28
あの日、見合いの日に私が言った一言は、結局逃げ切れなかったらしい。私と土方さんの間になんとも言えない空気を残した。私も触れない、土方さんもあの日のことにはなにも触れてこない。普通に今まで通り、書類に向かってるだけなのに無駄に綺麗だった月だとか顔を埋めた時鼻腔いっぱいに広がった土方さんの匂いだとかを思い出して後悔に駆られてしまう。そしてこの空気は私が土方さんを好きになったせいなのだとどうしようもなく悲しくなる。特別になれなくていいのに、ただ気持ちが溢れて言ってしまっただけなのに。どうして振った側と振られた側みたいな、気まずさを残してしまったんだろう。


「おい、聞いてんのか」
「へ」
「へ?じゃねえよ。だから見回り」
「あ、見回り!」
「…行くから支度しろ」


厠行ってくると先に副長室を出て行った土方さんの背中を視線で追う。怒られたいわけじゃない。怒鳴られて喜ぶMっ気は持ち合わせていないけど、こうも接し方を変えられると悲しい。公私混合すんなっていつも言うくせに、言ってる本人が混合してるじゃないか。
今までならボケッとしてる私に頭突きやらゲンコツやらを決めてくれていた土方さんなのに。
大きく息を吐いて、慌てて吸った。溜息を吐いたら幸せが逃げてしまうって言うのなら、これ以上幸せを逃してたまるもんか。ペチンと頬を叩いて気合いを入れる。土方さんが今まで通り、私を怒鳴れて殴れるように、私が今まで通りにならなきゃいけない。
土方さんが厠に行ってる間に、パトカーを回しておこうと腰を上げた。



まさか、あいつが泣くとは思わなかった。それ以前にあんなことを言うなんて思わなかった。少し前からなんとなく、そんな気がしてた。俺だって経験が全くないわけじゃない。あからさまに自分へ向けられた好意に気付かないほど鈍感なわけじゃない。あいつが俺を尊敬することはないだろうけど、慕情を抱くとも思ってなかった。だっておかしいだろう。散々嫌ってたじゃねえか。それに終が好きだって言ってたじゃねえか。つか総悟の方が年も近いし…なんで俺なんだよ。答えの出せない自問に疲れる。泣いたあいつにかけてやれる言葉も見つけられなかった俺には、これ以上傷つけないためにも距離を取るしかできなかった。


「なにブツブツ言いながら行ったり来たりしてんでさァ。ついに精神病んできやした?」


グルグルする頭ん中を整理しようと厠に向かったものの、出るもんも出なそうだった。仕方なく縁側を歩いていれば総悟が木の上から声をかけてきた。


「お前こそ何してんだ。見回りはどうした」
「さっき行きやした」
「午後のはずだろ」
「午前中に行きやした」


シレッと嘘をついたのは分かった。だけど今は総悟に怒鳴る気にもなれない。ここんところ、答えの出ないことを考えすぎた。疲れている。見回りに行くべく待機してるだろう名前のことを思い出して総悟に「明日はちゃんと行けよ」と言って足を進めればトンっと身軽そうに下りてきた。


「ちっとも変わりやせんね。今回はなんですかィ。またお得意の"他の野郎と幸せになって欲しい"ですかィ?」


ああ眠いと欠伸をしながら総悟が縁側に上がってくる。その言葉がミツバのことを言っているんだとすぐに分かって心臓が冷えた。何も言葉にしていないのに、なんでどうして、よりによってお前がこのことに触れる。何も答えず目だけをそちらに向けた。


「そういえばアンタ、姉上のこともどうも思ってねェっつってやしたねィ。今回もなんとも思ってねェって言うんで?」
「なんの話か分からねえな」


振り絞るように出た声はかすれていた。情けないほどかすれていて、総悟が笑う。


「そんなんなら最初から大事にしてテメェの気持ち丸出しにしてんじゃねェーや」


半端なことしかできねェーんですか、土方さんは。
そう言って俺の肩を叩き自室へ入って行った。言い返す言葉も出てこない。なんだっつーんだ。俺が悪いのか。俺だけが悪かったのか。違うだろう。あいつが俺を好きにならなきゃ良かったんだ。あいつが勝手に、俺に惚れたんだ。応えてやれねえだけで、別にミツバがどうのとか幸せになってもらいてえだとか、そんなの関係ない。


「ガキが分かったこと言うんじゃねえよ」


投げかける相手がいなくなってから、反論するなんて俺の方がずっとガキじゃねえか。ッチと舌打ちをして取り出した煙草は残り一本だった。
俺はあいつのことを好きだなんて思ったことはない。ただ部下だから、女だから、特別他の隊士より目をかけていただけだ。一緒にいる時間が多いから、馬鹿なことばっかするから、ほっとけなくて目をかけているうちに情が湧いただけだ。
大事にしてたのは部下だからであって、あいつだからとかそんなんじゃない。いつでも側にいるんだ、そりゃ泣いてるより笑ってる方がいい。悲しんでるより喜んでる方がいいだろう。怪我だって、あるよりない方がいいに決まってる。あいつは鈍臭くて馬鹿で手がかかってガキくさくて、だから俺が側にいて見てねえと。俺が防げるものなら防いでやって、あいつがあいつらしくいれるように守ってやらねえと。


「…頼むから俺だけはやめとけよ」


多分、あいつより先に俺の方が惚れていたなんてこと誰にも言えないから一生心の中で眠ってろ。
空になった煙草のゴミを捨てるように気持ちも捨ててやりたかった。そんなこと出来てたらこんなに疲れていない。

<< >>