世界は廻る。くるくる廻る。誰にも等しく、自分自身を軸にしてくるくる、くるくる。毎日は正しく二十四時間、誰しもに平等に訪れる。オレがオレ以外の誰かではないという以外では、この世界はおそらく、きっと平等なのであろうと、思うだけ思っている。しかし、感情としては別で、少し不公平なんじゃないかなあ、とも思っている。不公平という言葉を覚えたのはたしか小学生の時で、何々先生がだれだれ君のことをエコヒーキしてテストの採点が甘いだの、持ち物検査で少しおおめに見てやってるだのと言う根も葉もない僻みに使われていたのが最初。そこから中学校に上がって、「持ってるやつは持ってるよな」という諦めとか羨望を含む(ただしとびきり厭味ったらしい)それで使用されることが多くなった言葉。

実はいうと、中学校までは高尾和成自身も「持っているやつ」の一人であったし、「エコヒーキ」される側の人間でいた。なにせ愛想がよく、きゃらきゃらと笑い、波風立てず、ありていに言えば子供らしい大人であった。周囲によく目を配る、さりげなくなにかしてやる、先生からもクラスメイトからも評判のいい高尾和成君であったのだ。ただ、そんな高尾和成君というキャラクターであっても、なにかにつけ不満をもつことはあって。たとえば妬みや嫉みなどとは無縁で「みんなちがってみんないい、でいいんじゃねぇの?」とどこぞの詩人のようなことを言いこそすれ、くだらない、だとか、馬鹿らしい、と思う事もあり。つまるところ、少し周りが見えすぎてしまっているが故に、その分だけ冷めた子どもとなってしまっていたのだった。子どもらしい大人。子どものふりをした、大人の心をもったつもりでいる、子どもだったのだ。

高校に上がって、高尾は「本当に持ってる男」にあった。その持ってるというのは変な小物でもなければ、まして常識でもなかった。たしかに変な小物は持っているけれど、男は常識を少々持ち合わせていなかった。まあ、それは今のところあまり関係のない話であるので割愛させて頂くが、高校生になって高尾はとにかく「持っている男」に出会った。容姿を、頭脳を、才能を、運を、まるで神様を背後につけているのではないかというくらいずるい男に出会った。出会ってから、ずるい、と思う事が増えた。はたして、ずるい、というのはどのような時に使う言葉であったのかすらもおぼろになるくらいに強く感じるようになった。彼がなにかを口にするたびにずるいと思うようにすらなった。とくになんの変哲もない、例えば、「X=3ですよ」というような言葉にまでずるいと思う様になった。ずるい、とは。高尾はそればかり考えて、中学の時の「みんなちがってみんないいんじゃねぇの?」という言葉を思い浮かべる。その時はそれで気持ちが凪ぐのだけれど、また彼が何か言葉を発するたびに、腕をあげるごとに、足を踏み出すたびに、ずりぃの、なんて妹に母を取られた幼子のように思ってしまうのだった。

あまり好きではなかったように思う。彼こと緑間真太郎は有名人だった。高尾が知らないだけで、緑間の名前はバスケットボールの世界に知れ渡っていた。キセキの世代と呼ばれている彼らはバスケットボール界隈で知らない者はいないそうで、しかし、高尾はバスケットボールを何年としていたけれど、彼らのことは耳に入れる程度でまったく知らなかった。そういえば月バスで見た気がする、とかそのようなものだった。なにせ、高尾は自分自身を軸にした世界を廻すのに大層励んでいたもので、自分自身の視野に入りきらぬものに割く時間はとんとなかったのである。

好きではなかった、というと語弊がある。一時期、高尾は緑間含むキセキの世代がそれはもう嫌いであった。怖かった、という方が正しいかもしれないけれど、高尾に言わせれば「嫌いだった」の一言である。緑間真太郎は同じ部活の同じクラスであった。高校にあがったからといって高尾和成君というキャラクターは崩れないし、よくわからない男はそれなりに高尾を楽しませた。そんなことを本気でする奴がいるのかと腹を抱えて笑うと、緑間は大層心外そうな表情をした。それも高尾から見たら面白く見えた。ただ、それは彼の「持っている」ところを除いての話である。彼はひどくずるい男であった。もちろんそれは高尾の中での話であるのだけれど、彼は周囲から認められる天才であったし、秀才でもあった。輝かしいばかりの称号をぴくりとも表情筋を動かすことなく受け入れる緑間はいささか気に食わなかったし、可愛げのないやつだとも思った。文句や陰口ですら涼しげな表情で聞き入れてしまうのも、気に食わないでいた。

