I’m so strung out on you


ただいま、と帰ってきた部屋は暗い。ムワッとした部屋の中に入ると気分まで重くなった。唯一の癒しといえば夏祭りに掬ってもらった金魚を眺めることだった。仕事中の十四郎と神社でばったり遭遇して、私は声をかけようかかけまいか迷って結局十四郎が声をかけてくれた。気づいてくれたらいいのに、という願いを神様だか仏様だかが聞き入れてくれたんだと思う。

「来てたんなら声かけりゃいいのに」

「仕事中だし悪いかなって思って」

「ならそんな顔してこっち見てんなよ」

十四郎はいつだって私に冷たかった気がする。二人きりで密室にでもいない限り、とても冷たかったと思う。最初はそれでも良かったのに、二人きりの時にさえ優しければ特別だと思えてそれで良かったはずなのに。もっともっとと求めた結果、私はいつだって十四郎に優先されたくなってしまった。

「友達はいいのか?」

「うん、なんか彼氏さんいるなら話ししておいでって。気を遣わせちゃったみたい」

「へえ。女はどうでもいいことに神経使うのな」

そう言った十四郎は浴衣を着ている私なんか目もくれず、周囲の警戒に神経を使っていた。付き合う前はそんな凜とした横顔に惹かれていたのに、どうして正面を見たいと思ってしまったんだろう。どうしてその瞳いっぱいに私を映して欲しいと願ってしまったんだろうか。私がもっと私を見て、もっと私を知ってと思わなければ今も私は十四郎の特別でいれたのかも知れない。

「まあ、なんだ…なんか欲しいもんあるか」

「え?」

「その友達とやらの気遣いを無駄にしない為にも、な」

十四郎は照れ臭そうにわざとらしくそっぽを向いた。それだけで私はふわふわした気持ちになれて、私まで俯いた。ヤることは早々にヤってしまったくせに、私たちには確実にこういうものが足りなかったのだろう。十四郎の視界に映ったのがたまたま焼きそばの屋台で、特別食べたかったわけでもなかったけれど友達の分と二つ買ってもらった。友達が戻ってくるまで一緒に居てくれた十四郎に私は何を話せばいいのか分からなくて、ただただ流れるように歩く人たちを見ていた。

「他になんかねえのか?」

「なんかって…」

「ただ突っ立っててもつまらねえだろ」

ここで十四郎と一緒なら全然つまらなくないよと言えれば良かったのか。私は十四郎に思っていることの三分の一も伝えられない。それよりもつまらないのは十四郎の方でしょう、なんて考えてしまうような女だった。

「じゃあー…」

たまたま目の前の屋台が金魚掬いだった。何か指さそうと思って上げただけの手だったのに、十四郎が「金魚か」と言うから後に引けなくなった。

「得意?」

「なめんなよ、何匹取って欲しい」

「…10匹?」

フッと笑った十四郎の顔が消えない。今でも消えない。好きで好きで、そんな人の隣に立って居られることが幸せだった。歩き出した十四郎の袖を引っ張った。どうした?と振り返った十四郎に我慢できなくて好きだと伝えれば一瞬驚いたような顔をしてから「そんなに金魚が好きだとは知らなかったな」と言った。今となればこれが引き金だったようにも思う。いつだって私は十四郎の顔色を伺って十四郎に嫌われないようにするしかできなくなっていた。ただ好きで片想いをしていた時の方が楽しかった気がする。するっと抜けていった袖はひらりと揺れ遠退いていく。この恋は最初から最後まで一方通行だった。夏祭りの翌日、山崎さんが届けてくれた金魚鉢の中に今でも二匹が紅白を揺らし泳いでいる。



「は?金魚が死んだだァ?」

昼間になまえから連絡が来ることはまずなかった。神楽や新八の手前大人の汚い欲を見せたくないんだかなんだかで、なまえは俺と男女の関係を疑われることさえ嫌っていた。そんななまえから突然電話が来りゃそれなりに何かあったんだなって。ちょっと身構えて電話に出てみりゃ震えた声で金魚が死んだなんつーもんだから安堵から苛立ちへと変わった。

「なら埋めときゃいいんじゃねーの?土葬だろ土葬」

『銀時、お金なら言い値で払うからこの金魚生き返らせることできない?』

平日の昼間、なまえの休みは土日祝日だったはずだ。えらく動揺した声に何が何だかわからなかった。仕事休んでまで金魚の心配するような女だったか、お前。ちらりと神楽と新八の方を見て、メモになまえが緊急事態とだけ書く。二人は電話に耳をくっつけ電波で繋がるなまえの様子を心配しているようだった。

