些細な言い合いはよくあることで、そのたびになんでこんなヤツと一緒に住んでるんだと考えて、それでも同じベッドで寝て、朝を迎えて、それぞれの仕事に向かう。

家のことは分担でする話だったけれど、朝は中途半端な時間から夜は日が変わる三時間前(酷ければ二時間前だ)に帰宅するオレよりも、朝早くに出ておおよそ夕方の終わりに帰ってくる元希さんのほうが家にいる時間が多く、いつしか元希さんがほとんどのことをするようになっていた。

ゴミ出しも洗濯も料理も元希さんがするので、オレはトイレ掃除とか、風呂掃除とか、洗い物なんていうやってもらったことの後片付けをするようになった。元希さんがシーズン中でろくろく家に帰らないときは家はただの寝床で飯は外で済ませるし風呂はシャワーで終わる。プロ野球選手を家政婦みたいに使っているのはきっと世界でオレだけだろう。してもらっているいろいろを家賃なんかで返せれば一番よかったのだけれど、この家は元希さんが買った家なので家賃なんてものはないし、水道も電気もガスも元希さんの口座から引き落とされるようになっている。

元希さんは夜更かしなんて滅多にしないのでオレと顔を付き合わせるのは一時間ほどしかない。帰ってすぐに元希さんが作ってくれた飯を食べ、元希さんはオレが飯を食い終わるのをオレの前に座って話したり笑ったりバカにしたりしながら見ている、その一時間だけオレは元希さんと顔をあわせる。



その日、オレは泥のように疲れていて、だから、泥のように眠りたかった。家に帰ったら一番に風呂に入りたかったし、飯も食わずに寝たかった。けれど、家につくとやはり飯は用意されていて、元希さんは柔軟をしながらオレを待っていた。風呂上がりなのかほのかにシャンプーの匂いがして、オレも風呂に入りてえなあと思う。しかし風呂に入ればすぐに寝てしまうことは確かで、そうするとせっかく用意された飯に申し訳がなく、重たい身体を引きずってテーブルについた。

塩鯖にキャベツの味噌汁、白米とだし巻き玉子と納豆と漬け物、サラダとヨーグルトが並ぶ食卓に「朝飯かよ」と口のなかだけで呟く。箸をとって味噌汁をすすると元希さんは柔軟をやめてオレの前に座るとなにが面白いのかにこにこと話し出した。「洗濯とかしてたら簡単なもんばっかになっちまったけど漬け物はオレが漬けたんだぜ!」と誇らしげに言うので、オレは「あーはいはいそうなんですかすごいですね美味しいですよ」と米をかみながら返した。

「な、タカヤ!そろそろお前オレがいなきゃダメだろ」

言われたことは元希さんのいつもと変わらない馬鹿げた台詞ではあったのだけれど、この日はともかく疲れていた。ぶっちゃけオレは飯なんかよりも風呂に入ってはやく寝たくって、でもそういう気持ちを押さえて今飯を食っていて、元希さんがいなけりゃオレは今ごろ風呂はいって寝れてたんだよ!と思う気持ちがつい、本当につい。

「ざっけんな気持ちワリィ」

吐き捨てると元希さんの目が真ん丸になり、すぐにスウッと冴える。睨むなんてものじゃなく射抜くようになった瞳をオレは無感動に眺めて、また吐き捨てる。

「アンタがいないほうがオレはもっと楽できンですよ」

元希さんは長い沈黙のあとに「あっそ」と吐いて寝室へと消えていった。オレは残った飯を平らげて洗い物をし、風呂に入ってやっと言い過ぎたなと気がついた。でも些細な言い合いはよくあることで、だからきっと朝になって夜になれば元通りだろうと気楽に考える。元希さんの横たわるベッドに潜り込んでようやく睡眠にありついた。



目が覚めると元希さんはいなかった。これはいつも通りだ。しかし朝飯がなかった。いつもなら一膳用意されているはずなのに今日はなんにもなかった。しょうがなしにその日はコンビニでパンとおにぎりを買って会社で食べた。仕事を終えて家に帰ると、めずらしいことに家のなかが暗かった。元希さんがまだ帰っていないのかもしれないと思ったけれど、時刻は日付が変わる二時間前で、かといって先に寝たというのも考えられなかった。まず人の気配がない、いや、それより靴がない。

元希さんが帰ってこなかった。

昨日の言い合いを思い出す。アンタがいない方がオレはもっと楽できンですよ。そんなことを言ったから出ていったのだろうか。ここはあの人の家なのに。当たり前だが飯なんてものはないし、風呂に湯もはられていない。仕方がなしに、オレはコンビニに飯を買いに行った。戻った家に当然ながら元希さんは居らず、買ってきた飯をさっさと食って、シャワーを浴び、広すぎるベッドで寝た。

