×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -




06.花彦くん「今後の行方」

客室の窓際に目をやると夜明けが近い時刻が過ぎようとしている。
夜闇に包まれた雲の狭間から淡い光が薄く漏れていた。
この数時間の間に体験した奇怪な出来事は、恐らく忘れる事は無いだろう。

…こんな事を話しても、誰も信じてくれないことは目に見えている。
同じ死地を共にした者同士でしか分かり合えない…としか言えない。



「おい」

自分の世界に入り込んでいた勇廻に、不機嫌そうな声で呼び掛ける真下は、いつの間にか椅子に体重を預けている勇廻の傍に立っていた。
スーツの上着とネクタイを脱ぎ、カッターシャツの袖を腕まくりしラフな格好になっている。

「いつまでそんな所にいるつもりだ」
「…あ、ごめん。
なんか今まで起きた事に現実味が無くて、ちょっと頭が飛んでた」
「…分からんでもないがな」

はぁ、と大きな溜め息を零す。



「分からんと言えば、お前の傷がいつの間にか完治している事だが…あの人形に何かされたか?」


…痛い所を突いてくる。

上半身をバスタオルで包み込んでいる勇廻の肌には、花彦くんにつけられた傷痕が綺麗に消えている事に真下は理解し難いみたいだ。

それもそうだろう。
H小学校で救出され、九条館に辿り着くまで勇廻の体中には所々に引き裂かれた傷だらけだったのだから。
その証拠に壁に掛けられている勇廻のスーツとシャツには、複数の切口と血が滲んでいる。


「……さっきメリィさんが言ってたじゃん。
花彦くんが消えたから、傷もシルシと一緒に消えたって」

それでも訝しげに見つめる真下の鋭い視線が痛い。
その視線で見られるのは苦手だ。
隠している事を何もかも答えてしまいそうで……。



「…まぁ、いい。
傷が残らなくて…良かったな」

先程の視線と打って変わって、眉を下げると同時に僅かな笑みを浮かべる。
素肌を晒している肩に手で触れると、指先から伝わる温もりに驚き少しだけ肩を上げる。
その反応が余程面白かったのか、真下は目を細め口角を上げた。

「…に、兄さん…!」
「なんだ?」
「こ…此処…皆がいるって…ッ」
「だから?」
「だ…って、え…っ!?」

反論する前に真下の手付きが徐々にエスカレートしていく。
上半身を隠しているバスタオルに手を掛け親指で引っ掻けると下へずらし素肌を露わにさせる。
それどころか、勇廻が座っている椅子に膝を乗せ体重を掛けると、首筋に唇を寄せて柔肌を堪能する始末だ。
チクっと甘い痛みが首筋を走る。白い肌に紅い華を咲かせた場所にゆっくりと舌を這わせる。

「あ…っ!…ぅ、んッ」
時折漏れる甘い声を堪える様に唇を閉ざし必死に耐える。


や…ヤバい…!これ以上は本当にヤバい!
隣には萌ちゃんやつかさくんがいるのだ。それに八敷さんとメリィさんもいる。
幾ら眠っているからとは言え、もし何らかで起きてしまったら…!!




「お前が声を我慢すればいいだけの話だ」


……も、もおぉおぉぉ…ッ!ひ、人の気も知らないで…!
負け気と睨み返すが、逆効果だった。




「そんなに肌を見せているお前が悪い。


……と、言いたいが」


圧し掛かった重みが急に無くなった。覆い被さった真下が身を引き寝台へと足を進める。
頬を赤らめズレかけたバスタオルに手を掛け胸元を隠しつつ、真下の背を見つめていた。



「今日のところは“それ”で勘弁してやる。
お前もさっさと寝ろ。明日は色々と忙しくなるぞ」

簡潔に言うと真下は寝台の中へと潜り込み横たわった。
数分後に真下の背中から規則正しい寝息が聞こえてきた。


「……流石の兄さんも、そこだけは確りしてるんだ、ね…」

一人取り残された勇廻は、火照った体のまま真下と共に寝台に入るとまたちょっかいを出されると思い少しの時間だけ体を冷まそうと椅子の上に体育座りをしたままジッとしていた。
…が、首筋に残った“そこ”に手を当て、先程の擽るような感触と甘い痛みを思い出してしまい再び顔を赤らめた。


淫らな思想を振り払おうと、数時間前のやり取りを思い返す事にした。



________________________________________




H小学校から無事に帰還した八敷のシルシが消えていない事から始まる。
花彦くんに関わった印人のシルシが消えたのにも関わらず、自分のシルシだけ消えない事にメリィに問い詰める八敷だったが、メリィは冷静に対応した。
しかも、その言葉は更に奈落の底へと突き落とすのに十分だった。



「それは、貴方様にシルシを刻んだ相手が…花彦くんではなかったのかもしれません」



八敷の表情がみるみる内に蒼褪めていく。
今にも膝が崩れ落ちそうな雰囲気を漂わせている。


「…!や、八敷さん!」

フラッとよろめいた八敷に勇廻は慌てて駆け寄ると、肩に腕を回し態勢を立て直させる。
項垂れていた八敷の口が僅かに動いた。
恐らくお礼を述べたのだろうが、その声は蚊の羽音のようにとても小さかった。




