時計を確認する、今日は定時で帰れそうもない。目の前のパソコンに届いた新着メッセージを開けば、お得意様から"お忙しいと思いますが、明日までにお願いします"と題名に書かれたファイルが届いていた。
毎度ながら期限が短いんだよなぁここ、と思いながら指定された書類作りを始める。明日までってことは今日は終電になってしまうだろう。


「帰らねえの?」


定時になり各々が帰路につく頃、声を掛けられた。顔を上げれば見たことない男の人が、コーヒー片手にいつの間にか隣に立っている。


「あ、えっと……」


誰なんだろう。ここの社員証を首から掛けてるわけでもない。でもこんなイケメン、いただろうか。


「明日からここに配属されることになった土方だ」
「あっ、苗字です」


よろしくお願いしますと頭を下げれば「帰らねえの?」ともう一度聞かれた。


「これ終わらせたら帰るつもりです」
「ここは残業ナシって聞いてんけど?」


サビ残か?と聞かれ素直に頷けば、隣のディスクのパソコンを勝手に立ち上げ始めた。そこは沖田くんのディスクだ。勝手に弄ったらものすごく怒られるに決まってる。同期の彼は顔こそいいもののほんの少しだけ性格が歪んでいるのだ。
止めようと手を伸ばせば土方さんは携帯を取り出した。


「総悟か?お前パスワードなんだよ」


総悟?沖田くんに電話してるの?
肩と顔で携帯を挟みパスワードを入力した土方さんは、カタカタとパソコンをいじり私と同じ画面を表示させた。


「ファイル送れ、手伝ってやる」


なにがどうなってるのか理解できないのは私の頭が悪いせいか、それともこの人の頭が良すぎるせいか。
すみません、と謝りつつ言われた通りファイルを沖田くんのパソコンへと転送すれば、土方さんは本当に手伝ってくれた。終電で帰れればいいかと思っていたけど、突如現れたイケメンのお陰で21時前に指定されていた書類は出来上がったのだった。


「お疲れさん」
「土方さんこそ、私の仕事なのに……すみません」
「仕事は会社のものだろ、お前のためじゃない」


早く支度しろ、と付け加えられ慌てて荷物をまとめる。手伝ってくれたし優しい人かと思ったら、そうでもないのかも知れない。というか怖い、ものすっごく怖い。荷物をまとめる間もめちゃくちゃ睨まれた。
急いでまとめた荷物を持って土方さんの方を見れば、行くぞと歩き出されてしまう。ちょっと待ってどこに?帰るんですよね?

しかし手伝わせてしまった上になんか怒らせてしまった私は、素直に従う以外の選択肢を見つけられなかった。会社を出て駅と反対方向に進む土方さんに、どのタイミングで「私の家、反対方向なんです」と切り出そうか悩んでいれば個人営業だろう焼き鳥屋の前で急に立ちどまられた。考え事をしていたからか、そのまま背中に顔面を強打してしまった。


「……前見て歩けよ」
「すみません」


あれ、私この人に謝ってばかりな気がする。
暖簾をくぐった土方さんの背中を見送りながら、私も入るべきなのかと立ち止まっていればカウンターに陣取った土方さんが、眉間のシワを深くしてまたもや私を睨んだ。


「なにしてんだ、早く入ってこい」
「す、すみませんっ」


お願いだから睨まないでください、半端なく目力あると思うんです。慌てて暖簾をくぐり隣に腰を下ろす。本当になにがどうなっているんだろう、初めて会った人に仕事を手伝ってもらった挙句何故か焼き鳥屋に来ている。


「酒は飲める口か?」
「そんなに強くはないですけど、サワー系なら……」


そうか、と言った土方さんが店主に「日本酒濃い目2つ」と注文するからもう頭はパニックになりそうだ。日本酒ってサワー系だっけ?あれ?

お任せで焼いてもらった焼き鳥と日本酒が運ばれてきた。もう私の顔は無だと思う。今の状況に頭がついていかないのだ。


「今時サビ残する女もいるんだな」
「え?」
「いやなんでもねえよ、食え」


差し出されたお皿には焼き鳥が5本乗っていた。タレより塩派なんだけどなぁと思いつつも頂きますと手を伸ばそうとしたその時、土方さんがマヨネーズをブチュウと焼き鳥の上にかけた。これでもかってくらいかけた。


「えっ、と……」
「マヨネーズだ」
「はい、それはもうよく知っています」


そうじゃなくて……なんでマヨネーズ?


「ここのタレと良く合うんだよ、食ってみろ」


嫌がらせかと思った。沖田くんがよく私のお弁当に唐辛子を入れたりするから、そんな感じの悪戯かと思ったのに土方さんは至って真面目な顔をしている。
もしかしてこれ好意なの?優しさなの?
そうだとしたら無下にできない。引き攣る頬を無理やり上げて渾身の笑顔で焼き鳥を頂いた。
……やっぱり普通に食べたほうが美味しいと思う。


「今日は俺の奢りだ、好きなだけ食えよ」


そう言ってマヨネーズも私の方へ置いてくれた。もう本当にこれはどういったイベントなんだろうか。
私と土方さんの出会いは、こんな感じで始まったのだった。


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