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11.森のシミ男「悪夢再び」

それから、何事も無く無事に入り口まで戻って来た。
あの不気味なアーチを見て、安堵の息を漏らし胸を撫で下ろした。

「よし…此処まで来れば大丈夫だよね」
「さっさと車に戻るぞ」
「真下、車のキーは持ってるか?」
「ああ、此処にあるが」
「すまないが、貸してくれ。自転車を車の中に詰めたい」
「…ついでにエンジンも掛けろ」

無造作に車のキーを八敷に渡すと、翔と共に九条館から爆走させた自転車を車の中へ運び込む。

「お前達も行くぞ」
「うん、クリスティさん行きましょう」

だが、クリスティだけが不安気にとある一点を見つめていた。

「…?クリスティさん、どうしました?」
「…ねぇ、あそこ…誰かいるように見えない?」

ゲート横の暗がりにあるベンチに、その視線は向けられていた。
それを辿る様に目を向けると……。



込み上げてくる恐怖の声を懸命に堪えた。
心臓が痛いほどに跳ね上がるのが分かった。
真下も同じように硬直しその光景に釘付けになっていた。


「な…なに……アレ…?」

バランス感の狂った異様な体つきの巨漢、その顔中に蜂が集まっている。
蜂の集合体から見える隙間からニヤッとした口元が不気味に感じた。
その横には、首が有り得ない方向に折れぐったりとした人影が見えた。
……その面影から、自殺志願者の木村正男だったと分かった。


眩暈がする。急速に視界が揺らいだ。
胃液が逆流するのを必死に堪える。
今にも膝から崩れ落ちそうになる勇廻を、真下が肩を掴むと目を合わせ声を掛ける。

「落ち着け、勇廻。奴はまだ此方に気付いていない。
このスキに逃げるぞ」
「…う、…うん…」
「よし、その女も忘れるなよ」

チラッと勇廻の背後に視線を送る。
クリスティは勇廻の背にしがみ付きガタガタと震わせ完全に自我を失っている。
こんな状態だと歩くのもやっとだろう。
大きく頷き、クリスティに小声で「行きましょう」とはっきりと、ゆっくりとした口調で語り掛ける。
クリスティも小刻みに震えながら首を縦に振る。

先に車に戻り自転車を運び終えた八敷と目が合うと、唇に人差し指を当て「静かにしろ」とのジェスチャーをする。
異変に気付いた八敷は真剣な顔付きになり、早く来いと此方へ手招きする。


「…兄さん、行こう」
「………消えやがった」
「…は?」
「ちょっと目を離した隙に奴が消え…」


すぐ傍の茂みから、器具のうなりと雑木を掻き分ける音が辺りに響く。
そこに…翔とクリスティが目撃した「大男」こと、「森のシミ男」が立っていた。
勇廻、真下、クリスティに狙いをつけニンマリと口元を歪めた。



「走れッッッ!!!」



その叫び声を合図に勇廻は震える足に鞭を打ち、放心状態のクリスティの肩を抱きかかえるように走り出す。
二人が走り出したのを確認すると、真下はコートの懐から拳銃を取り出しシミ男へ狙いを定め発砲する。
聴き慣れた乾いた音が背後から響いたが、勇廻は構っていられなかった。

真下の叫び声と銃声に感付いた八敷は、直様エンジンをかけようと運転席に乗り込む。
転がるように走り出した三人を見て翔も異変に気付いたようだ。三人の遥か遠くに自分が目撃した大男がいる。

「姐さん、早く!!」

慌てて後部座席のドアを開け退路を作ると、先にクリスティを乗せその後に勇廻が続く。
そして、最後に真下が拳銃を片手に助手席に転がり込む。


「おい、まだエンジンが掛かってないのか」
「さっきからずっとやってるんだが、掛からないんだ!
それに銃を持ってるとは聞いてないぞ」
「貴様に言う訳ないだろう。いいから、さっさと出せ」
「や、やってるよ!」

焦燥感に駆られながら、八敷はキーを回し続ける。
だが、何度やっても掛からない。

「お、オッサン!!何やってんだよ!!」

真下はフロントガラス越しに、迫ってくる影を見出す。

「早くしろ……奴が来た」
「う、撃てよッ!!銃で撃っちまえ!!」
「翔くん、無茶言わないで!
こんなに暗くて視界が悪かったら標準が合わないし、無駄撃ちに終わっちゃう!」
「でも、何もしねぇよりかはマシじゃねぇかよ!!」
「とにかく落ち着いて!!」

パニック状態になっている翔を宥める勇廻の隣で、クリスティは頭を抱えながら蹲り「ああ、神様…お願い……」と祈りの言葉を唱え続けている。


「大丈夫ですよ…!
大丈夫だから……きゃあッッ!!