朝がきたからといって元希さんが帰ってきてるわけもなく、当然飯もなかった。オレは顔を洗って髭を剃って会社にいく。仕事中は元希さんなことをさっぱりと忘れていたが帰宅時間になって思いだし、念のために晩飯になるようなインスタントを2つ買った。ラーメンとうどんだ。帰ってきてて飯があるならそれ食えばいいし、帰ってきてて飯がないなら元希さんにラーメンかうどんか選ばせてやろう。もし帰ってきてなかったら今日はラーメンで明日はうどんだ。──なんて、寛容なことを考えていたのにラーメンもうどんもオレが食うことになった。

元希さんは相変わらず帰ってこないまま四日も経とうとしていて、気がつけば家のなかはずいぶんと荒れ果てた。洗濯物は溜まるし、ゴミは溜まるし、ついでにいうと電子レンジが壊れた。洗濯物は洗剤の場所がわからなかった。

元希さんがシーズン中のときみたいにランドリーにいけばいいのだが荒れ果てた家を見るとそんな気力もわかずにそのままだ。

ゴミが溜まるのはゴミだしの日がわからないからだ。いつも元希さんのほうが朝早くに出るためにゴミを持っていく。オレの通勤路はゴミ捨て場と逆方向なのでいつがなんのゴミの日かを無意識に把握することなんてないし、そもそも曜日感覚がないオレにいつがなんの日なんて知るわけがない。元希さんがいないときはゴミを出さないように過ごしているが今回はインスタント麺の残骸と諸事情で出てしまった生ゴミとガラス片がある。それらすべてが違うゴミであることはわかるがどれがどの日でどの袋かなんてのはやっぱりオレにはわからなかった。

電子レンジが壊れたのは茹で卵を作ろうとしたからだ。冷蔵庫のなかに期限の危ない卵が3つもあって、とりあえず茹で卵にすりゃいいか、と電子レンジに突っ込んだら爆発した。それに驚いて、焦って、とりあえず落ち着こうコーヒーを入れようと思い立ったが、インスタントコーヒーが見つからない。どこにあるんだ、といろんな棚を漁ってたら食器棚の上から落ちてきた。死ぬかと思った。落ちたインスタントコーヒーは床に強く叩きつけられ、瓶は割れて中身は錯乱し、卵の黄身とコーヒーが彩る絨毯を眺めながらもうなにかをしようとするのはやめようと決めた。ゴミが生まれただけだった。

そんなこんなでオレは四日間を生ききったが、四日間だけでなんてザマだろう。元希さんがいなけりゃ楽ができるとおもったのは別に全くの嘘ではないし本心で言ったところもある。なにせあの人は面倒くさいしうるさい。けれど別にオレはここまで家を引っ掻き回すつもりもなかった。

五日目の晩、やっぱり家のなかは暗く、元希さんが帰っていないことが知れる。オレは玄関で電気をつけようか少し迷う。電気をつけたら荒れた部屋とご対面することになる。それは嫌だ。見るだけでなんだか疲れる。結局、電気はつけないままに靴を脱いで部屋に上がる。もうリビングにいくのはよして、シャワーして寝室。そう決めてネクタイを緩める。ハァ、と重たいため息をひとつ落としたとき、背後でガチャガチャと騒々しく錠が落ちる音がした。思わず肩をはねあげる。ゆっくりと振り向くのと扉が開くのは同時だった。バッチリと目が合う。元希さんだ。

「お、タカヤ」
「元希さん、」
「ただいま、なんで電気つけてねーの」
「おかえりなさい、いや、ちょっと」

言い淀むオレをよそに、元希さんはパチッと音をたてて部屋の電気をつけた。真っ暗な空間は一瞬で混沌とした部屋を照らす。

「うわ」

元希さんが声をもらした。ちょっと呆れた声色は、しかしなんだか楽しそうにも聞こえる。オレはといえばバツが悪くてなんの言いわけもでてこなかった。だって言えるわけがない。洗剤の場所がわからなかっただとか、ゴミの曜日を知らないとか、電子レンジに卵突っ込んだら爆発したとか、コーヒーのある場所すらもわからなかった、とか。本当に元希さんがいなけりゃダメみたいで。けれど元希さんの家を散らかしたのは確かにオレなので、すみませんでしたと非常に小さな声で伝えた。すると、元希さんの瞳がいつかのように真ん丸になり、ゆっくりと細められる。唇が弧をかいて、歯を見せる。ニッと音がしそうな笑みが膨れ、ついに元希さんは声をあげて笑った。

「ほらみろ!やっぱりオレがいたほうがいいだろ」

この部屋を前に、そんなことないです、なんていっても説得力など欠片もないなんて、さすがのオレでもよくわかる。まずは片付けっか!と上機嫌な元希さんに「はい」と返すことしかできなかった。




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