05.花彦くん「救済」
「勇廻さん、沁みますか?」
「ん…大丈夫。
私こう見えても刑事だからこんな傷痛くない…よォッ!」
「……では、もっと消毒液をつけても問題ないですね」
「〜ッ!!お、おぉ……痛ぐ、ない…!」
そんな漫才みたいなやり取りをしている勇廻とつかさを、ソファーに座っているメリィは何も言わずに二人の様子を見ていた。
真下と八敷がH小学校へ探索に出てから数分後、つかさが傷の手当てをすると言い出し勇廻の体についた傷に消毒液を染み込ませた大判のコットンを当てて手当をしている。
性別は男だが、小学低学年のつかさになら大丈夫かと思い真下から借りたトレンチコートと引き裂かれたスーツとカッターシャツを脱ぎ、乳房が見えないようにバスタオルで隠し(つかさが気を使ってくれたのか萌の探索時に見つけた浴室から持ってきてくれた)背中の傷はつかさに任せ自分は胸元の傷に消毒液をつける。
「でも…こんな深い傷を負ってるのによく我慢出来ましたね」
「痛いのを我慢しないといけない時もあるんだよ、つかさくん」
「…大人って勝手だな」
唐突な言葉に面食らった勇廻は、後ろにいるつかさへ首を向ける。
心無しかつかさの顔は拗ねた子供のようにムスッとしている。
「子供でも痛い時は痛いって言うのに、大人は痛いのに我慢して痛くないって言って……本当に馬鹿ですよ」
――これは、痛い時は痛いって言えと遠回しに言ってるのかな?
それとも本当に「大人は馬鹿だ」と言ってるのか……いや、このこの場合だとどっちとでも捉えてもいいだろう。
こう言う偏差値の高い子供の考えと、平凡な考え方を持っている自分とではまず合わないだろう。
「あー……じゃあ、傷痛いです」
「我慢してください」
「さっき言ってたのと違う!!全くの真逆だよ!!
つかさくん絶対にドSでしょ?!」
「大人が喚き散らかすもんじゃありませんよ。見苦しいです」
「つかさくん!!?!?」
「勇廻様、よろしいでしょうか?」
メリィの凛とした声色に二人は思わず口を閉ざし其方に視線を向ける。
滴り落ちる程、消毒液を染み込ませたガーゼを手にしたつかさも手を止めていた。
「え、何?」
「御手数ですが私の前まで来てくださいませんか?」
「?…え、ええ」
言われるがままメリィの元に歩み寄る。
つかさも心配そうに勇廻の傷だらけの背を見つめている。
「そのまま屈んで下さいませ」
「えーと……こう?」
「有難う御座います。
では、少し近づきます。動かないでくださいね」
え?と疑問の声を上げるよりも前に、ギギっと軋む音を鳴らしながら両手を前に出し勇廻の肩にそっと触れる。
当たり前だと思うが、人形の手は人間と違って体温が無いのでとても冷たい。
……のはずなのに、何故か温もりを感じた。
肩に触れているメリィの手から熱がこもり淡い光が指の間から漏れていた。
光に呼応するかのように、傷がみるみる内に塞がっていく。
ギョッと目を見開く。
この人形は怪異の知識を持っているだけでなく、傷を治癒することも出来るのか。
……最早現実味がない。
「終わりました。
勇廻様、まだ痛みますか?」
いつの間にか『治療』が終わったみたいだ。
翳した手を引っ込めたメリィはいつもの体勢に戻っていた。
恐る恐る体に視線を落とすと、花彦くんにつけられた傷が無かったかのように消えていた。
後ろにいたつかさに背中を見てもらうと、背中に刻まれた傷も綺麗に消えているらしい。
「メリィさんって治癒能力とかも備えているのですか?」
「いえ、この能力は滅多に使用する事はありません。
治すと言っても勇廻様のような軽い傷を治す程度。あまり当てにしない方が良いかと」