飛んで来た何かがボンネットを掠め、車内は小舟のように煽られ勇廻が悲鳴を上げた。
怪異はもうすぐそこまで来ている。

このままでは、この場にいる印人全員が御陀仏となる。
そんな結末などお断りだ…!


「…翔くん!体押さえてて!」
「は?…あ、姐さん!?」

意を決した勇廻は、車窓を抉じ開け強引に上半身を乗り出す。
一歩遅れて翔が震えているクリスティを押し退け、勇廻の下半身を押さえ付ける。
その様子をフロントガラス越しに外に上半身を出している勇廻の後ろ姿を捉えた真下がハッと後ろを振り向く。

「勇廻!!何をしている!?」
「いいから早くエンジン掛けて!!」
「馬鹿な真似は止めろ!!」

真下の制止を振り切り、スーツの内ポケットにしまっていた拳銃を取り出し銃弾が装填されているのを確認すると、銃口をシミ男に狙いを定め発砲した。
銃の振動を堪えるように下半身に力を込めた時だった。



「(…ッ!……あ、この痛みは…まさか…)」

憶えのある鈍い痛みが下腹部に走る。
思わず眉を引く付かせ痛みに負けじともう一度銃口をシミ男に向ける。…と、その時だった。



「…!?かかった…ッ!!」

八敷から安堵の声が出た。
それと同時に息を吹き返したかのように、車のエンジンが稼働した。


「行けッ!踏めッッ!!」
「お、おい!まだ姐さんが…!」
「良いから八敷さん踏んでッ!!翔くん、ちゃんと押さえててよ!」
「〜…!あぁーくそーーッ!!」

やけくそのような雄叫びを上げる翔は、押さえ付けた腕に力を込めて勇廻の身体を支える。
けたたましいタイヤの音を残して、ワゴンは駐車場を走り去った。



____________________________________________


何とも言えない安堵感が車内に満ちていた。
暫くは誰も口を開こうとしなかった。
エンジンの稼働音と荷台に詰んだ自転車の揺れる音が車内に響き渡る。
助手席にいる真下と後部座席の窓際に座っている翔と勇廻は窓の外を眺め、クリスティは膝の上に乗せた握り拳をただじっと見つめている。

不意にチラッと助手席の方を見る。
先程無茶な真似をした所為なのか、助手席の窓から映る真下の表情が険しく見えた。
後でちゃんと謝らないと…。

でも、その前に確かめたいことがある。怒られるのはその後でもいい。


「そう言えば…八敷さん、大丈夫なの?」

急な問い掛けだったので、八敷が数秒遅れて反応する。

「…え?何がだ?」
「良いの?勝手に来てしまって…翔くんもだけどさ。
もしこれをメリィさんが知ったら……」



「心配しなくても、ちゃんと話してから来たぜ」

八敷ではなく、反対側の後部座席に座っている翔から反論が飛んで来た。

「アイツが良いって言うから、来てやったんだよ」
「メリィさんから?」
「他に誰がいるっつーんだよ」

もしかしたらメリィも、此方の危機を察知していたのかもしれない。
翔一人ではと思い八敷さんもやむを得ず一緒に行動に出たとの事だ。
……それかもしくは、一人で突っ走ろうとする翔の足止めも兼ねて共にした、と言った方が正しいのではないか?…その真意は定かではないが。



「んで、説明してくれるんじゃねぇの?
このオバサンはどこの誰なんだよ」

翔が親指で隣に座っているクリスティを指差す。
オバサンと言われたクリスティはもう怒る気力もないらしい。
取り敢えず「オバサンは止めたりなさい」と翔に軽く注意すると、八敷にもクリスティについて取り敢えず知っている事を話した。
アナウンサーと聞いた途端、翔は分かりやすい反応を示した。

