非番
「なまえ見なせぇほら、ゲジゲジ」
「ふぁっ?!あっ、えっ?!」
割り箸でウニョウニョ動く虫を挟み真顔であそこにいたと持ってくる私の彼氏は少しだけ変わっていると思う。
「ちょっと、それ家に入れんのやめてよ」
「好きだろィ」
「言ったことも思ったこともないよ」
こっち来ないで〜と騒ぐ私を「酷えツラ」とけらけら笑うのが何を間違えたのかこの世で最愛の彼氏様なんだから、世の中は不思議がいっぱいだ。非番の総悟に合わせて私も今日は休みで、朝からシーツを洗ったりカーテンを洗ったりしていれば総悟がつまんねーとボヤいた。いやだって、たまにはやっとかないと。
「これ干し終わったら手空くけどどこ行く?」
「あー…とりあえず飯」
「まだ10時過ぎだよ。さっき朝ごはん食べたじゃん」
「どうせこれから化粧だ髪の毛だってやんだろィ、んなことしてりゃすぐ昼過ぎにならァ」
“うちの彼女様は厚化粧でなきゃ外歩けねーっつーんだから仕方ねェ”
そんなことを言い窓のところで胡座をかいた総悟にムッとしてじゃあこのまま行くよと言ってみる。すると総悟が哀れんだ目をして「やめときなせェ」と言った。やかましいわ、この美形め。よっこいしょ、と鏡の前に座った私を総悟がババアと言った。何を言うか、私たちは同い年だ。鏡ごしに総悟を見て、相変わらず整ってるなあって。
「私も総悟くらい目がぱっちりしてたらなあ」
「そんな引っ掻いた目じゃなくってなァ」
「鼻も高くて」
「顔面プレスされたみてェーじゃなくて」
「唇もプルプルしてて」
「こってこてに塗りたくって天ぷら食った後見てェーな不自然なやつじゃなくて」
「肌荒れ知らずで」
「生理前にギャーギャー鏡見て騒がなくて済まァ」
ぱたぱたと粉を叩いていた手を止める。にやりと笑った総悟と鏡を通して目が合った。
「…ねえ、一々私の顔にダメ出しすんのやめてくれる?」
振り向いた私を総悟がキョトンと、なんの話?みたいな顔で見てきた。すっとぼけないでよ。
「仕方ねェーだろィ、俺となまえじゃ顔面偏差値が違いすぎらァ」
「総悟が高すぎるんでしょ。もうっ、同じ化粧水使ってるはずなのにな」
「素材が違ェ」
「親に感謝しなよ、本当にね」
フッと小馬鹿にしたように笑われてしまったけど仕方ない。自慢じゃないけれど私の彼氏様は本当に本当にかっこいいのだ、顔だけならどこに出しても恥ずかしくないレベルでかっこいいのだ。性格は少々難ありだけれども。
私が身支度を終えたのは総悟が言った通りお昼を少し過ぎた頃だった。腹減った腹減ったと騒ぐ総悟。
「さて、どこ行きましょうか」
「何系にすんかなァ」
「夜は大根煮るよ、昨日山崎さんがくれた」
「ザキが?じゃあそれ俺がもらったやつでさァ。なんか近所のババアがくれたんでィ」
「なんで総悟なんかに?」
なんかに?と言ったのが気に障ったらしい。歩みを止めて総悟が私の鼻をつまんだ。ちょ、やめてやめて、化粧が崩れる…!
「俺がカッコいいからに決まってらァ」
「そうですそうですその通りです、離して」
「お手からのおかわり」
差し出された手のひらに手を重ねる。人が往来する道のど真ん中で、私たちは一体何をしているのだろうか。
「ワン」
「…少しは躊躇いなせェーよ」
「もう慣れた」
「恥ずかしいやつ」
「別に〜」
それよりどこ行く?そう言って歩き出した私の隣には肘が当たるか当たらないかの距離に総悟がいる。私たちが世間一般のいいカップルに当てはまるかは分からないが、私にとってはこれが一番いい距離感だった。
「定食屋」
「えー、久しぶりのデートなのに?」
「中華屋」
「あ、いいね。あのおじさんのところ。とんこつラーメンにしようかな、ああでも味噌も捨てがたい」
「共食いはやめときなせェ」
「そんなこと言ってると一口もあげないからね」
「俺味噌」
「あ、じゃあ、一口ちょうだい」
だからデブなんでさァ、と言った総悟と中華屋に向かう。私たちは今日も手を繋がない。そんな頃はとっくに過ぎ去った。きっと次手を繋ぐ時はどちらかの介護の時だと思う。久しぶりのデートだろうがなんだろうが、ラーメンはとんこつも味噌も美味しかった。
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