――成程。そう簡単に使えるものでは無いとのことか。
もし、その能力があるとすれば亡くなった九条館の主人である九条サヤの傷をも軽くだが治療出来た筈だ。
今になってどうこう言っても過去は変わらない。
「取り敢えず…傷が無くなって良かったですね」
つかさが話を戻そうと声を掛ける。
確かに、先程まで感じた痛みが嘘のように消えている。
「メリィさんにこんな能力があるなんて凄いよ。
所謂白●法道士ってヤツだね」
「…大人の癖にゲームをやるんですね」
「大人でもするもんだよ、つかさくん。
因みに私は極度のゲーマだと同僚や兄さんにも言われてるよ」
「ドヤ顔で親指を立てないでくださいよ、嘆かわしいです」
心底呆れたかのように大きな溜め息をつくつかさに勇廻はハハッと屈託の無い笑みを見せた。
「…御二方、誠に申し訳ないのですが」
またメリィから口を挟まれる。
首を傾げながら次の言葉を待つ。
「先程の能力のことは、八敷様や真下様には内密でお願いします」
予想外の言葉だった。
思わずつかさが口を開く。
「え?どうしてですか?
メリィさんの治癒能力があれば傷を癒せるのに…」
「あまりその力を使用すると、私の中に収まっている『力』が激減してしまい皆様に助言する事が出来なくなります」
「……えーと、その治癒能力を多用するとメリィさんの自我が無くなってただの人形になってしまうって事?」
勇廻の考えに「その通りです」と答えるようにメリィが静かに首を縦に振る。
――それは困る。
只でさえ今現に起きている奇怪現象に戸惑っているのに、その知識さえ無い自分達にとってメリィは欠かせない存在なのだ。
メリィの注意を聞いた勇廻とつかさは、先程の治癒能力については、ここに居る自分達だけの秘密と言う事で片をついた。
「………」
「……?
つかさくん、どうしたの?」
「………え?なにが…ですか?」
何がって……。明らかにつかさの様子がおかしかった。
焦点が定まっておらず、何処に目を向けているのか分からない。
「ね、ねぇ…。大丈…」
……?
あ、あれ……?
何だろう…、急に思考が真っ白に染まったように何も考えられない。
次の言葉が出ることなく呼吸の音だけが漏れる。
「あ…え……?」
「勇廻…さん?……どうしまし、た…か?」
何でも無いよ。
……と、答えたいのに何故か言葉が出てこない。
「…は、はは…は…っ」
出てくるのは、自分の意志とは関係ない不気味な笑い声が出てくるだけだ。
つかさもつられて小刻みに肩を震わせながら小さな笑い声を漏らす。
壊れた人形のようにケタケタと笑い合うと、視界が急速に暗くなり意識がプツンと途切れてしまった。
意識が遠退くその間際に、下腹部に刻まれたシルシが何かに共鳴するように引き裂かれる程の激痛と共に疼き出したのを最後に感じ取ったのだった。
――――――――――――――――――
白と黒が混ざった世界のど真ん中に浮遊している感覚に陥る。
手足の感覚がない。
落下しているのかと錯覚したが、ただただ空中の中に泳いでいるだけで、落ちる心配はなかった。
だが、いつまでたっても状況が変わらないのは逆に不安に駆られてしまう。
何時になったらこの浮遊感から解放されるのか。
あれ?私…どうなったんだっけ?
兄さんと八敷さんが、萌ちゃんを探しにH小学校に向かったのを見届けて、つかさくんと待機していたはず。
花彦くんによってつけられた傷の手当てを受けていた所、メリィの不思議な力で傷痕を消して貰った…。
その後、急につかさくんの様子がおかしくなったのだ。
声をかけようとしたら、今度は私の頭の中のパズルがぱらぱらと砕け散り何も考えられなくなった。
つかさくんは?メリィさんは?
