ずっと二人を見ていたのだから知っている。ずっと、というのは語弊があるかもしれない。ベル坊が男鹿と古市に出会ったのは二人がもう十も五つをすぎた頃だった。まだ青く若い歳であるはずなのに、その頃にはすでにとても狭い世界を作り上げていた。そんな世界を、ベル坊は出会ってから今の今まで離れることなく見続けていた。

古市ゆきは弱くて残念で白い少女だった。けれど、なんとなく強かでいて、元気のいい女であった。彼女は男鹿のことが好きだった。恋愛の意味で男鹿のことを好いていたし、好きだという感情を隠すこともなかった。明けても暮れても男鹿の目を見て好きだと言っては恥ずかしそうにはにかんでいた。ヒルダと男鹿との仲が騒がれ、周りから、それこそ男鹿の家族からも諦めたらどうだの、もっとイイ奴を探せだのと囁かれていたけれど、彼女はそういった少し否定的な言葉をそれとなく笑って受け流していた。そうしてまた、明けても暮れても、男鹿の目を見て好きだと溢しているのだった。古市のアプローチを受けている男鹿はというと、瞳を揺らしてはそうかと返すだけであった。男鹿は古市のことがとにかく大事だった。一等、一番、とびっきり大切にしていた。その事実をきっと古市はいたく理解していただろう。なにせ、男鹿が古市を一番に思っていることなど、自身を始め、ヒルダも、ラミアも、アランドロンも、兄である焔王や、その侍女悪魔ですら知っていたのだから。知らないままでいられるはずもなかったのだから。きっと世界で一番大切にしているのだろうと思わせられずにはいられないほどに、男鹿は古市を特別大事にしていたのだ。恋愛感情が芽吹くことはなかったのだけれど。

男鹿がなぜ古市に恋愛の意味をもって接せられなかったのかというと、男鹿のセクシュアリティーに問題があった。男鹿は女よりも男が好きだった。もっと精細に言うのであれば、男鹿は東条のことが好きだったし、さらに言えば、二人は付き合っていた。この事実を受けても古市は男鹿に好きだとはにかんでいて、ベル坊は、すこし古市の気が知れなかった。ベル坊はなんだかんだと思いながらも古市のことを気に入っていた。残念で、やかましくて、弱い彼女は、ベル坊にとても優しかったし、なんだかんだと嫌いになれないような愛嬌があった。なにより、古市は男鹿が飛びっきり大切にしている存在であったから、ベル坊が古市を大切に感じるのも自然なことであった。だって、大好きな人の大切なものなのだから、大事に思わないはずがないのだ。

そんな彼女を好きだな、と感じたのは、自身の背丈が彼女の腰辺りまで伸びた頃だった。悪魔の成長は目覚ましく、その頃の彼女の年齢は丁度二十歳だったろうか。そんな歳になっても古市は男鹿が好きだった。男鹿もまた東条と付き合ったままでいた。

古市はいつも男鹿の一歩後ろを歩いていた。たまに男鹿の前に躍り出ることはあったけれど、やはり古市は男鹿の後ろにいることの方が多かった。男鹿はよくベル坊を古市に預けて喧嘩に駆けてくことがあった。ベル坊に邪魔されたくないような喧嘩のときで、主に東条と相対する時だった。そんな時は、いつも男鹿はベル坊を古市に預けて駆け出していくのだ。古市はベル坊を呆れたフリをして受けとり、駆け出した背中を見て悲しそうに嬉しそうに目尻に皺を寄せていた。今回も男鹿が東条のもとへ向かおうというときだった。ベル坊は先述のとおり、すっかり成長して大きな子供になっていた。男鹿はよくベル坊を担ぎ上げていたけれど、抱き抱えられるということはもうおよそなくなっていた。男鹿は古市を軽く呼ぶと、ベル坊の背をすこしだけ押した。ベル坊はその力に逆らわずに古市に駆け寄った。古市はやはり呆れたフリをしていた。ひょろひょろとした腕がベル坊に伸ばされる。背と腰に回された腕にグッと力が入るのを感じてベル坊は目を見開く。果たしてベル坊の身体が浮くことはなかった。ベル坊がそっと古市の表情をうかがうと、心底驚いた風であった。それから困ったように笑って、「大きくなったな、抱き上げられなくてごめんな」と謝った。ベル坊は古市の表情にか言葉にかはわからないけれど、とにかくどうしようもなくたまらない気持ちになった。こんなにも弱い腕で未だに自身を抱き上げようとする古市に愛しさすら感じた。もうあのヒルダですら、自身を腕に抱き上げようとはしないのに!ベル坊はなんとも言えない気持ちを押し込めるために古市の薄っぺらい腹に額を押し付けすり寄せた。古市はそんなベル坊を頭から背中にかけて柔らかく撫でるので、またどうしようもない気持ちに襲われた。ぐっと瞼を閉じると古市の困ったような表情が思い起こされて、とても悲しかった。あれから、古市のことを細かに見た。彼女はやはり男鹿が好きで、弱っちくて、どこか強かで、残念で、どこまでも優しかった。繊細な愛情がそこかしこに散りばめられていた。気がついてからはくすぐったいやら吃驚したやらで、目眩すら起こしそうであった。生憎、古市はベル坊のことを恋愛感情を含めて優しくしていたわけではないし、ベル坊もそれをきちんと理解していたのだけれど、それでもベル坊は古市の一つ一つの愛情を受けて、古市のことがたまらなく好きだと感じてしまったのだった。好きにならないほうが不思議なくらい。赤子が泣き止むようにピタリと。強く感じてしまったのだった。