「あっ!?見た事あるぜ!ニュースになってた芸能人じゃん。
芸能人は実物の方がキレイって、マジなんだな」
「あら、お上手ね。お世辞でも嬉しいわ」

先程オバサンと罵声を浴びさせたばかりの相手から、「綺麗」と言われて少し表情が緩んだように見えた。
…やっぱ綺麗って言われると嬉しくなるものなのかな。


「あー…でも、美人なら姐さんも負けてねーしな」
「あ、あのさ翔くん。その姐さんって言うの止めない?
名前で呼んでくれても良いからさ」

……どんどん、兄さんの機嫌が悪くなってるように見えるのは気の所為だろうか。
下手したら血管の切れる音まで後部座席まで聞こえてきそうだ。
そのオーラを間近で受けた八敷からは、冷や汗が流れてるような……。

「いーや、俺は一度決めた事はぜってぇ曲げねぇ性分なんだよ。
さっきの姐さんもすっげーカッコ良かったしよ!
だから、姐さんは姐さんと呼ばせてもらうぜ!」

そんなのはお構い無しに、もしくは本当に気付いていないのか翔は白い歯を見せ明るい声で宣言した。
その眩しい笑顔に勇廻は乾いた声で笑うしかなかった。


「でも、みんなこの痣……ええと、勇廻さん、なんて言ったかしら?」
「シルシ…ですね」
「ありがとう。…このシルシを持ってる訳ね。
これがあると、その…どうなってしまうの?」


クリスティの問いに八敷、勇廻は口を閉ざす。
印人の逃れられない死の運命の事をどう伝えたら良いのか、正直分からなかった。
翔も同じ気持ちだろう。先程まではしゃいでいたのに今はだんまりを決めている。



「死ぬ。…数日のうちにな」

だが、真下は違った。無遠慮な声が車内に響き渡る。

「それまでに記憶喪失のような症状を発症する。
意識が曖昧になり、判断力も落ちる……。
これらは実際に俺も、…そこにいる妹も経験した」

翔が舌打ちをする。
容赦ない真下が気に食わなかったのだろう。

「…ちっ、他人事みてぇに言いやがって」
「おい、翔……」
「翔くん、兄さんは悪気があって言った訳じゃ…」

だが、翔は八敷や勇廻の声を無視し、更に食って掛かる。

「まぁ、実際アンタにとっては他人事だよな。
だってもうシルシはねぇんだし」
「え…?どういう事よ?
もしかして、勇廻さんもそうなの?」

勇廻の代わりに八敷が説明をしてくれた。
真下と共に、花彦くんのシルシを解き自由の身になっている事を。
話を聞き終えたクリスティからは「危険を冒してまで真実を追求するなんて…まるで聖人か何かね」と大袈裟な世辞を漏らす。
…が、真下はそんなクリスティのお世辞をせせら笑いで返す。


「そんな高尚なモンじゃない。
しかし、お陰で一番知りたかったことが分かった。
いつ、どうやってシルシがつくのか、だ。…なぁ、勇廻」
「うん…。私も最初は全然気付かなかったけど…。
でも…『今回』ので確認出来た」

二人の会話に翔とクリスティは頭を捻ったが、八敷だけ直ぐに気付き困惑の声を上げる。


「……ッ!?
真下、勇廻さん…お前達、まさか…!」


真下は、ククッと喉から笑い声を漏らしながら手首を捲って見せると…以前刻まれたシルシが鮮やかな赤色で浮かんでいた。
勇廻もそれに見習いカッターシャツのボタンの一番下と二番目を外し、ズボンを少し下へとズラして見せると…、下腹部にはあの怪異の歯形のような痣がくっきりと浮かんでいた。
そんな二人に翔は悲痛の声を上げた。

「う、嘘だろ、おい……。アンタ等、それでいいのかよ!!」
「うるさい奴だ。どうせ他人事だろ?
だったら黙っていろ」

まるで吐き捨てるように真下が会話を強引に終わらせた。
勇廻のシルシを間近で見たクリスティも、どう言えば良いのか分からず何も言えないでいた。
再び車内に重い沈黙が訪れた。



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そして、九条館に辿り着くと皆何も言わずに車を降りる。
翔がクリスティにホールへと案内し先導する。


「なあ、真下。ちょっといいか……」
「どうかしたか?」
「どうかしたか、じゃない。…銃を持っているとは聞いてないぞ。
勇廻さんは現役だから分かるが、お前はもう…」

その先を言わせまいと真下が鼻で笑うと、クシャクシャの紙袋を八敷に押し付ける。
紙袋の口を開き中を見た八敷はギョッと目を見開く。
八敷の反応で直ぐに分かった。あの紙袋の中身はきっと……。

「欲しけりゃやるよ」
「そういう意味で言った訳じゃ……」

真下は八敷の言い分に耳も貸さず、淡々と話を続けた。

「実包が5発、装填済み。お前に預けといてもいい。
勇廻にも、と考えたがお前に預けても何も支障はないだろう」
「し、しかし…こんな物…」
「話は最後まで聞け。これだけは約束しろ」

八敷は怪訝そうな顔で「何を?」と聞き返す。



「怪異以外には使うな。…もっとも、効く保証は無いがな」
「…当然だろ」
「因みに、射撃の経験は?」
「ある訳が無い」
「そうか…。使う時は極度の緊張下だ。経験者で無ければまずは当たらん。
まぁいいさ、俺か勇廻がいたらそいつは俺等に任せろ。
貴様は他の方法で怪異に抵抗するんだ」
「ああ…、H小学校でもそうだった」

これではまるで麻薬の取り引きみたいな雰囲気ではないか。
勇廻はワザとらしくコホンと大きく咳払いをする。


「一応此処に現役刑事がいるんだけどなー。
一般市民に拳銃を渡した兄さんには、1年以上10年以下の懲役の罰なんですけどー?」
「ああ、そうだな。拳銃加重所持で懲役3年コースもあるな」
「あ、あとオマケに一発撃ったら無期または3年以上の懲役だよ」
「…………それは、使うなってことか?」

げんなりした顔で八敷が、真下と勇廻の二人を交互に見る。
紙袋を真下に返しそうな勢いだ。

「そうじゃない。
それだけ法に縛られてるって事は…つまり、それだけ強力だということだ」

それだけを言い残すと、真下はホールへと向かう。
拳銃を渡され困惑している八敷に勇廻が声を掛ける。


「八敷さん、安心して?
銃を使わない様にすればいいだけだから」
「…そんな簡単に言うが、実物を見るだけでも冷や汗が出るんだぞ」
「八敷さんは八敷さんなりに怪異に対抗する術を為せばいいだけの話だよ。
銃を使う時は遠慮なく私や兄さんに言って。…銃の腕前は兄さんほどじゃないけど」

気まずそうに頭を掻く勇廻に、八敷は少しだけ気持ちが楽になった様な気がした。

「あ、そうだ。
樹海で調査した時に見つけたモノを整理するから先に行ってて」
「ああ、分かった。俺はメリィに報告してくる。
クリスティの事も話さないといけないしな」

紙袋を片手に持った八敷は「早く来ないとお前の兄さんがうるさいぞ」と忠告を入れホールへ向かった。

一人ガレージに残った勇廻は、樹海の調査で得た品をバックから全部取り出し机に並べる。



――はらり。

バッグの口から一枚の紙切れが床へと舞い落ちる。
勇廻は「あっと…」と口にすると、それを拾い上げる。
それは山小屋に置いてあった本から切り取った紙だった。何かの参考になると思い頂戴したものだ。


「『夢みる限り家族は不滅、もし密告者が出たら……』
『目覚めさせて、叩く。大人しくなるまでやる』
『みんな、気を付けて』『目覚めているとき……家族もただの人』…か。

そう言えば、蜂達に使った薬剤って「おやすみ家族」だっけ。
…ていう事は、その逆もあるってこと?これも八敷さんに伝えなきゃ」


すると、ある事に気付いた。

「懐中電灯の電池の予備はあったりするかな?
また急に切れたら対応出来ないし…、えーと…予備電池はっと…」

もう一度ワゴン車の荷台に目的の品を探そうとする。




……?


……あれ?

急に、意識が…遠くなって……。


まるで、誰かの意思が強引に脳内へと入り込んでくるような感覚に身震いした。
声を出したいのに、助けを呼びたいのに…何かでコントロールされているかのように、身動きが取れない。
喉が枯れているのか、声がうまく出せない。



あ……、あ……呼んで、る……。


誰かが、私を…呼ん……誰……だ…っけ…?



