10.森のシミ男「予想外」

怪異が戻って来ることを恐れ、素早く小屋の中を調査し終えた勇廻と真下は更に森の奥へと歩みを進める。
雑草を掻き分け広場のような空間に足を踏み入れた瞬間、耳障りな音を聞き取った。

「…ちっ、虫ケラどもが」

吐き捨てるように呟いた真下は、木立の上部を鬱陶しそうな顔で睨み付けている。
太い幹には、巨大な蜂の巣があった。先を進むにはこの蜂の巣をどうにかしないといけない。


「あ…。小屋で見つけた奴を…」

直ぐにバッグのチャックを開き手を伸ばした勇廻は、女性の死体があった小屋で見つけた噴霧器とそれに用いる薬剤『おやすみ家族』を取り出す。
その様子を真下は怪訝そうに見ていた。

「何をしている」
「多分コレは蜂対策の殺虫剤だと思うの。
コレをこうして組み立てて……っよし!」

難なく組み立てた噴霧器を手にし、そろりと忍び足で近寄り蜂の巣を目掛けて構えた。
慎重に狙いを定め、薬剤を噴射する。



――ぷしゅうぅ……。


薬剤の霧に包まれた蜂は、見る間に動きが鈍くなり、やがて巣は完全に沈黙した。
どうやら、蜂達の活動を鎮静化させた事に成功したようだ。

「上手くいったようだな。
だが、蜂も所詮虫けらだな。殺虫剤があれば問題ない」
「こ…怖かった…」
「蜂如きで何腰を砕けてるんだ。
砕けるのは夜の時だけにしろ」
「セクハラですよ兄さんッ!!」

勇廻の叫び声は虚しく森の中に響くだけだった。



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蜂の巣を鎮静化させその先に進むと、また別の山小屋が建っていた。
戸板の間に僅かな隙間がありそこに手を掛けるが、何かが引っ掛かっているのかビクリともしない。

「えー…困ったな。
鍵持ってないし、どうしよう兄さん?」
「やむを得ん。…おい、バールを出せ」

「へ?」と間抜けな声を出したが、ここで反論をしても意味が無いと判断しバックから探索中に見つけたバールを取り真下に手渡す。
すると、真下はバールの先を戸板の隙間に強引に捻じ込ませ抉じ開けようとしている。
まぁ、なんとも大胆な行動に出たもんだ。

「……兄さん、コレって器物破損の罪だよ」
「今は非常時だ。これくらい大目に見ろ」

2度、3度と体重を掛けてバールを押し込むと……。



――バキッ!!

何か金属の折れる音が響いた。折れた金属の塊は地面へと落ちた。
風化していたのだろうか、真下が手にしたバールは真っ二つに折れてしまった。

「金属疲労していたようだな。まさか折れるとは…。
しかし、鍵の方も壊せたようだ。結果としては上々だろう」
「…バールってそんな簡単に折れるもんだっけ?」
「ぐだぐだ言ってないで、中を調べるぞ」
「はーい。
……って、兄さんやり過ぎだよ。戸板引っ掛かって開けにくいよ」
「文句を言うな。開けただけでも有り難いと思え」

言い合いをしながら戸口を押し開き、中へ一歩踏む出し真下が懐中電灯で照らそうとした時だった。




「や、やめて…近寄らないでっ!!」

不意に女の声が小屋内に響き渡る。
その声色からは恐怖と困惑で混ざり合っていた。

「そ、そそそそ、それ以上近寄ったら、う…訴えるわよッ!!」

暗闇に慣れた視界で目を凝らしてみると、そこには距離を取って身構える女性の姿があった。
…その身構えからしてあまり迫力は無く、強がっているようにも見えた。

「あの…貴女は?」
「わ、私はテコンドーのブラックベルトよ!」
「いや、だからその…」
「乱暴するつもりなら覚悟するのねッ!!」

……駄目だ。話にならない。
どうしたものか、と考えを過ぎったその次の瞬間。




「黙れ!
死にたいのかッ!!」



一向に此方の話に耳を貸してくれない女性に苛立ったのか、真下が険しい顔付きで一喝する。
真下の剣幕に流石に怖気づいたのか、女性は「き…!?」と引き攣った声を上げて黙り込んだ。

穏便なやり方じゃなかったけど、でもこれで女性から話を聞ける。
そして、女性が落ち着くのを待って話を聞いてみると……。



「……し、失礼。貴方達を誤解してたわ。
有村クリスティ。フリーのアナウンサーよ。…最近は、メディアに出て無いけど」


…ん?有村クリスティ?
名前を聞いた後に、クリスティの顔を凝視すると勇廻は「あっ!」と声を上げた。

「有村さんってあの有村さん?報道番組見てましたよ!」
「有村……?ああ、居たなそう言えば。
スキャンダルで干された女か」

真下の容赦ない言葉にクリスティは思わず真下を睨む。…が、当の真下はそれを鼻で笑うように見返す。
兄さん、それはいくらなんでも辛辣過ぎる!!


