花屋に赴いて、薔薇の花で花束をつくってもらった。「何本しましょう?」とスタッフの女性が尋ねるので、赤い薔薇を百本と答えると、女性は眉をしかめてみせる。
「ごめんなさい、赤だけで百本のご用意がなくて、他の色もお入れさせていただければ本数のご用意はできるんですけれど、プロポーズですか」
「えっと、じゃあ他の色も入れてもらって、薔薇だけで百本お願いします。プロポーズではないんですけど、そんな感じのことで」
女性は小さく息を吐くと、店中から薔薇の花を集めて一本一本添えるように束ねていく。
「相手の方のお好きな色はありますか?」
「たぶん、黄緑かな」
「じゃあ、おリボンは黄緑と白にしておきますね」
そうして出来上がった花束は思っていたよりもこじんまりとしていた。黄色と白と赤とピンクの薔薇がにっこり微笑むように咲き誇っている。
「楽しいひとときを」
女性の一言を背にオレは花屋を出た。

春の終わりの空はどうにも曖昧な色をしている。きざったらしく薔薇の花束を肩に担いで歩くのはどことなく気恥ずかしい。スーツを着てきたのは失敗だったかもしれない。こんなの、今から告白しにいくと言いふらして歩いているようなものだ。ふと、シャンパンの一つでもあった方がいいだろうかと考えて、やめた。どうせ持てやしないのだ。
目的地である公園にたどり着く。ベンチなんてものはなく、あるのは小さな砂場と背丈の低い鉄棒と、二つしかないブランコだ。オレはブランコに腰を下ろした。薔薇の花束を地面において内ポケットから携帯電話を取り出す。電話にするか悩んだけれど結局はメールにした。簡単な文章を打って見直すこともせずに送る。送信中と出ている画面を眺めているのも馬鹿らしく、早々に内ポケットにしまいなおした。

どれくらいの時間そうしていただろうか。まだ少し冷気の孕む風にさらさらと撫でられ身体の芯がよくよく冷えた頃に待ち人が現れた。思ったより身体は冷えたが、思ったよりもはやいお出ましだった。本当をいうと、来ないだろうと思っていた。
手嶋は迷いのない足取りでオレの目の前までやってくる。髪の毛はボサボサで、上下スウェットの出で立ちで、間抜け以外のなんでもないのに、手嶋の表情がどうみたって怒っているものだから、とってもアンバランスで、とってもおかしかった。手嶋が口を開いて、けれど言葉を選び損ねたようにおとなしく閉口する。やっぱり間抜け以外のなんでもない。オレは笑いをこらえながら、地面に置いた薔薇の花束を取り上げて手嶋に渡した。しかし手嶋はいっこうに受け取らない。しようがなしに、ブランコから立ちあがって押し付けるように渡してやった。花束はただただ反射で受け取られる。
「おまえに、百本束ねてきたんだ」
言ってやると、手嶋は唇を戦慄かせる。まなじりをあげて、それはもう悔しそうにする。胸に抱いた花束をみて、オレを見て、オレの右腕を見てから、ブツリと音がしそうなくらい勢いよく唇を噛んだ。嬉しくないか、尋ねようとした矢先、視界がぐらつく。頬が氷に触れたように痺れた。カシャンと遠くで軽い音がする。どうやら花束で殴られた、らしい。
「バカだ!!!」
手嶋が叫ぶ。眼鏡がとんだのか視界は晴れない。先ほどの軽い音は眼鏡が地を打つ音だったのだろう。じわじわの耳や鼻が痛みを訴える。
「腕、どうしたんだ」
わかっているくせに。肩をすくめて見せる、生憎と手嶋の表情はうかがえないが見なくたってわかる。
「どうしたんだよ、あの時までは、あったろ」
「……夢を見るから、煩わしくて傷つけた。そしたら動かなくなって会えなく切除だ。夢見はよくなった」
手嶋が座り込むのがわかったけれど、オレは先に眼鏡を探した。たぶんあの辺りだろうと目星をつけて歩けばそれらしいものが見つかった。拾い上げればめでたく大当たりだ。かけてみると、違和感はあるもののきちんと見えた。晴れた視界で手嶋を見やれば案の定へたりこんでいる。まだ左手に花束が握りしめられているところがちょっとばかり可愛らしく感じられた。

右腕は切除した。それだけ。たったそれだけだ。年月を重ねて嫌な夢を見るようになった。繰り返し繰り返し自転車から落ちては脚と肩を故障する。毎日とまではいかなかったが毎月週の半ばになれば決まって魘された。一度それを手嶋に相談すると、手嶋は必要以上に心配した。けれど、心配されたから夢見がよくなると言うわけもなく、結局は毎月定期的に魘されることに嫌気がさしてつい包丁を肩に突き刺した。痛みに途絶えた意識は手嶋の怒鳴り声で揺り起こされる。お前はいつもオレに怒ってばかりだと言えば、怒らせてるのは誰だとまた怒られたのだ。病院へ搬送され治療を受けたが、その後右腕は鉛かはたまたマネキンの手のようにまったくと動かなくなっていた。持ち上げることもできなければ、もちろんなにかを握ることもできない。自転車のハンドルだって同じことだ。手嶋はひどく怒った。言葉になっていなかったように思う、オレは手嶋の怒鳴り声を聞き流しながらちょっとばかり安堵した。その日から嫌な夢は見なくなった。

「お前はいつもそうだ」
手嶋が地面に向かってこぼす。
「いつもいつも、インターハイのときだって、やめろって言ったのに聞きもしないで走ってもともとの怪我も悪化させて、結局一年ふいにして、そのせいで嫌な夢だってみて、二年の合宿だって無茶してたのオレは知ってるんだよ、止めたってお前聞きやしない、オレの言うことなんてまったく聞きやしないんだ」
「そんなことないさ」
冷たい風がふく。なんにもない空洞の右袖がふわふわと浮く。オレだけが立っているのもおかしな気がして、手嶋の前に座り込んだ。小さく肩を揺らして、きっと泣いている。
「お前はオレがお前を羨んでることだって知っているくせにひどいやつだ。風を切る肩も、ハンドルを操り撫でる手指も、ぐんぐんと進む脚も全部全部羨んでると知ってるくせにお前は今だけのためにそれを捨てられるんださっぱりと。オレにそれがあれば、オレにそれをくれたら。切り離したあとだってよかった、たまらなくほしかった、食い散らかしてやったのに」
グスグスと洟をすすり、ひくひくと喉を震わせながら溢す。ぽたぽたと手嶋の影にだけ雨が降る。花束が握られていない手が、オレの唯一の手をとり握りしめた。才能があれば何をしたって許されると思いやがって。バカみたいな台詞を手嶋が言う。そんな理屈考えたこともなかった。ぐすぐす。手嶋が泣く。
「泣かせるつもりはなかったんだけど」
「うそばっかりだ」
ひどく泣くものだから可哀想に思えて、頭の一つでも撫でてやろうと思ったけれど、残念ながら、手のひらを一つしか持たないもので。
「シャンパンでも持ってきたらよかった」
「そんなものがあったら花束じゃなくて酒瓶でお前のことを殴ってるよ」
あんまりの言いぐさに声をあげて笑ってしまう。それがまた手嶋の機嫌を損ねたようで、握りしめられた手の甲におもいっきり爪をたてられた。




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