下腹部からズキズキと鈍い痛みが走る。恐らくシルシの進行が進んでるんだ。
何故だろう、その痛みが今はとても恋しく思えてしまう。




……行かな、きゃ……。H城樹…海……蜂み…つ………。




フラフラとした足取りで、ガレージから抜け出す。



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八敷がホームに着くと、メリィがクリスティにシルシと怪異について説明していた。
その傍で翔が重苦しい顔付きで見守っている。

「…?勇廻はどうした?」
「何やら荷物の整理をしたいとガレージに残っているが」
「そうか。早いことメリィに報告しなければな」

八敷を視界に捉えたメリィは「おかえりなさいませ、八敷様」と頭を少し下げた。

「真下様と翔様も、お疲れ様で御座います。
…おや?勇廻様はどちらに?」
「アイツはまだガレージに残ってるみたいだ。
直ぐに戻ってくるだろう」
「承知しました。先程、クリスティ様に説明を終えたところです。
では、真下様。樹海での調査は如何なものでしたでしょうか?」
「あぁ、中々興味深いものが山ほどあったよ」

メリィに樹海での調査の結果を簡潔に伝えた。


「そうですか……。危のう御座いましたね」
「それはそうと、なんで此奴等の外出を許したんだ?
印人は複数で外に出ると、マズいんじゃなかったのか」
「実は貴方様が出掛けた後…翔様が自分も樹海へ行くと駄々を捏ねたのです」

メリィの青い瞳が、じろりと翔を見る。
心なしか微かな怒りと呆れが混ざった様なモノを感じた。
人形だから感情を出さないモノだと思っていたが…。

「自分の命を他人に預けたままなんて、落ち着かねぇんだよ。
オッサンだってそうだろ?」
「いや、俺は……」

いきなり話を振られた八敷はどぎまぎとしながら翔を見る。
…此奴は、本当に押しに弱いんだな。
そんなやり取りにメリィは深い溜め息を零していた。


「……困ったもので御座いますね。
そのような自分勝手な真似は、印人の皆様の命数を縮める行為です。
普段なら認めないのですが、真下様や勇廻様の身に迫る危機の予感を察知して故に非情の措置として外出を許可しました。
翔様、二度目はありませんのでくれぐれもそのつもりで」
「へーい」

なんとも気の抜けた声か。
このガキが素直に忠告を聞くかどうかあやふやなんだがな。


調査の結果を聞いたメリィは、翔にシルシを刻んだのは森のシミ男で確定らしい。
一度シルシから解放された俺や勇廻にも再びシルシが刻まれたのだ。それは間違いないだろう。

シルシを刻んだ怪異が分かったのはいいものの、どうやって対応するかだ。
俺や勇廻の銃撃を受けたにも関わらず、奴にはまるで効果が無かったかのように微動だにしなかった。
翔は戦車がないと倒せないとか言っていたが、それ程の威力がないと何とかならないのは言う間でもないだろう。


これは現実では解決できない。死と隣り合わせの領域に足を踏み入れた俺達印人の問題なのだ。
誰かの手助けを借りるしかないと言う考えは甘えに過ぎない。
…かと言って、奴に勝てる勝算など直ぐには思い付かない。


「おい、真下の旦那よォ。
あんたスカした態度取ってるようだが、あのバケモン相手に何か勝算あんのか?」
「ちっ、あるわけないだろうが……。
これから探すんだ、命懸けでな!」

何も進展しない事に苛立ちが募り声を荒げる。それは翔や八敷もそうだろう。
俺達には、もう時間が無いんだ。夜明けと共に死を迎える。
一度は運良く免れたが、二度目は無いのかもしれない。


「俺はもう一度、樹海へ向かう。森のシミ男について、もう少し調べたい。
手伝ってくれないか?」

八敷が先導しようと手を上げる。
だが、翔は言葉を濁す。

「んー、そうは言うけどよ。
闇雲に探すだけじゃ、キリがねぇぜ。なんか当てがねぇとな」


「それなら…H神社の北の方にある養蜂場を調べてみたらどうかしら?
森のシミ男の目撃談、あのあたりで多かったみたいだから。
もっとも、樹海で妙な事件が増えてから、行く人は稀になったけど…」

ふと、思い出したかのようにクリスティがスラスラと答える。
八敷が「養蜂場?」と呟きながら頭を捻る。

「そこで『蜜蜂家族』という、カルト集団が共同生活をしていたんだ。
もっとも、今は誰も居ない筈だがな」


『蜜蜂家族』……。
この言葉を発するだけでも虫唾が走る。
こっちの気持ちなど知らない八敷は更に疑問を投げる。

「何かあったのか?」
「それは…集団自殺よ。ワイドショーとタブロイドを賑わせた、5年程前の事件ね。
もっとも団体名と場所は伏せられてたから、詳しくは知らないのも無理は無いけど」

クリスティの話した集団自殺事件に、翔は部活で忙しくて詳しくは知らないと言った。
だが、そんな情報を何故この女は熟知している?

