないわけではないのだ。そう、ただちょっと一緒に並んで歩きたいだけで。

隣に並んで歩きたいのにはわけがあった。そりゃあ、好きだから、という曖昧であり単純明快な理由が大部分をしめているのだけれど、それにプラスして、オレは今泉の横顔を眺めることがことさら好きだからという理由もあって。今まで一緒に帰りはしても、今泉の斜め後ろばかり。うなじや、真っ赤になった耳ばかりみて歩いているので、もうそろそろ、その端正な横顔がみたいなあ、などと思ったり。睫毛がきれいに揃ってるな、とか、カッターで切ったみたいな、スッとした目尻が涼しげだな、とか、鼻が高いな、とか、そういうのを時々盗み見ながら歩きたいのだ、オレとしては。しかし今泉は未だに照れ臭さが抜けないようで、オレは今回も今泉の背を追いかけるみたいに早足で歩く。

一緒に帰るようになって四ヶ月が経とうとする頃に変化がひとつ。その日の部活は個人練習で各自タイムを測った。オレは今泉の背中も見えないくらいに離されて、「まあこんなもんだろうな」「ちくしょうくそったれ」と二つの気持ちを抱きかかえて部活を終えた。今泉をおいて先に帰りたいような気持ちと、やっぱり一緒に帰るくらいはしたい気持ちをぐちゃぐちゃに混ぜ会わせながらのろのろと後片付けをする。いっそ帰り支度なんて終わらなければいいのに、なんてところに今泉がおずおずと声をかけてきた。

「手嶋さん、あの」

耳も頬も、首筋まで真っ赤かだ。そんな今泉を見ちゃったら、オレは表情の筋肉をとかして、なんだと言って笑いかけてしまう。今泉が口を開いて、閉じて、考えてから。

「一緒に帰りましょう」

いいよ、と言う以外に答えなど持たなかった。

別に誘われなくても一緒に帰ると決めている手前、結局は一緒に帰るのだけど、今泉から帰ろうと誘ってくるのは珍しかった。きっと初めてに近い。これはもしや何かあるかと勘ぐっていると、校門を出て、バス道を逸れ、人のいない道をと探しだした、舗装もされていない土が踏みしめられた道を歩いて数分。いつもより今泉の歩調がゆったりとしていた。お、と思って駆け寄る。ワン、ツー、ステップで、なんと今泉の横に並べてしまった。オレの目は驚きに丸くなる。ひらり、ひらりと揺れる左手にオレの右手を近づけると、今泉から繋いできた。オレはまたビックリする。はじめて手を繋いだのだ、そりゃあ、驚きもする。今泉の手のひらはひんやり、しっとりしていて、「あ、こいつ緊張してら」なんて。一体どんな顔でオレの手を握ってるのかが気になってオレはちょっと腰を曲げて屈んだ姿勢で、ローアングルから今泉を見上げるとそれはもう林檎も顔負け!茹でた蛸も裸足で逃げ出すほどにまっかっか。

「今泉って赤面症?」
「知りませんよ」
「真っ赤になってもお顔はきれい」
「からかわないてください」

オレは今泉が可愛らしくてしょうがなくて、練習では背中も追えなかった悔しさとか惨めさとかは一先ず置いておいて、後輩の今泉ではなく、恋人の今泉にじゃれつくことに専念した。

「な、な。お手ても繋げたことだし、キスのひとつくれやしませんかね」

真っ赤になっても端正な横顔をにやにや眺めながらいってみる。すると今泉は肩をはねあげて、「そんなことまだできるわけないでしょう!」なんて悲鳴みたいな声をあげた。そのわりに左手は繋がれたままで、むしろ握る手のひらに力がこもったように思える。まあそうだよなあ、とオレはあっさり諦める。横に並べて、手も繋げて大進歩。オレがステップを踏むことももうなくなるかも?それはそれですこし寂しいかも。

「で、さ。今泉はなんでこんなに大サービスなの?いつも避けるのに」

さすがにこれくらいは答えてくれるかなと問いかけてみたら今泉はだんまり。だめかな、ちらり、また今泉の横顔を盗むように見ると視線があった。ばつが悪そうな表情。

「目標タイムいったら、がんばろうとおもったんです」

だんだんと尻すぼみになる声に、かわいらしい、いい男だなと贔屓目なしに思ってしまう。好きだなあ、こいつに恋してよかったなあ、今日手を繋げてよかったなあ。オレは満たされた気持ちのままに、そっか、と返してやる。でも欲張りだから、そのあとに一言付け加えてしまう。

「じゃあ次目標出せたらキスかな」

そんなこと!って、また叫ばれるかと思ったけれど、今泉は小さな声で「頑張ります」と返してくれた。その時はオレもお前の背中くらい追えるようになっておきたい。先輩の意地もあるけれど、恋人としても今泉の一瞬一瞬に恋できるように。今泉がオレとじゃれあう努力をしてくれたように、オレだって今泉をちゃんとずっと視界にいれておける努力をしなくてはいけないのだ。二人で一緒に恋し続けられるように。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -