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息抜きの息抜きが必要だった、というのは言い訳にすぎず、ただ、してやれることがそれくらいしか思い浮かばなかったのだ。今思い返せば、なんとまあ、幼稚な話ではあるけれど、小学生の時分には、精一杯だったのだ。

妹とは、一つしか年が離れていなかった。十二ヶ月にも満たない年月の差はないに等しく、兄とは名ばかりで、妹に兄らしいことをまったくとしてやれず、また、どのようにすれば良いかということさえわからなかった。よく、先に産まれた方は母の膝や背中を譲ってやるものだというが、そもそも、一歳そこらの歳で母を自分のものだと思い込むことなどありもせず、物心がついたころには、母はそれこそ平等に、二人の母であった。

習い事を始めたのも、妹と同じ日だった。母は音楽大学の出で、ピアノを専攻していたそうで、いつか我が子にもと昔から考えていたらしい。幼稚園も年長組になろうというころ、妹と二人、ピアノを習い始めた。

もともと、妹は物覚えがよく、すこしコツをつかめばなんでもうまくやってみせるような子だった。その点、自分はひどく不器用で、妹が一度や二度、他人が三度かければ出来るようなことでも、五度、六度と繰り返さねば出来ない子供だった。

ピアノの上達も、妹の方が早かった。ドレミを覚えるのも、シャープやフラットを覚えるのも、妹の方がうんと早かった。焦りはしなかったし、悔しく感じることもなかった。妹が覚えることのできたものならば、何度も繰り返すことでいずれは覚えられるだろうと思っていたから。

ふ、と。これではいけないのではないかと思ったのは小学校にあがった頃。その頃になると、ちいさなコンクールにいくつか出るようになっていて、自分は賞に選ばれることこそなかったが、それなりに満足のいく演奏が出きるようになっていた。妹はというと、いつも金賞をとり、妹の名前が書かれた賞状を手ににこにこと笑っていた。俺は、それをステージの袖から誇らしげにみていた。しかし、妹を誇らしくみていたのは自分だけだったようで。

かわいそうにね、

呟かれた声に振り返る。かわいそうにね。言葉を発したのは知らない大人だった。俺は首をかしげて、わからないと示して見せる。言葉の意味が、わからない。すると、大人はゆったりと唇を動かした。

お兄ちゃんなのにね。

告げられた言葉はやはりわからなかった。わからなかったけれど、妹よりも劣る兄はいけないものなのかもしれない、と、わからないなりに理解をした。

それからというもの。妹よりもできるようにと、暇さえあればピアノに触れた。もともと、繰り返すばかりの単調な作業や練習は嫌いではなく、ピアノそのものも好きだったので、周りがあきれるくらいにピアノに向き合っても苦に思うことはなかったし、飽きることもなかった。

そうしてついに、コンクールで金賞をとった。妹よりもできる、ちゃんとした兄になれたと思った。兄らしいことができたと思ったのだ。

しかしそれは間違いだったのかもしれないと思い始めたのは、コンクールで金賞をとって五度目のことだった。俺が金賞をとることにより、妹はいつも銀賞で、俺が妹よりもと思う前はスクールで一番ピアノが上手い子だった妹は、いつしか、俺の次にピアノが上手い子になった。それが、いけなかったのかもしれない。

妹はコンクールにでなくなった。スクールも時々休むようになった。母はなにも言わなかったけれど、俺はなんだか放ってはおけなかった。なので、どうかしたのか、と。訊ねてみると妹はちいさな声で「一番になれないから」といった。俺が彼女の居場所を奪ってしまったのだろうと、ぼんやり考えた。

それから、ピアノはやめた。趣味で弾くことはしても、ピアノ自体に目的を置くことはしなくなった。変わりにバスケを始めた。ピアノをやめたことによって、勉強の合間に息が吐けるようななにがほしかったからだ。

妹はまた、スクールでピアノが一番に上手い子になった。

今思えば、幼稚だったと思うのだ。一番になれないからといった妹を一番にするためにピアノをやめたことも、なにかを譲るという形でしか兄らしいことをしてやれなかった自分も。

けれど、それでも。

パチパチと小雨のような拍手が次第に豪雨を思わせる音に変わる。きらきらと光るステージには、細身のドレスに身を包んだ妹がにこにこと笑っている。妹は日本でピアノが上手い子になった。まだ、一番ではないけれど、いずれは日本で、世界で一番ピアノが上手い子になるだろう。

そう思えるだけで、あの時の幼稚で稚拙な行為は意味のないことではなかったのだろうと、考えることができるのだ。