旅立つ日 | ナノ

(ジャーファル死ネタです。緩い性描写あり)

ある朝目覚めたら、私は光の中にいた。特に何があるわけでもない。何が聞こえるわけでもない。真っ白な光の中。矛盾しているが、“無”というものをもし形に表せるとしたら、こんな感じなのだろうかとぼんやりたした頭の片隅で考えていた。そして、此処に来ることで既に悟っていた。なぜだかはわからない。けれど確信していた。

―――生命(いのち)に、終わりが来るのだ、と。


それからは忙しかった。政務の引継ぎや今後の方針について。伝えきれない分は書物に残し、その作業は深夜にまで及んだ。音のない静かな夜を一人過ごしていると。ふと考えてしまう。“どうして私だけが”と。
シンと出会い、この国の立ち上げにも1から関わってきた。驚くべきスピードで進んできたとはいえ、この国はまだ発展途上。まだまだ改善しなければならない問題は山ほどある。そんな中、私はひとり死んでいく・・・。これが運命というものなのだろうか。ルフの導く定めだというのだろうか。


「ジャーファル、」

扉の外の声から少しして、ゆっくりとそれは開かれた。ああ、我が王よ。どうしてそんな顔をするのです。あなたは優しすぎていけない。

「作業の方はどうだ。」
「ええ、優秀な文官たちのおかげで思ったよりも早く進んでいます。あなたも珍しく仕事をしてくださいますしね。」

私が笑うたび、貴方は泣きそうな顔をする。けれど私は泣くことはできない。泣くことはできないのです。

「八人将が一人欠けるにあたり、新たな人材を選出している最中です。文官の長としてはあなたも目にかけている彼女を推薦しようかと考えています。彼女は頭のきれる子ですから、きっと役に・・・」
「っ、ジャーファル・・・!!」

王のたくましい腕に抱きすくめられ、しかしそれは弱く震えていた。


・・・決して何も手をうたなかったわけではない。国中の魔導師を集めて原因を調べた。アラジンの力も借りた。ありとあらゆる文献を読み漁った。しかし結果は変わらなかった。
悪いところなどどこにもない。至って健康であり、呪いをかけられているわけでもない。ただ、見えないのだ。ジャーファルの先を視ようとすると、そこには闇が広がるばかりで明日のことすら何一つ見えない。
王宮が慌ただしく動く中、本人だけは落ち着いており、早々に自分のいなくなったあとのための作業を開始した。

「王よ、悲しまないでください。私は充分に幸せでした。貴方に出会い、この国を作り、次の世代を見守り・・・。貴方に出会わなければ、決して見ることのできなかった世界です。全て、貴方が与えてくれたものです。」
本当はね、まだ生きたい。生きて、貴方の隣にいたい。貴方にもらったたくさんのもの、まだ少しも返せてないんです。「生きたい」と、喉が避けるほど叫びたい。
・・・でもね、いいんです。だってあなたの腕はこんなにも暖かい。

「・・・俺は、7つの迷宮を攻略し、7海の覇王と呼ばれ、7海連合の長であり、この国、シンドリアの建国者であり王だ。・・・なのに、一番大切な者の前で・・・俺は・・・無力だ・・・!」
「・・・シン、顔を見せてください」

幼子をあやすようにそっと背中をさする。いやいやと首を振る彼に、貴方の顔が見たいんです、と告げると、すこしだけ腕の力がゆるんだ。

「・・・ごめんなさい」

周囲を引き付ける力を持ちながら、たくさんの仲間に囲まれながらもどこか一人孤独に震えていた貴方。前へ前へと進んできたはずなのに、それは望まぬ方向へと曲がりつつある。それでも進まねばならない貴方をまた独りにしてしまうと、頬を撫でながら謝ると、お前はずるい、と溢れる涙でその指を濡らした。

――シン、どうして泣くのです
―――お前が泣かないからだよ、ジャーファル。

細い指先が俺の溢した水滴を拭う。
この世に神などいなかった。どうしてこのこえを聞き届けてくれない。どんなに崇めようが祈ろうが、結局未来は変わらない。ああ、わかっているさ。これはただの独りよがり。神とは都合よく力を与えるものではない。神とは見守る存在なのだ。

