黄瀬涼太という男の話をしましょう。黄瀬涼太という男は欲しがり屋さんでした。彼はいつもなにかを欲しがっていました。"なにか"というのを特定することはできません。欲しがるくせに、なにが欲しいかを明確にすることができなかったからです。なぜ、明確にすることができなかったかというと、彼は望まないものは容易く手に入れることができたために(それは、運動神経だとか、落ちこぼれないための頭脳だとか、整った容姿だとか、可愛らしい女の子の声援、だとか、)欲しがる必要がなかったからです。それ以外のものがいいのです。

黄瀬涼太は、自分では手に入れられないものを欲しがったのです。なにかはわかりません、とにかく、容易く手に入れられないものが欲しかったのです。


中学生、桜の下で撮った記念写真はひどく白けて見えました。まるで積雪の中での撮影だったかのように、誰も彼もが強張った顔をしていました。くだらなく思えて買うこともしなかった記念写真に写り込んだ人たちの名前と顔を、彼はついに覚えることはなく、学年がひとつ上がりクラスが変わりました。

二年目、同じように桜の下で撮った写真もやはり白く白く見えました。けれど、写真の端に写り込んだ極彩色が目に止まったので。

彼は二年目にして集合写真をはじめて購入しました。

夏に変わった出会いがありました。彼は未だに「自分が容易く得られないなにか」を見つけることができておらず、乾いた日々を垂れ流していました。しかし、このときの、出会いで、ひとつの光を見つけました。写り込んだ極彩色と、それよりすこし薄い青。二色との出会いは彼にとっては劇的なものでした。一生モノで、何よりも変えがたいもののようにすら感じていました。青色の光は遠く、強く、直視もできず、水色の光は淡く、薄く、探すのに難しく、欲しがっていたものはこれだったのかと、泣き出しそうになりました。毎朝毎夜、夢に見るように考え続け、追い続けました。欲しがった全てが、整備された体育館の中に全部あったのです。その時は、そのように感じられたのです。

しかしながら、三年目の春に欲しがった全てはなくなりました。夢に見て追い続けたものも、同じくなくなりました。整備された体育館は、くだけた表情ばかりが並ぶ記念写真よりも空寒く感じられました。黄瀬涼太は、大体のものを失くしたあとに、一体全体自分は何が欲しかったのかと考えました。うんうんと唸り首をひねりました。彼は、体育館を駆け回る二人が好きでした。試合の中で、コツンと拳を合わせているのを見るのが好きでした。二人が好きでした。二人が好きなのに、二人の輪を壊せないもどかしさが好きでした。青色にも水色にもなれない自分が好きでした。自分が好きになれる環境が好きでした。ずっと追いかけても追いつけない距離が好きでした。ここまで考えて、彼は、あの二人が同じ空間にいることも、体育館を駆け回ることも、拳を付き合わせることも、追いかけるものがあったことも、自分が好きでいられる環境も、すべてがなくなったのだと理解しました。欲しがることもできなくなってしまったことに気づくとともに、手に入れたものはいつかなくなることにも気がついてしまったのでした。

「そっか」

呟いた声も、気づかぬ間に消えてしまったのでした。

***

「で、それが?」
「いや、なんとなく言ってみたくなっただけっス。黒子っちも青峰っちも、スゲェ好きだったんだなって今話してちょっと恥ずかしくなったけど」
「おう」
センパイが怪訝な表情でオレを一瞥し、興味をなくしたように背をむけた。一番近くに転がっていたバスケットボールを拾い上げると、ダン、ダン、と軽くドリブルをする。だんだんと歩幅を広げ、速度をあげてゴールに近づくとそのままレイアップシュートを決めた。ザン、と涼しい音が耳に届く。

あのね、センパイ。頼りない声が出たなあ、と黄瀬は人ごとのように思っていた。呼ばれたセンパイは右眉を吊り上げてオレを振り返るも、またすぐに視線を外し、転がっていったボールを拾いに行く。ボールを手にしてやっと、身体ごとこちらに向けたセンパイは、じっとオレを見つめて口を開いた。
「なんだ」
しっかりと返事を返してくれるところが、センパイのいいところだ。なにせ中学の頃はみんな瞳で促すような曲がりくねった人間ばかりだったので。その点、センパイは、真っ直ぐだし、理論よりも情に生きるタイプかと思いきや意外に生真面目で、緑間っちと近いようでいて、彼よりはうんと素直で、ひねくれていなくて、それで、そう、大人だ。
「いや、別に、なんでもないんですけど」
「お前、メンドクセーなシバくぞ。」
「やっス」
「なにに落ち込んでんのかしんねーけど、凄まじくどうでもいいな」
「可愛い後輩が泣いちゃいますよ」
ダン、ダン、センパイがボールをつく。足の裏からびりびりと伝わってくる振動を踏み潰すようにしてセンパイに近づく。
ダンッ、
一際強くつかれたボールに足がとまる。センパイは跳ね返ってきたボールを抱きしめると、チッとひとつ舌を打った。
「泣けよ」
オレはセンパイの言葉に何も返せない。センパイは抱きしめたボールをオレに投げてよこす。いきなり飛んできたボールを反射的に受け取る。
「お前のこと、うざいわ、うるさいわ、面倒だわ、むかつくわ、馬鹿だわって、いろいろ思ってたけど、本っ当にばかだなあ」
「おお、ひどい言われようっスね」
「馬鹿だなあ」
もう一度、しみじみというように呟いて、センパイはからからと笑った。
「中学の頃が楽しかったのも、スゲー大事だったのも、夢みたいに充実した毎日だったのも、黒子と青峰とやらが大事だったのも、そもそもお前が何かを欲しがったのも、オレにしちゃあ、結構どうでもいいんだけどよ、でも、ちげぇだろうが。別に、なくなってなんかねぇだろう。全部、大事だったって時間として存在してんじゃねぇか」
「……すげえ綺麗事っスね」
「ふうん、まあ、どうでもいいけど」
センパイがニイと笑う。軽い足取りでオレに近づいたと思ったらぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜられる。
「わ、わ、」
「すかした面して、青春してんなあ」
「ちょっと、センパイ」
引き剥がすようにセンパイの手を弾くと、センパイはあさっりと手を引いた。未だに機嫌の良さそうな表情で、すこし気味の悪さすら感じる。そんなオレをよそにセンパイはオレの腕の中にとりあえず居座っているボールを奪うと、またダン、ダン、とボールをつく。駆け出して、そのままゴールリングにシュートを決める。またゴールネットの涼しい音が耳に届く。
「黄瀬、お前がさ、欲しがってる言葉、くれてやろうか」
勝気な声でいう。コートの隅に広がったボールを追いかけて、拾い上げたかと思えば、センパイはまたボールをオレに投げてよこす。黄瀬、とセンパイが叫ぶ。そんなに大声を上げなくても聞こえているのに。
「お前が大事なモンたくさん抱えすぎて不安になってんものわかるけどな、オレにまでンなもん押し付けんなよ。オレはお前の希望通りに動いてやるやつじゃねぇけど、すぐに消えたりするようなヤワなやつでもねぇよ。なあ、黄瀬、ちゃんとずっといてやるよ」
受け取ったボールは、オレの手のひらに収まった。すこしだけ屈んで、伸び上げる、体育館の床を蹴って、浮き上がった身体、ゆっくりと送り出したボールは指先から離れてゴールリングをくぐった。涼しい音が体育館に響く。チラリとセンパイを見やると、センパイは満足そうに笑っていた。




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