二人……いや、一人と一体?…はどうなったの?
こんな時に眠っている場合じゃないのに。
…あ、そう言えばシルシは?
上半身を覆うように掛けられたバスタオルに手を伸ばし下腹部を見てみる。
其所には、どす黒い深紅色に染まったシルシがあった。一段と濃くなっているのが嫌でも分かる。
そればかりか、シルシを囲むかのように周りには細かな血脈と思われる赤い筋も浮き上がっていた。
不思議な事に、体が麻痺しているのか痛みは全く感じなかった。
うわ……。これってヤバいんじゃないの?
私…もう助からないの、かな?
兄さんに……会えなくなるの……?
じゃあ、あれが最後のキスってなるの…かな?
兄さん…。悟兄さん……。
「ねぇ…」
すぐ側で誰かの声が聞こえた。
耳元に口を寄せて小声で囁くかのように鮮明に聞こえた。
声のする方へ振り向くと、小柄で背の低い少年が勇廻を見つめていた。
見た目が愛らしい顔付きをしていたので、一瞬ショートヘアの女の子にも見えた。
いや、それだけではない。
紺色の膝下までの長さがあるスカートを履いており、彼の唇は真っ赤で綺麗な赤色で彩られていた。
まるで母親の口紅をこっそりと塗ったかのように。
女の子の格好をしているその少年とは初対面なのに、何故か知っているような気がした。
これはデジャヴュ現象とでもいうべきだろうか。
「君は……『花彦くん』?」
思った事を口に出してみた。
少年は答えずに、ただにっこりと微笑んでいた。
いつの間にか浮遊感が無くなり、見えない地面に背中を預け寝そべっているようにも感じた。
膝を折った少年は、そっと近寄ると勇廻の髪飾りに触れる。
白の世界に染められた中、自身の存在を主張するかのような真紅色に触れた少年は目を細める。
「赤色…。僕と一緒だね。
ねぇ、お姉さん。お姉さんも赤色が好き?」
小首を傾げながら尋ねる。
その仕草は本当に女の子みたいで、赤色のほっぺがとても可愛らしかった。
「…うん。好きだよ。
その赤色はね、大好きな人から貰ったの。私の宝物。
君こそ、赤色は好きなの?」
「うん、僕も好き。
僕のこの赤色はお母さんから貰った物。お母さんの形見で、僕にとって大切な物」
「そっか……。
じゃあ、私と君は赤色が好きな者同士だね」
「そうだね。一緒だね」
スっと少年が立ち上がる。
――と、小さな頭から蛇のように蠢き頭髪に絡むように這う薔薇の蔦、両目がアンバランスな形に変形していき、夏服のカッターシャツの袖口から幾重に重なった太い植物の蔦が伸びてきた。
――あぁ、そうか。これが『花彦くん』か。
こんな醜い姿に変えさせてしまったのは、彼の中から生まれた憎悪と怨念だ。
淀んだ想念を抱いたまま死を迎え、怪異へと変貌したのか。
何て…報われないのだろう。
この子は何も悪い事はしていない。寧ろ被害者だ。
それなのに、何故このような終わり方で迎えてしまったのか。
いつの間にか、勇廻の瞳から涙が零れ頬を伝い落ちた。
少年のことを想ってなのか、目の前にいる怪異と対峙した恐怖によって出てきたものなのか分からなかった。
「ねぇ…。ボクって……綺麗?」
ゆっくりとした口調で問い掛ける。
涙で頬を濡らした勇廻は、そっと口を開いた。
「うん。綺麗だよ。
君のお母さんの口紅で…凄く綺麗に見えるよ」
醜く歪んだ顔から……安心したような微笑みが見えたような気がした。
――――――――――――――――――――――
閉じた双眸をゆっくりと開く。
視界一杯に広がる赤色に驚いたが、それが絨毯だと気付き上半身を起こし辺りを見回す。
すぐそこに、つかさが目を閉じたまま横になっていた。
慌てて肩に手をかけると、小さく上下に揺れていたのが分かり安堵の溜息を零す。
「……どうやら、八敷様達は花彦くんを退けたようです」
明後日の方向を見ながらボソッと呟いたメリィの言葉に、ハッと弾かれたかのようにシルシを刻まれた下腹部へと視線を向ける。
禍々しく刻まれた深紅色のシルシが、跡形も無く消えていた。
「消えて…る?シルシが消えてる…!
