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「とぅーるるる、とぅーるるる」
「おい」
「とぅーるるる、とぅーるるる」
「おい、煩ェ」
「とぅーるるる、とぅー、」
「煩ェーって言ってんだろーがっ」
「ブフォっ!!」


ガンっと顔面から文机に抑え込まれ、「痛ァ」と顔を上げればピキピキと顔を強張らせる土方さんが私を見下ろしていた。


「どうして何か一言かけてくれないんですか」
「かけた、何度も煩ェって言ってやった」
「全然聞こえてなかったです」
「そりゃテメェが悪いな。つかなんでンなに上機嫌なんだよウゼェ」
「気になります?気になっちゃいます?」
「やっぱいい、ウゼェから」
「教えてあげますね!」


ふふんと鼻を鳴らし、懐から一枚のチラシを取り出した。今日の私は朝から上機嫌である。何故なら近藤さんに大江戸動物園のチケットを頂いたのだ。


「なんだそれ。"パンダを見よう"?」
「そうなんです、大江戸動物園でパンダの赤ちゃんが生まれました」
「で?」
「近藤さんにこのチラシを3日間見せ続けた結果、チケットを頂きました」
「やり方が姑息だな」
「褒めないで下さいよー」
「全く褒めてねェーんだな、これが」


時間の無駄だったと溜息を吐きながら再度筆を取った土方さんに「ということで午後から非番にして下さい」と申し出れば睨まれてしまった。


「今のは聞かなかったことにしてやる」
「え、聞いて欲しかったんですけども」
「そうか、そんなに俺を怒らせてえのか」
「違いますよ、サボりじゃないです。明後日の非番の半日を今日使わせて欲しいっていう取引です」
「俺にメリットがねえ取引なんざ受けねえぞ」
「そう言われることは重々承知でちゃんとメリット持ってきました、どうぞお納め下さい」


キョトンと不思議そうな顔した土方さんにニヤリとマヨネーズを贈呈した。しかも幻のマヨリーンストラップ付きである。このストラップは期間限定で製造された超レアモノである。これにはさすがの土方さんも心揺れるに違いない。
あ、ほら、ちょっと目が揺れてる。


「ばっ、どうしてそれを!」
「ふふっ、煙草屋のおばちゃんに頼み込んだんです」
「……お前」
「欲しいですか?これ欲しいですよね?欲しくてこれが発売された日ガチャガチャめっちゃ回してましたもんね?」


ニヤニヤとマヨネーズ(超レアモノマヨリーンストラップ付き)をフリフリすれば、土方さんの顔がグッと歪んだ。これは欲しいけど私に非番を与えるのが気にくわないのだろう。
こうなったらもう一押しだ。私はニヤつく表情のまま、この話をするべく昨夜眠たい目をかっぴらき終えた書類を提出した。


「し、か、も!ついこないだ総悟くんがやらかしたバズーカの始末書つきです。いやー言われる前にやるなんて私も随分大人になったものですね」
「おいコラ。俺がどんなに言っても眠いだ活字は得意じゃないだ文句しか垂れねえだろーが」
「お願い事がある時は別です」
「いつもそれくらいやる気出せこのおたんこなすが」
「おたんこなす?!?!」


ガシっと書類を受け取る力とは思えない握力で、始末書を取り上げた土方さんが「三十分なら許してやる」と言った。三十分とはどういう了見だろう、半日非番にしてくれと頼んだはずだ。三十分なんて、そんなの、休憩時間よりも短いじゃないか。


「冗談やめてくださいよ。そんなん行くだけで終わっちゃいます」
「喜べ。特別に送迎付きだ、パトカーのな」
「パトカー?」
「3時半から4時までの30分をくれてやる」
「それ見回りがてらじゃないですか!職務怠慢!!」
「テメェがなに言ってやがる、連れてってやるつってんだから有難く思え!!」
「あっ、マヨリーン!!」


見回りがてら、しかも30分しか許してくれないくせにマヨネーズとマヨリーンまでも取られてしまった。こんなのあんまりだ。始末書まで作成したのに、これだから仕事馬鹿は困る。脳筋野郎め、マヨネーズ馬鹿!!


「……痛いです。どうして私の頭を潰さんばかりに抑え込んでるんですか」
「イラッとした」
「痛いです」
「仕事馬鹿で脳筋野郎マヨネーズ馬鹿って聞こえた気がした」
「……30分も許して頂きありがとうございます」
「分かればいいんだよ、分かればな」


フンっと満足気な顔した土方さんを涙目になりながら睨んでみたものの、私なんかの眼力では太刀打ち出来そうもない。こんなことなら明後日の非番まで我慢すればよかったと後悔した。



パトカーで見回りをしながら大江戸動物園の入り口に着いた。煙草に火を着けた土方さんが「30分で戻って来いよ」と言う。ここまで来たんだ、どうせなら土方さんも子パンダを見ればいいのに。チケットは一枚しかないけれど。


「その間土方さんは何するんですか?」
「ついでだから周辺の見回り」
「わー、本当に仕事馬鹿ですね」
「その口一生開かねえようにしてやろうか」
「嘘ですごめんなさい」


降りようとしてドアに手をかけたものの、土方さんと一緒にパンダを見れたらいいのにと少しの我儘が沸々と湧き出る。パンダを一緒に見たからといって、私たちの距離が近づくわけでもない。邪念を振り払うように首を振れば土方さんが「早くしろ」と急かした。


「土方さん」
「あぁ?」
「パンダのぬいぐるみでも買ってきましょうか?」
「はあ?要らねえよ、俺がいつパンダに心揺れたよ?」
「ですよね、マヨリーンしか興味ないですよね」


ちらりと土方さんの方を見れば怪訝そうに眉を潜めている。少し寂しい。


「あー、お前でも恥ずかしいのか」
「え?恥ずかしい?」
「明後日の非番、午前中俺の手伝いすんなら付き合ってやらねえこともねえよ」
「え?え?」


煙草を灰皿に突っ込んだ土方さんが「いい年こいて一人動物園が恥ずかしいんだろ」と口元を釣り上げる。憎たらしいほどの笑みに今までなら腹も立つのに、全然イラッとしなかった。むしろ、そんな表情にすら胸がキュンとかしてしまう。末期だ、本当に末期だ。私の人生、多分どこかで間違えたのだろう。
全くもって一人動物園に恥じらいなんてないけど、なんなら一人ラーメンも焼肉も行ける口だけど。


「仕方ないですねー、私がいないとダメなんですからもう」
「俺のセリフだわ。明後日ちゃんと働けよ」


あと誰かに言うんじゃねえぞ示しがつかねえ、と言いながら駐車場へとパトカーを走らせる土方さんの横顔に頷きながら、緩む頬を押さえた。


「なんで俺だけ自腹なんだよ」
「仕方ないです、チケット一枚しかないんで」
「ったく。無駄な出費だ本当」
「名前ちゃんと過ごす30分ですからね、貴重な出費ですね、喜ばしいですね」
「アホか」


行きましょう子パンダ!と掴んだ手を、土方さんは振りほどかずに「走るな、馬鹿」と言った。それだけで私は嬉しくて、余計に足を速めた。


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