「あ、あの…それよりも有村さんはどうして此処に…」

急いで話題を変えようとしたが、そこで口を閉ざす。
吐き出した言葉は飲み込むことは出来ない。
隣で真下の舌打ちが聞こえた。クリスティも顔を曇らせてしまった。



そうだった。此処は――…『自殺の名所』で有名なH城樹海。
あの自殺志願者だった木村正男の顔が脳裏に浮かんできた。

馬鹿な事を言ってしまった。
勇廻は自身が発した己の愚かさを呪った。



「……死のうと思ったのよ」

クリスティが重い口を開く。

「ええ、馬鹿な事だって言うのは自分でもよく分かってる。
…でもね!そうするしかない時がたしかにあるのよ!」
「悲劇のヒロイン気取りとか、死ぬほど迷惑なんだよ。
死にたければ一人でさっさと死ね」
「だから…誰にも迷惑かけないつもりで此処に来たのよ。
最後に、もしかしたらと思ってあの人に電話しようとしたけど、駄目で…それで決心したの。

で、でも…そしたら森の中で……大男…。ものすごい、大男が……。

い、いえ…本当に人間だったのかはわからないけど…兎に角そんな人影を見掛けたの。
そしたら、急に怖くなって…慌ててこの山小屋に逃げ込んだのよ。
さっきまで死のうと思ってたのに、避難するなんて…笑えるわよね…」

クリスティの自虐な発言も最早耳に入っていなかった。真下も同じだろう。
彼女の話から出て来た大男のキーワードがいつまでも脳裏を駆け巡る。
今の自分の顔は酷く歪んでいることだろう。
黙り込んだ二人に、クリスティは困惑しながら「ど、どうしたの?」と遠慮がちに声を掛けてくる。

「…同じだな、メリィの話と……」
「……うん。
あの…クリスティさん。最近痣のような物が出来ませんでしたか?
獣に噛まれた様な痣で、時々ズキズキと痛んだり…」
「…!?な、なんで知ってる…の…?」

クリスティはそう言うと、右掌を見せてくれた。
以前自分と真下に刻まれていたシルシと同じ印があった。
何ていう事だろう…。自殺志願者にシルシがつくなんて…こんな展開誰が予想が出来るのか。



「大体話は分かったが、どうする?
自死願望のある人間を助けるべきとは…」
「でも兄さん……って、うわッ!?」

次の言葉を出そうとしたら、クリスティが懇願するように勇廻の腕にしがみ付いてきた。

「た、助けてよッ!!
もう自殺なんてしないわ!本当よ!だからお願い!あいつが怖いの!」

今から自殺をする人間がこんなことは言わない。
怖い、と言うのは、まだ生きていたいと願っている本心なのだろう。
…仮に、一時的な気持ちだったとしても、こんな所に…それに同姓である女性を一人で放っておくわけにはいかない。

「分かりました。手を貸しましょう」
「おい、勇廻。
死にたがりを連れて行っても足手纏いになるだろうが」
「それでも、こんな場所に一人放っておけないよ。
取り敢えず九条館に戻って八敷さん達に話を……」



――瞬時に真っ暗闇に染まった。
真下が手にしていた懐中電灯の明かりが急に光を失った。

「え?な、なに!?」
「…ッ!?に、兄さん、何で消したの?!」
「俺じゃない。勝手に消えたんだ」

暗闇の中で、懸命に懐中電灯を掌で叩き付ける音が響く。
だが、いくら待っても電灯がつく気配はなかった。


突如、小屋の外から鈍器か何かで叩き付けるような大きな音がした。
その振動が小屋全体に伝わってきた。
ギクッと体を強張らせた勇廻と真下は咄嗟に木製の壁に顔を向ける。