他にも、高尾が緑間を嫌いな理由はあった。人間、得体のしれないものはこわい。つまりはそういうことであった。一度練習試合で、緑間以外のキセキの世代にあった。黒子テツヤという男と、黄瀬涼太という男、どちらも、言葉で表すならば気味が悪かった。キセキの世代とはこのような者ばかりなのかと思うほど。なにせ黒子の瞳には水面が漂っていたし、黄瀬の瞳には高原がひそんでいたのだから。そうでなくても彼らは周りに溶け切れず、いささか浮遊し、存在を主張する割には何者も近づけないようにと繊細に注意を払うのだから、高尾には理解が出来なかった。こと、緑間真太郎の瞳には星が住んでいた。金平糖のような棘の多い星は、彼が瞬きをするたびにぽろぽろと零れ落ち、高尾の眼を眩ませた。

仲がいいように見えるらしい高尾と緑間の関係は、当人たちの間では仲良くなどなかった。緑間も高尾もあくまで自分の世界の中で動いていて、その視界に互いが入り込んだに過ぎなかった。緑間の場合、視界に入っていたかどうかも怪しいのだけれど、眼鏡のレンズに高尾のいやにニヒルな顔が反射したのだから、視界に入りこんだと言っても別段問題はないだろう。世間一般で言う仲良しとは程遠かった。ともに活動はするけれど、なにかを共有したことはなかった。

因果とでも言おうものか。高尾と緑間のポジションはぐるぐると糸で巻き付けられたかのように互いを必要とするもので、高尾は少なからずそれが面白くない。彼は天才のくせに、努力を怠らず、せっせとボールを空へ運ぶ。その先には一体なにがあるのか、見当もつかないでいた。上がったボールはむなしく落ちる。高く上げて落とすだけなのに、決して緑間と同じことができないという事実が高尾にまた「ずるい」と思わせた。緑間が焼ける空など気にもせずにせっせとボールを投げるのに飽いて、高尾もボールで遊びだす。今日の練習はロードワークとゲームの半分ずつで、たまらなく疲れていた。できることなら座っていたいが、先述のように、それには飽きがやってきていた。なので、緑間が投げて寂しく転がったボールを拾い、戯れにドリブルをしながら緑間と背を合わせて立った。丁度反対側のゴールを見据える位置。ハーフラインから、きっといつも緑間が見ているであろう景色を見据える。コートはひどく広く見えたし、ゴールはとても遠くに見えた。後ろでゴールネットが小気味よく鳴る。緑間真太郎という男はシュートを外さない。重たい腕を上げてボールを投げた。疲れきった腕に放られたボールはへろへろとあがり、情けなく落ちた。ゴールからは遠く、ネットが揺れるわけもなかった。後ろではまだゴールネットが揺れる涼しげな音がしている。




* * * * * *



「お前らホモなの?」
「ふへ?」

にこにこと笑いながら苛立ちをあらわにする宮地に高尾は間抜けな声をだす。宮地の視線は休憩だという指示が入ったにもかかわらず独自の基礎体力向上メニューをこなす緑間がいた。部員全員が同じようにバテて息を乱しているのに、緑間一人まるで参加していなかったかのように、まるでずっとこのメニューをこなしていましたよ、とでもいうように淡々と基礎作りをしている。アイツあんなにスタミナあんのにこれ以上どんな基礎が必要だっていうんだ、というのは部員全員の言葉である。緑間は部員全員から恐らくではあるが顰蹙を買っているであろうし、好かれてはいないであろうし、ある意味おそれられているだろうけれど、なにも被害がないのは彼を怒らせてわが身が無事でいられるかがわからないからだろう。彼の体はアスリートにふさわしく立派に育っている。筋力だって、あんなにわけのわからないシュートをするのだからそりゃあ、あるだろう。体力だってある。彼が激昂して、力いっぱいに己の柔い腹など殴りでもすれば一溜りもないことは、どんな愚者でもわかることであった。宮地の視線を追って、高尾も緑間を視界に移す。もし自分が言われたらすげぇ嫌な気持ちになるだろうなあと思わせるくらいにつまらないトレーニングだ。基本、ゲーム以外が地味で面白みのないトレーニングの方が多いため、基礎が大事なことは理解していても、進んでやろうとは思わない。こんなところでも、高尾は緑間が理解できなかった。