・・・・・

絡めた指先を強くにぎり、盛る熱を深く深く穿つ。唾液も吐息も身体でさえも全て混じって溶けてしまえばいい。お前の全てが愛おしい。
月明かりに照らされた銀の髪をすいて、汗ばんだ額に口付ける。小さく開かれた口からもっと、とねだる声がこぼれ、おさまったはずの熱が再び首をもたげた。
「ぁ、・・・シン、っ・・・!」
きゅう、と締め付けられると同時にもう何度目になるかわからない欲の塊をジャーファルの奥深くに注ぎ込んだ。
「愛してる、・・・愛してる、お前を。ジャーファル・・・!」
「ええ、私もです。愛しています、シン・・・」

―――行かないで―――

最後の一言を無理やり飲み込んで、喰らいあうような口づけを交わした。
獣のごとく交わる二人を、月はただ静かに見下ろしていた。


・・・シンドリアが、泣いていた。街が沈んでしまうのではないかと思うほどの大雨は、海を荒れさせ嵐を呼んだ。
それは、まるで俺の代わりに駄々をこねているように見えて可笑しくて、ぽっかりあいた心の端で一人嘲笑った。
その日の正午、雨風を凌ぐための結界の中、ジャーファルの葬儀はつつがなく行われた。
一人ずつ花を添え、最期の言葉を告げていく。ピスティやヤムライハは泣きじゃくり、シャルルカンの頬も濡れていた。マスルールもうつむき唇を噛み、誰もが悲しみにくれていた。
そんな中、ただ一人だけ笑みを浮かべている人物がいた。
・・・ジャーファル本人だ。
いつものように優しい微笑みを浮かべ、皆に見送られ彼は天高く昇っていった。


「・・・王よ、しばらくお休みくださいませ。ほかの政務の指示は頂いておりますし、必要があればこちらからお伺いいたします。今はその御心をお休めください。」

ジャーファルのそばについて、いつも彼を支えていた女性の文官が、泣きはらした瞳を細めた。
「いいや、そういうわけにはいくまい。君たちも今日は休みなさい。明日からまた頑張ってもらわないといけないからな!」

疲れきった肩をたたき、俺はその場を離れた。自室に戻り、淡い翡翠の布に包まれた宝石を取り出す。ジャーファルの額にあったものだ。これだけ燃えずに残っていたのだと、ヒナホホに渡された。その裏側に彼の笑顔が浮かんで胸が締め付けられた。
今日だけ、今日だけは何もかも忘れて愛しい人だけを想おう。それがジャーファルと交わした最後の約束。・・・彼の、最後の願い。

(シン、ねえ、シン、お願いがあるんです。)
(なんだ?)
(あなたは王です、この国の民の王です。誰か一人のものになることは許されないこと・・・。でもね、私のいなくなった最初の夜だけは、どうか私のことだけを想って欲しいのです。おこがましいですが、一夜だけでも、私だけのシンでいて欲しいのです。)
(ああ、わかった、もちろんだ。ばかだなあ、そんなことを言われなくても、今でさえ俺の中はジャーファルでいっぱいだよ。)
ジャーファルはゆっくりと首を振りそして、王よ、と俺を呼びなおす。
(あなたはこの国を導く義務があります。回りだした歯車は止まらないでしょう。そしてそれに巻き込んでしまった者たちへの責任を果たさなければなりません。一夜が過ぎたら王として、その責務を全うしてください。・・・それがジャーファルの願いです。)


「      」
ぽたり、今日、愛しい人がいなくなって初めてこぼれた涙が、真っ赤な宝石へと染み込んだ。するとそれは淡く光を放ちはじめ、真っ白なルフが溢れ出す。彼らは一瞬だけジャーファルの姿をかたちどると、シンドバッドをやさしく包み込み空へと還っていった。
いつの間にか雨はやみ、夜空には星が散りばめられていた。
手も届かない、高く、遠い空の上、月はやわらかく彼らを照らした。


今宵限りの私の王よ
(貴方とこの国の行く先に、幸多からんことを。)


Music:旅立つ日(JULEPS)