「樹海にえらく詳しいんだな、有村クリスティ。
『場所選び』の為に、色々調べたと言う訳か」
「馬鹿を言わないで頂戴。
プロとして、自分が報道する事件をちゃんと勉強しただけよ」

キッと睨みをきかせたクリスティだったが、直ぐに話を戻した。

蜜蜂家族は、閉鎖的で秘密主義的なコミュニティを持っていた。
最期はメンバー全員が、指導者に従い自殺をし、その指導者も後追い自殺をしたとの事だ。
クリスティが言うには、その指導者は肥満体の大男だったと言う。

八敷と翔の呼吸が止まったのを感じ取った。
…間違いない。あの入り口に立っていた大男だ。
死人が蘇った事を否定している翔に、クリスティが追い討ちを掛ける。
そんな会話のやり取りを無視し、八敷に意見を求める。


「八敷、お前はどう思う?」
「森のシミ男とその蜜蜂家族に関係あるのならば…怪異の想念を消滅させるための鍵は、そこにあるのかもしれない」
「…考えは同じだな」

翔がクリスティの今後の事について問うと、俺達の手助けをするみたいだ。
先程まで自殺しようとしていた者が、シルシの呪いから逃れる為に足掻くとは…何とも皮肉なものだ。



「夜もいよいよ更けて参りました。
シルシから逃れられる為の鍵は、矢張りH城樹海にあるかと存じます。
クリスティ様の話しでは、森のシミ男はかつて樹海の養蜂場でよく目撃されたの事…。
怪異と因縁の場所かもしれません。
調査のほど、宜しくお願い致します。」

メリィからの宣告に皆が息を飲む。タイムリミットが近いのだろう。
急いでH城樹海の調査に向かわなければ…。


「おい、八敷。懐中電灯の予備の電池はあるか?」
「どうしてだ?」
「お前が電池を変えなかった所為で電池切れを起こしたんだ。
真っ暗闇の森の中で灯りが無いと話にならん」

すると、八敷は「そんなことはあり得ない」と首を振った。

「だって、電池は昨晩変えたばかりだぞ。
電池切れになる事など有り得ない」


……なんだ、と?
では、あの時何故電灯が途絶えたんだ。



「なぁ、オッサン。姐さん遅くねぇか?
幾らなんでも長居し過ぎだろ」


翔のさり気無い質問に、真下の中の何かが弾いたような気がした。


…勇廻。勇廻はどうした?

一瞬の間の後、真下は弾かれたかのようにガレージへと駆け出す。
背後から翔の慌てる声がしたが構ってられない。
祈る気持ちでガレージに続く扉に手を掛け大きな音を立てながら開く。



「………」


ガレージには人の気配はしなかった。
机の上には樹海で持ち帰った品が並べられていた。
床には懐中電灯が無造作に転がり、スイッチがオンのままだったのか一筋の灯りが灯されていた。

追い付いた八敷がガレージ内にいるべき者の姿が見当たらない事に戸惑いの声を漏らす。


「なんで…いないんだ…?」
「……おい。
勇廻は…何処に行った?」
「…萌の時と一緒だ。
あの時も、萌は一人でH小学校に向かい…それから……」

その時の光景がフラッシュバックする。
シルシの進行により萌は記憶を欠落し、一番深い関りを持っていた為花彦くんに呼ばれ…例の鏡が設置された階段の踊り場の天井で、あられもない姿で宙吊りにされた光景が脳裏に浮かんだ。



後から入って来た翔とクリスティは肩で息をしながら呼吸を整える。

「おいおい、真下の旦那。
急に走り出して何してんだよ」
「はぁ…もう、ヒールを履いてるんだから走らせるのは勘弁してもらいたいものだわ…。
…あら?勇廻さんはどうしたの?此処に居る筈なんでしょ?」

その問いに誰も答えなかった。

真下は爪を喰い込む様に拳を握り締める。
悲痛な真下の姿を見た八敷は、あの時勇廻を一人にさせてしまった事を後悔した。



「八敷……俺を連れて行け…。
勇廻を…、勇廻を探すぞ!」
「…ああ、分かった!」



【……To be continued】

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