つかさくん、起きて!」
未だに目を覚まさないつかさの肩を強引に揺さぶる。
漸く目を覚ましたつかさの言葉よりも先に、左手首に刻まれているシルシに目をやると……。
勇廻と同様にシルシは消えていた。
「あれ…?勇廻さん、どうしました?」
「つかさくん!見てみて!ほら、シルシが消えてる!」
「え?……本当だ!…と言う事は?」
「兄さん達、やったんだよ!……あ、兄さん!」
複数の足跡を耳に入った勇廻は、嬉しそうな声を上げる。
真下、萌、八敷の順で無事にホールへと帰還した。
…が、何故か八敷の顔がとても暗かった。
何処か怪我でもしたのだろうか?
「勇廻さぁあ〜〜ん!!
やったよ!シルシが消えたよ〜!」
涙目で歓喜の声を上げながら猛ダッシュし、両腕を広げると勇廻に飛びつき抱き締める。
萌の様子から見て彼女が刻まれたシルシも消えたのだろう。
落ち着かせるように背中を優しくトントンと叩きながら「良かったね」と安堵の声を漏らす。
だが、何故ジャージを身に纏っているのだろうか。確か制服を着ていたはずなのだが。
それを聞いてみると萌の表情がギクッと強張り、何故か頬が真っ赤に染まっていた。
あまり触れて欲しくなさそうだと察すと、それ以上何も聞かなかった。
「…ったく。人騒がせな奴だ。
死ぬのが怖くて一人逃げ出したのかと思ったんだがな」
「むっ!そんな事しないよ〜!
『花彦くん』を見れる絶好の機会を逃す訳ないし!」
「……呆れて何も言えん」
その言葉から心底呆れていると物語っていた。
「兄さんも…消えたの?」
「ああ、お陰様でな」
フッと鼻で笑うとシルシが刻まれていた右手首を見せる。確かに刻まれていたはずのシルシが跡形も無く消えていた。
どうやら皆が死の運命から逃れる事は出来たようだ。
……と、思ったが八敷だけは違った。
蚊帳の外に追いやられたかのように皆の輪から距離を保っていた。
「…?八敷さん、どうしたの?
八敷さんもシルシが消えたんじゃないの?」
「………」
無言。目には生気が宿っていないようにも見えた。
困惑する勇廻に、萌が遠慮がちに口を開く。
「それが……おじさんのシルシだけ消えてないの」
耳を疑った。まるで死の宣告を目の当たりにしたようだ。
ゆっくりとした動作で右手首を前に出すと……禍々しい赤色のシルシがまだ八敷の右手首に刻まれていた。
まるで八敷にだけ死神が取り憑かれたかのように。
「う…そ……。なんで?
だって、花彦くんは…いなくなったはずじゃ…!?」
「此処で俺達が考えても答えには辿り着けん。
これに一番詳しい奴に話を聞いた方が早い。
…八敷、早くメリィから話を聞いてこい」
「……ああ」
その足取りはとても重そうに見えた。
寂しそうな背中から、死の運命を司る死神がぴったりと背中に張り付いているようにも見えた。
【……To be continued】
_______________________________________
【補足】
此方に記載しているメリィの治癒能力は当サイトでのオリジナル要素です。原作にその描写は一切存在しないのでご了承くださいませ。
その意味は、また後程に……。
[ 6/25 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]