「ホモ?なんでそうなるんすか」
「あー?お前らあんだけべたべたしておいて友達とか、ねぇだろ」
「友達ですらないっすよ、」

高尾が苦笑まじりで返すのに、宮地は珍しく目を丸くした。にこにこと笑うでもなく素直に驚いた。

「ただ一緒にいるだけなんで」
「ふうん」

答えた高尾の声がひどく素っ気なかったのに、宮地は丸くした目を細めて適当な相槌をかえした。





* * * * * *




「冷たいおしるこがないのだよ」

そりゃあ、当たり前だろう、緑間よ。ひどく生真面目な声で神経質そうに言う緑間に、高尾はへなへなと頽れた。だれがこんな真夏に運動をした後でしるこなんぞ飲もうものか。先輩命令で買ってきた部員全員分のスポーツドリンクを一瞥してそんな馬鹿な事をのべる。今回、飲み物を買いに行かされたのはミニゲームで負けた一年生だ。今回は高尾のいたチームが負けた。二軍を育てるからと、珍しくも一軍入りを果たしている一年二人を別々のチームに配し、ミニゲームをさせる。もちろんこのゲームで緑間が負けることはなく、高尾と組むチームばかりが負ける。なにせ、彼の良くわからないまでもずるいと感じさせる超人的なシュートを止められる人物がいないので。投げられたら三点入る、とんだ痛手である。だがしかし、トレーニングとして有益なのは高尾チームである。緑間がチームに加わると、いくじのないやつらは緑間にすがって終るのでまったくと動けない。高尾チームはハキハキと指示が出る分動きやすいうえに、緑間という強敵がおあつらえになっていて点こそ取れないがチームの団結と個々の動きの確認にはもってこいである。また、誰も言葉にこそしないが、ストレスが少ないのも高尾チームの方だろう。ローテーションで組まれるチームで、おおよその性格や特性、苦手な分野、得意な分野が浮き彫りになってきた。もちろん、その中でも緑間に苦手などという文字は見受けられず、高尾は高校に上がって何度目かの「ずるい」を執行する。

「おしるこがないなど、」
「まあまあ、今日はスポドリで勘弁してよ」
「……ふん」

今にも舌をうちそうな表情でスポーツドリンクのキャップを開ける緑間に、舌をうちたいのはこっちだと、高尾は胸中で深く息を落とした。




* * * * * *



高尾が「嫌いじゃないかもしれない」と思ったのは誠凛に試合で負けた次の日。緑間はまた夜遅くまでもくもくと練習を繰り返していた。同じことばかりでもはや練習ではなく作業のようで、高尾はいつかと同じように、緑間のその作業に飽いていた、今日の練習も疲れたもんだ、なんてぼんやりと思いながら緑間にパスを渡していた。適当にドリブルをして、見計らってパスを投げる。いつの日からか、高尾の体力もそれなりにあがっていた。なぜか、というのを高尾が考えることはしない。ふと、そういえば、と思ったことを高尾が口にのせる。高尾の口は軽く、思っていない事はスラスラと出てくるので、二人の間にはあまり沈黙というものが存在しなかった。今日も高尾の声で沈黙は破られる。

「真ちゃん、あれが初の敗戦だったりして?」
「……」
「おーい、真ちゃんってば」
「そんなわけないだろう」

てっきり。高尾は「それがどうした」とか、そういった類の言葉が返ってくるだろうと予想していたので、非常に驚いた。ああ、やっぱり?と言いかけて空気を飲むほどに虚をつかれてしまって、うぐっ、と変な声をあげた。