「……八敷様…。
宜しければ、シルシを見せていただけますか?」


早まるな、とでも言いた気にメリィが口を開き此方に来るように促す。
それに従うように八敷はメリィの前にシルシのある腕を差し出す。

確かに、八敷の右手首背面には初めて会った時と変わらずに、不気味な赤色で彩っているシルシが健在していた。
本当に八敷の命は今日の夜明けに散ってしまうのか…。

そんな不安な気持ちが重なる中、メリィは首を微かに動かしジッとそのシルシを見つめている。



「……矢張り、間違いない。
ほんの僅かで御座いますが、シルシから感じられる因果の力に歪みが生じております」
「歪みだと?」

八敷から疑問の声が漏れる。
首を動かしていたメリィは元の態勢に戻り、気を落としている八敷を真っ直ぐ見つめる。


「消えかけていた貴方様の命の灯火ですが、微かながら明るさを増しました」
「…それはつまり、夜明けの死は免れたということか?」
「左様で御座います」
「…………」

額に手を当て目を伏せた八敷から深い溜め息が零れた。
同じように勇廻からも安堵の息を零す。
背後から、萌とつかさも安心した様な声と、真下が「…ふん」と鼻で息をする音が聞こえた。

「八敷さん…取り敢えず良かったですね」
「…あ、ああ。まだシルシは残ってはいるが」

一難去ってまた一難…とまではいかないが、一先ず夜明けの死が去った事を素直に喜んでも良いだろう。
八敷の顔から、少しだが明るさを取り戻していた。



「どうやら八敷様のシルシは、私の知るものと異なるようです。
ただ、怪異に刻まれたものであるのは間違いありません」
「え…メリィさん…。
それって…まさか、花彦くん以外にも、シルシを刻む怪異がいるって言う事?」


出来たら嘘であってほしい。怪異は花彦くんのみだとメリィの口から言って欲しかった。
だが、それだと未だに八敷の右手首に刻まれているシルシはどう説明すれば良いのか。
そんな甘い考えを一蹴するかのように、メリィは続ける。



「…はい。死者の怨恨から生まれた怪異は、生者に飽くなき憎悪を抱いております。
その淀んだ憎しみの念は、生者を殺すだけでは飽き足らず…死の淵へと追い詰めて、恐怖と絶望に染め上げようとする。

――それが彼等の望みなのです。
シルシも、その為の便法なのでしょう」



何とも恐ろしい話だろう。
恐怖そのものを目的とする怪異……聞けば聞く程理解を超えた存在だ。
それはつまり人間…もとい生者に恐怖を植え付けて絶望へと堕とそうとしていることなのか。

ただ恐怖の味を堪能するだけの為に、恐怖と絶望へ導く怪異……。


「このH市には、怪異が生まれやすい『なにか』があるようです。
それが何であるのかは分かりませんが」
「シルシから逃れるには……自分にシルシを刻んだ怪異を見つけて何とかするしかない訳か」
「はい、怪異が消えると共にシルシも消えるのが理で御座います。
貴方様が死の運命から免れ、失われた記憶を取り戻すにはそれしかありません」



一息つくと、メリィが皆に休む様に提案する。
確かに皆の顔色が疲労感に満ちている。
八敷も顔色は取り戻せたはものの、肉体的にも精神的にも疲れている筈だ。
此処はメリィの提案に乗るのが難いだろう。


「うん、その方が良いよ。皆も疲れてると思うし…。
メリィさん、部屋ってどれを使ったらいいの?」
「お好きな客室を使っていただいて構いません。
どうぞお休みくださいませ」

ギギッと軋む音を鳴らしながら軽く頭を下げる。

萌とつかさが八敷に歩み寄り礼を伝えている間に、真下は自身が貸したトレンチコートを羽織っている勇廻に目をやる。


「…?兄さん、どうしたの?」
「お前…傷はどうした?」

真下が疑問に思うのも無理はない。
館を出る前に満身創痍の状態だった勇廻の身体には、傷一つついていないのだ。
答えに困っている勇廻に、メリィが助け舟を寄越す。


「勇廻様の怪我は花彦くんによるもの。
恐らく花彦くんが消滅したのと同時に、受けた傷もシルシと共に消えたのかと考えられます。
勇廻様の肌に傷が残らなくて本当に良かったです」
「………」
「ほ、本当だよ兄さん。
メリィさんの言う通り、シルシと一緒に傷も消えたの」

何かを言いた気にしている真下を宥めようと勇廻が口を挟む。
次第に眉を顰めながら溜め息が零れる。

「……なら、いい。
取り敢えずコートのクリーニング代はお前持ちな」
「…はぁああ!!?」
「その血は誰のものだ?汚したお前が払って当然だろうが。
あーぁ、そのコートは俺のお気に入りだったんだがな〜…。
それに、お前の服も花彦に切り刻まれてボロボロだろうし、そんな状態で外にも出れないだろう?
誰がお前の着替えを持ってくるんだろうな?」


ぐさっ!ぐさぐさっ!と次々と心に真下の言葉の槍が突き刺さる。
どれも否定はできないし、反論する立場はない。
今の勇廻が身に纏っているのは、大判サイズのバスタオル一枚とボロボロに刻まれたスーツズボンだけだ。しかもその隙間から下着も見えている。

こんな状態では外に出る事はまず不可能だ。
もしくは、変人だとかで通報され同職である警察官に現行犯で連行されてしまう。


…そんなの絶対にお断りだ!!
刑事なのに変質者扱いで逮捕されるのはもっと嫌だ!!!
女として、一人の人間としてのプライドがズタボロにされてしまいそうだ。




「……わ、分かったよ!!
クリーニング代くらい払うよ!あと家から着替えを持ってきてください!!」
「下着もか?」
「……………はい」
「あー、分かった。
明朝に出るから『安心』しろ、勇廻」


――そんなラスボスみたいな悪どい笑みで言われても、全然安心出来ないです。
この意地悪が大好きな真下兄さんには、絶対に勝てないんだなと改めて思った瞬間だった。



仲の良い(?)兄妹の会話に、八敷を始め萌とつかさは呆然と、メリィは物珍しそうにその様子を眺めていた。



【……To be continued】

[ 7/25 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]