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結局どんな話し合いが行われたのか知らないが、私は副長補佐として土方さんの隣で変わらぬ毎日を繰り返すことになった。総悟くんとはあれ以来お姉さんの話はしていない。次の日二日酔いで頭が痛いだ肩が痛いだ騒いでいた総悟くんは、嘘か本当か分からないが私の部屋に来たことを覚えていないと言った。


「お前の悩みは解決しただろう。次はなに考えてんだよ」
「え?」
「え?じゃねえわ。文字の一つや二つくらいまともに書けねェーの?お前は」


溜息混じりに土方さんが筆の端でトントンと私の作成していた報告書を叩いた。視線を落とせばミミズのような解読不明の文字が紙を這っている。


「すみません。ちょっと珍しくぼけっとしてました」
「お前がぼけぼけしてんのは珍しくねえだろ、自己評価高すぎんぞ」


本当使えねえなお前。心配でもしてくれたのかとも少しだけ思ったけど、そうじゃなかったらしい。総悟のところにやった方が良かったか?と続けられて嫌ですとさえ答えられなかった。ずっと思ってたことだけど、叶わなくても思い続けてれば特別のままでいれると思っていた。自分は土方さんの特別なんだと思っていた。"自己評価高すぎる"その通りである。特別はもう他にいるらしい。なら私の思いは迷惑なのではないだろうか。土方さんも酷い人だ。他に好きな人がいるのに私に期待させるようなことを言ってくれちゃうんだから。


「はあー…。そんなんじゃ邪魔だって何回言えば分かんだよ」


しばき倒すぞいい加減、土方さんが不機嫌そうな声を出した。最近稽古も土方さん以外とばかりだった気がする。「久しぶりに手合わせお願いします」と言えば驚いたように目を開かれた。


「なにお前、気持ち悪いんだけど」
「なんでですか」
「いつも俺とは嫌だって騒いでんじゃねえか」
「たまには土方さんの相手でもしてあげようかなって思ったんです」
「生意気。俺がてめえの相手してやってんだ、勘違いすんな」


ジュッと煙草が灰皿へ押し付けられる。書類もそこそこに土方さんは「行くぞ。二度とナメた口利けなくしてやる」と立ち上がった。
嫌いになんてなれそうもないから、せめてもう望みなんて見せないで欲しい。私の言ってることはコロコロ変わる。もうよく分からなくなってきた。この人と私はどうなりたくて、私の気持ちはどうすれば満足するのだろう。



散々にぶちのめされ、息も上がって立っているのがやっとだという部下の喉元へ竹刀を向けた上司は睨みつけるように私を見た。


「もう終めェーか?まだいけんだろ」
「無理です」
「無理じゃねえよ。構えろ」
「っつ!」


余計なことを考えていたからだろうか、反応が遅れて全然手合わせできてない。一方的にやられてるだけだ。避けることも封じることもできなくて…それでも土方さんはいつも通り打ち込んできた。


「土方さん、ほんとにっ、もっ」
「無理なんざ言わせねェ」
「せめて休憩!休憩入れてください」
「却下」


道場に掛けられている時計から察するにもう2時間はぶっ通しだ。そんなに先ほどの生意気な言葉がムカついたのだろうか。謝るから、本当すみませんでした。なんなら土下座も喜んでするから勘弁して欲しい。こういう時だけ女だからとか言いたくないけど、可愛い可愛い乙女に打ち込む力じゃないと思う。


「二度と!二度とナメた態度取らないんで!ミミズみたいな書類とか作らないんで!!」


バシバシと受け止める竹刀から振動が伝わる。2時間もぶっ通しだというのに土方さんの攻撃は落ちることを知らない。


「それに付け加えろ。二度と余計こと考えねえって」
「なんですか余計なことって!」
「お前は俺が好きなんだろっ、だったら余計なこと考えてねェーでずっと想ってろ!!」


どんっと尻餅をついた私の目の前でピタッと止まった竹刀。見下ろすように私を見る土方さんが「返事」と落ち着いた声で言った。どうして息が乱れないんだろう。どうして体力が衰えないんだろう。どうして、そんなことを言うんだろう。


「がっかりさせんな」
「自分勝手すぎませんかっ」


うんざりだと言いたげな声でそう言って背を向けた土方さんに感情が爆発した。こっちはこっちなりにいろいろ考えているのに、いつだってしっちゃかめっちゃかにするくせに。なんもわかってないくせに。めんどくさいとか言うくせに。好きな人がいるくせに。


「ああ?」
「にっ、睨むのは卑怯です」
「睨んでねェーよ」
「怖いですよ、顔が」
「生まれつきだ。それより、自分勝手ってどういう意味だコラ」
「っ!だから睨まないでください!あっ、胸ぐら掴むのも無しですよ!!」
「ごちゃごちゃうるせェーよ。立てコラ」
「痛い怖い痛い痛い痛い」
「痛くねえだろ、隊服しか掴んでねェー」
「ちょっ、足浮いてません?足、足浮いてる!」


キッと先に睨んだのは私だけど、土方さんの眼力に怯んでしまった。こちらへ向き直し胸倉を掴み吊るし上げるように私を立ち上がらせた土方さんが「誰が自分勝手だコラ」と凄みを効かせる。


「ひ、じかたさんが」
「ほう。詳しく聞かせてもらいてェーな」
「とりあえず、離して欲しいなあ、なんて」
「逃げんだろ」
「にっ逃げるわけないじゃないですか」
「逃げてみろ」
「逃げたら私どうなりますか?」
「三徹させて毎日実戦形式の稽古つけてやる」
「絶対逃げません!」


あんな地獄二度と味わいたくない。
離され少し後ろへ二、三歩下がれば「おい」とドスの効いた声でまたもや睨まれた。


「逃げないです逃げないです。安全のために距離を少、」
「取って食おうなんざ思ってねえよ」
「そりゃ、分かってますけど!分かってますけども!!」


竹刀一本分の距離を取ることに成功した。これなら急に引っ叩かれたりもしないだろう。なんせ手が届かない距離なのだから。


「早く説明しろ」
「えーっと、どこからですかね?」
「全部」
「なに、を」
「てめえの惚れた相手に自分勝手過ぎるとかいう理由だな」


ああもう。なにがあったんだろう。どうして互いに私が土方さんを好きだということを知らん顔してきたのに…なんで今日はそんなに掘り下げる。


「なにかありました?」
「てめえがな。分かりやすく落ち込んでんじゃねェーよ、めんどくせえ」


こんな状況なのに、え?やっぱり心配してくれてたの?なんて喜べる私は随分頭が弱いらしい。


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