「なんなのだよ」

少しすねたように言う緑間に、高尾はパタパタと瞬きを繰り返した。高尾の動きがハタ、と止まってしまったことで、緑間の眉間にグ、としわが刻まれる。不満げに視線を投げて、はやくボールをまわせと告げてくる。高尾はそんな緑間の視線を無視してボールをまったくと関係のないところに投げた。

「おい!高尾!」
「へ、え、緑間負けたことあったの?」
「当たり前だろう、むしろ勝ちたいと思った試合に勝てたためしがないのだよ」

それがどうした、と言わんばかりの態度に、高尾はなんと返していいのかがわからなくなってしまった。緑間という男は、すべて我が儘というような男で、例えば練習後におしるこがないと文句を言うような男で、わけのわからない物をグーかチョキかパーかのたった三つの選択肢の末、人にひかせてしまうような男で、誰もが認める天才で、秀才で、負けという言葉が似合わない男で、とにかくずるい男なのだ。そういう男のはずなのだ。それなのに、この男は勝ちを知らないという。不公平だと騒ぎたくなるような男は、世界など平等ではなどではないと言ってのけるように。

「なあ、緑間はさ、ずるいって思ったことある?」
「なんなのだよ」
「いいから答えるのだよ」
「マネをするな。あるに決まっているだろう」
「……へぇ」

高尾は緑間と視線を合わせた。パチリと合わせた視線。緑間の瞳の中には星が住んでいた。棘の多い、金平糖のような星だ。いいからパスを、と緑間が言うので、てんで関係の無いところに放り投げたボールを拾いに行き、緑間に投げる。緑間はなんなくそれを受け取り軽い動作でゴールを決めた。瞳を伏せて零れ落ちた星を高尾の瞳が追いかける。

「ずるいと思うことはある、けれど、ずるいと思うものがあるならば、それを手にする方法を模索するのが人事というものだろう」
「うん、どゆこと」
「これだからバカ尾は。ずるい、というのはうらやましいという事だろう。人は大方平等な世界で生きている。人事を尽くせば運命は得られる。ずるいと思って自分の欲がどこにあるのかがわかるだけ、俺たちは恵まれている」

高尾には緑間のいうことが分からなかった。あんまりにも純粋すぎた。それは違うと言ってやりたかった。緑間という男はずるい、すべてをもっているくせに、もっともっとと望んでいて、手に入るものは当然という様に受け入れる。手に入らないものにだって、その事実を当然として受け入れる。その姿勢がずるい。そんなことを思えてしまうのはずるい、そんな生きやすい世界に住んでいるなんてずるい。けれど、嫌いかもしれないとは思わなくなった。この時、この瞬間から、緑間真太郎という男は、高尾の中で不可解な者ではなくなった。なんとはなしに世界が合致した気がしたので。言っている事は分からないが見ている世界が分かってしまった。

高尾が中学生の頃にいっていた、みんな違ってみんないい、楽しかったらそれでいい。そんな世界を緑間真太郎という男は抱えていた。些細な違いはあれど、自分を軸にぐるぐると世界を廻す男は、繊細で純粋で直向きで、ただそれだけなのだと理解した。不平等さを当然としているのだと、それはいつかどうにかなるのだと。可哀想だとも愉快だとも感じられた。高尾はニイと笑う。多分、緑間に見せる初めての純粋な笑顔だ。緑間は気がついていたようで、怪訝な顔をして見せる。

「気味が悪いのだよ」
「まあ、そういうなって、なあ、オレが真ちゃんを勝たしてやんよ」
「いらん」

緑間はきっと今もなにかにずるいずるいと思い続けている。勝ちたいとなにかに願い続けている。高尾は緑間の思う「なにか」を当然ながら知る由もないし、知る気もない。それに今でも緑間はずるい男だと思っている。けれど、不思議とそれでもいいと思えている。緑間の瞳には星が住む。金平糖のような棘の多い、ひどく甘そうな星だ。その星の棘を、高尾は少しでもとってやりたいと思う。丸く丸くしてやりたいと。

世界は廻る。くるくる廻る。誰にも等しく、自分自身を軸にしてくるくる、くるくる。毎日は正しく二十四時間、誰しもに平等に訪れる。明日も明後日もずっと、なにかをあきらめない限り、ぐるぐる。




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