「きゃあ!!な、なに!?今のなに!?」

クリスティは甲高い悲鳴を上げると、更に勇廻の腕に強くしがみ付く。
彼女の恐怖による震えが勇廻にも伝わってくる。
気休めだと分かっていても、震えるクリスティを落ち着かせるように彼女の肩に手を置く。

「小屋の裏だ…。例の奴が来たのか……くそっ!」

真下は電灯を諦め、傍にいる勇廻の手首を掴む。


「…逃げるぞ。森の外まで。小屋にいるのは自殺行為だ。
此処は妙に整理されてる…つまり誰かが来ている。
奴は此処に来る可能性が高い」
「……確かに此処に居ても意味が無いし。
歩いてきたんだから、きっと帰りの道も分かるはず」
「ほ、ほんとうに行くの?嘘でしょ!?」

正気なのか、と訴えるようにクリスティが躊躇する。
だが、今はそんな事で悩んでいる時間も惜しい。


「クリスティさん、もう時間がないんです。
もし助かりたいんなら、私達と一緒に来てください!」
「う…う…ううぅううーーーッ!!」

腹を括ったクリスティは下唇を噛み締め何度も頷くのを確認すると、三人で塊となったまま屋外へと出た。
懐中電灯の灯りで森の中を探索していた為、あまりの暗さに思わずたじろいだ。

「流石に暗いな」
「…月明りを頼りに進むしかないね。
クリスティさん、ちゃんとついて来て下さいね」
「え、ええ…」

意を決して暗闇と異常な寒気に包まれた森の中へと足を踏み出す。



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来た道を思い出しながら、灯りが無い状態で尚且つ早まる気持ちを抑えながら慎重に道を進んでいく。
こんな所で迷ったり回り道をすると捕まってしまうかもしれない。
早く…、早く出口へ……!



「ちょ、ちょっと待って…」

不意にクリスティが掴んでいた勇廻の腕をグイっと引っ張りその場に引き留める。
勇廻が立ち止まったのに気付いた真下も歩みを止め此方を見る。

「どうしました?」
「誰か、来る……」
「…え?」
「おい、何を言ってる。今は先に…」
「だ、だから!その先から誰か来るのよ!」

クリスティの言う通り、前方に人の気配がした。
最悪の展開を過ぎった勇廻は、クリスティを背後に隠す様に身構える。
そんな勇廻の隣に立っていた真下はコートの懐に手を忍ばせ、前方の暗闇に視線を逸らさずに凝視する。

そして、闇の中から飛び出して来たのは……。



「あ、姐さん!」


まさかの登場人物に、驚きのあまり変な声を出してしまった。

「翔くん…!!?(…ん?姐さん?)」
「良かったぜ。もっと遠くに行ってるかと…」
「で、でも…何で此処に?」

率直な質問をすると、翔は気まずそうに視線を泳がせる。

「あ、ああ。ちっと気になっちまってよ。
取り敢えず気合入れてチャリで来てみたんだが……」



「おい、翔!あまり先に行くな!」

翔の後ろから別の声が聞こえた。
その人物を前にしてギョッと目を見張ってしまった。


その人物は、肩で息を整えている八敷だった。
先走った翔を追い掛けてきたのかもしれない。
これには、真下も驚きのあまり声が出なかったようだった。

「…おい、なんで貴様までいる」
「はぁ……、いや、翔が「俺も森に行く」と言い出してな。
俺は止めようとしたんだが…」

チラッと八敷は翔を見る。
だが、翔は明後日の方向へ顔を向け知らんぷりを決めた。

……あぁ、大体察しはついた。
自転車を全速力で駆け抜ける翔の後を、八敷さんは同じ自転車で一生懸命追い掛けたんだろうな。きっと明日は筋肉痛とかに悩みそう。


でも、こんな行為をメリィは許したのだろうか?
印人は複数で行動を共にすると、シルシの進行が速まり怪異に気付かれるのではなかったのか。

「で、でもよ…。なんかヤバい感じっぽいな。
来てよかったぜ。…な、オッサン?」
「……そう、だな。
一度九条館に戻ろう。詳しい話はその後の方が良いだろう?」

八敷の視線は、勇廻の背後にいるクリスティの方へと向けていた。

「うん…。その方が助かる。
車の中でも話すから、先ずは此処から出よう」

勇廻の意見に賛同した皆は、出口を目指して歩み始めた。



【……To be continued】

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