「生き返らせるって…そりゃなんでも屋っちゃ言ってるけど、人間できることとできないことってあるでしょうが」

新しい金魚でも買って行ってやるか?なんだってそんな金魚相手に取り乱してんだ?
いつものなまえからは考えられないくらい、つか普通になまえじゃなくても金魚でここまでとなるとよくわかんねーけど。まあとりあえず何故かえらい動揺しているようだから仕事として出向くことにした。神楽と新八も心配そうにしていてついてきたがったが断った。だって金魚だぞ金魚。
一応ペットショップで金魚を一匹買ってなまえの家へ向かった。インターホンを鳴らしても中から応答はなく、試しにドアノブを回してみれば鍵が空いていたからここはしゃーなし、不法侵入にゃならねーよな?と中へ入ってみることにした。

「おーいなまえ」

リビングを抜けて寝室へと向かった。開けられていないカーテンの隙間から太陽の光が入り込んでいる。窓側に置かれた棚の上には金魚鉢があった。ああ、一匹浮いてんなあって。そしてその下でうずくまっているなまえを発見。

「鍵くらいしときなさいよ」

ため息が一緒に出ちゃったのは仕方ねーと思う。だってよ、ほら、人には価値観があるからそりゃ変だとは言わねーけど。俺にゃ金魚が死んじまってこの世の終わりってくらい泣く奴の気持ちは分からねーから。肩を叩いて、驚いた。こいつの肩、こんなに薄かったっけか。

「なまえ?」

肩を震わせ泣いていたなまえが俺の顔を見上げて笑った。真っ赤に腫れた瞼が痛々しくて、俺もぎこちなく笑った。ぜっんぜんわっかんねーわ。なんなんだよこの状況。

「生き返らせてやることはできねーけど、ほら、もう一匹は元気に泳いでんだしな?」

元気出せよ、はおかしいか?じゃあなんて声かけりゃーいい?来る途中買ってきた金魚を差し出して「仲間も連れてきたからよ」と励ますつもりで言えばなまえは首を横に振った。

「もう金魚は飼わない」

「…は?」

「あの金魚じゃなきゃ意味がないから」

いやいや、えっ?俺には同じ金魚に見えるがなまえには違うらしかった。ああ、え、そう?じゃあ、この金魚は帰りばばあのところにでも置いてくか。とりあえずよく分からないままなまえが落ち着くまで一緒に居ることにした。ホッントーに理解できねーけどなまえにとっては一大事らしいから、今回は友達割引ってことで無料にしといてやるよ畜生なんて思いながら隣のリビングでテレビを見て過ごした。1時間半くらい経ってからなまえがのそのそと寝室からやって来て「埋めに行こう」と言うから一緒に近くの公園で金魚を埋めた。なにやら名前をつけていたらしく拾ったアイスの棒に名前を書いていた。もう一匹との区別はどうやってつけていたのかが一番気になるところだ。

「落ち着きましたかお嬢さん」

「ご迷惑おかけしました、万事屋さん」

なまえは落ち着きを取り戻し、いつものような口調で軽口を叩けるくらいまで復活したように見せていた。実際のところこいつの考えてることなんか俺にゃ全く全然ちっともわかんねーけど。並んで歩いていればなまえがあの金魚ね、と話し出した。やっぱするよな、金魚の話と思いながら大して興味がないのに大げさに食いついた。そりゃだって、こんなんでも俺一応この女好きだしなあ。

「好きな人がとってくれたの、祭りで」

大げさに食いついちまった以上なにかリアクションを返さなきゃならねーってーのに俺の頭の中はそれどころじゃなくなった。好きな人?好きだった人じゃなくて?現在進行形なわけ?
思い当たるのはつい先日別れたとかいう男で、俺は頭の中で真っ白い人形のものを思い浮かべそれをそいつだとして力一杯殴ってやった。まあダメージはないだろうけどな、俺の頭の中だけの出来事なわけだし。へえ、と返すのが精一杯な自分が情けない。

「そんないい男だったのか?」

どくんどくんと心臓が脈を打つ。聞きたいようで聞きたくない。知りたいけど知らねーままの方がいいような、そんな気がした。こちらを凛とした表情で見たなまえに息を飲んだ。もういい、答えなくていい。その顔が答えみてーなもんじゃねーか。

「一回でも知っちゃったからもう戻れないと思う」

いい男だったとか悪い男だったとか、そんなの飛び越えるやつらしい。そーか、と返し空を仰ぐ。てめーこの野郎、雲一つくらい浮かせとっけーんだよこのやろー。

「何で別れちまうかねー、そんなに惚れてんなら」

「別れたくなかったよ本当は」

「じゃあ試すようなこと言わなきゃよかったんじゃねーの」

「不安になったんだから仕方ないじゃない」

「不安って…俺なら死んでも繋いだ手離さねえけどな」

俺にしとけよ、泣かさねーから。って言えたらいい。言えたら、いいのに。
俺はいつだって傍観者で、いつだって聞き上手で頼りになる都合のいい男でしかない。金魚はクーリングオフでペットショップに返した。俺が金魚を飼うことは一生ねーだろうと思う。