それからというもの。ベル坊はいつぞやの古市のようにアプローチに励んだ。古市の目を見て好きだと伝えた。恥ずかしさと満足とかない交ぜになりつつも古市から目をそらさずにいると、古市は瞳をしばたかせたあとに「私もベル坊のことは好きだよ」と言った。ああ、これは自身と同じ意味ではないのだろうと瞬時に悟ったけれど、耳をほんのりと赤く染めた古市が可愛らしくてどうだってよくなった。ベル坊の身長が古市の肩ほどになったころ。およそ二年もせずにすくすくと延びた背丈は古市を僅かばかり困らせた。その頃もベル坊は飽きずに古市に好きだと言い続けた。彼女はいつぞやの男鹿のように瞳を揺らしてそうかと告げた。ベル坊の告白がおよそ三桁を越えたころ、このままでは埒が明かないと物を添えるようになっていた。花であったり、繊細な貴金属であったり、食べ物であったり。けれど、古市はベル坊の告白に物が添えられるようになると、眉間にシワを寄せ、口角を下げて、それはもう困りましたという表情を隠しもしなくなった。物は、受け取れない、と含めるようにいう古市の手に、ベル坊は笑って色々なものを押し付けた。

いらない、と言われ続けるのは寂しいもので、贈り物は三桁を越えた辺りでやめることにした。変わりに好きだよといってから抱き締めるようにすると、古市はわんわんと泣き出した。もう古市は二十歳を五つも越えた頃だった。ベル坊の背は古市をとうに越えていて、古市をすっぽりと包み込めるようにすらなった。もう古市と出会ってから十年が経っていた。未だに古市の恋は実っていなかった。たぶん、枯れてもいなかった。抱き締めるとわあわあと泣く古市がとてもかわいそうで愛しくて、銀色の髪をさらさらとすいた。そんなことを二年と続けた。

ある春、ベル坊は変わらず古市に好きだと告げた。ぎゅうと抱き締めてやって、髪をすいて、ベル坊が小さかったときに古市がしてくれたように、古市の旋毛にキスをした。古市は珍しく泣かなかった。昨日までは わあわあと泣いていたのにベル坊の腕のなかでおとなしくしていた。なにがあったとベル坊は古市の顔をのぞき込む。

果たして、古市はいつかと同じような表情をしていた。端的にいうと、困ったように笑っていた。まだ腰ほどの背丈のベル坊を抱き上げようとして失敗したときの表情だ。ベル坊が古市を愛しいと思うようになったときの、あの。「こまったなあ」と古市がいった。折れるしかないじゃないか、と笑って言った。「折れてやってくれ」とベル坊がいった。こんなにも長いこと愛しているんだと真面目に言った。

ベル坊はぎゅうぎゅうと古市を抱き締める力を強くする。仕方がないなあ、とくぐもった声が聞こえた。

「私もベル坊が好きだよ」

いつかと同じ言葉を吐く、その言葉の意味がいつかと同じではないことをベル坊はきちんと理解していた。胸が震えるとはこのことで、いてもたってもいられない心地になった。くっ、と歯を噛み締める。笑ってしまいそうだった。とても嬉しくてたまらなかった。ベル坊はそっと古市の表情を伺う。すこしだけ抱き締める力を緩めて隙間をつくりなんとかして見ようと試みる。ちらりと見えた古市の表情を、ベル坊はきっと生涯忘れることはないだろう。




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