「ったく。昼間っからビールかよ。いい身分だな」

「休みの日くらい別にいいでしょ?昨日会社の人に貰った煎餅がこれまたよく合うの」

外では蝉が忙しなく鳴いている。その鳴き声でさえ暑苦しく感じる真夏日。江戸の夏は田舎よりもずっと暑く感じる気がした。高くそびえ立つ高層ビルが照り返す太陽の光と真上からの太陽の熱で焼けるような暑さだ。

「省エネ、節電。幕府が掲げてんだろ、少しは貢献しろ」

「会社はクールビズだよ。蒸し暑くてやってらんない」

現在部屋は23度設定。手を伸ばせば届く距離に缶ビールとおつまみの煎餅。そんな至福な休日に、十四郎は灼熱から逃げるようやって来た。

「飲み物」

「冷蔵庫にビールが入ってるよ」

「なめんな。仕事中だ」

「仕事中に人ん家に涼みにくんな。あ、煎餅食べる?美味しいよ」

「要らねえ。さっき飯食った」

「煎餅はご飯じゃないよ」

「元を辿れば米粉からだろ」

毎日ニュースでやっている。今年は連続真夏日を更新しまくっているらしい。勘弁して欲しい。
うだるような暑さで体力気力共々マイナス値を叩き出しそうな私はだらだらとしながら、突然の訪問者の相手をしていた。もう今更十四郎相手におもてなしなんてしてられない。


どっさり頂いた手土産。いつだか頂いた煎餅が酒の肴にちょうど良かったとお礼を言ったのが始まりだった。今ではすっかり私への土産は煎餅一色。しかもみんな同じやつを買ってくるんだから消費に困る。

「有難いけどこの量はさすがになぁ」

両手にぶら下げた紙袋にはびっしりと例の煎餅が入っていた。土産の中でもあまり値を張らない煎餅にみんな少し気を使うらしく二つ三つとくれる。仮に同じ部の人が6人、二つづつくれたとして計12袋。それが今回何故か重なりに重なって同じフロアの人ほとんどが先日の連休で旅行に行ったお土産だとくれた。本当に本当に有難いのだけど、一人暮らしの私には同じ味の煎餅をこんな大量に消費できる自信がなかった。
悩みに悩んで歩んでいた帰路を引き返す。こういう時にお裾分けできる友達がいないことが非常に虚しく感じるが仕方ない。

「初めて、来た…」

目の前にそびえ立つ門に生唾を飲んだ。真選組屯所と掲げられた看板にため息を一つ。連絡なしに突然やって来た私を十四郎はどう思うだろうか。

「あれ?何か用ですか?」

門の前を行ったり来たり。1人で消費できない煎餅をお裾分けにやって来たものの迷惑だったらどうしようとか、そもそも私と十四郎はどんな関係だったけだとか。ごちゃごちゃ考えていればひょっこりとこちらへ顔を覗かせ、男が声をかけてきた。

「あ、いや…大した用じゃないんですけど…」

やばいどうしよう不審者だと思われたら。そう思えば吃ってしまった。あたふたと挙動不審にになる私には男の人は笑顔を見せてくれる。

「あっ俺怪しい者じゃありませんよ。ここの者です」

その人は山崎って言いますと優しそうな声で自己紹介をしてくれた。途端に落ち着きを取り戻す。良かった、いい人そうだ。沖田くんみたいなタイプだったらどうしようと少し不安だったのだ。

「あの、とう…土方さんはいらっしゃいますか?」

「副長?失礼ですがお名前は?」

にこにこと人当たりの良さそうな笑顔だけど、この人目が笑っていない。優しそうな声の中にどこか探りを入れられてるような、そんな感じが見え隠れした。怪しまれるよなぁそりゃ。名刺渡した方がいいかな?と考えていれば今度はよく聞き慣れた声が聞こえてハッと顔を上げた。

「なまえ?何してんだこんなところで」

「十四郎…」

助かったと、胸をなで下ろす。真っ黒い隊服姿で煙草を吸いながら、強い陽射しに少し顔をしかめこちらにやってくる。山崎と名乗った男が副長の知り合いですか?と言った。

「ああ」

どうした?と聞かれて何しにやって来たのか思い出した。そうだ私は煎餅を…。慌てて右手にぶら下がる紙袋を差し出す。十四郎が眉間の皺をより深くしながら覗き込んだ。

「なんだこれ」

「激辛煎餅。頂き物なんだけど…こんなに食べれないからもし良かったら皆さんで食べて、って…」

紙袋を広げながら説明して、"食べて"と同時に顔を上げた。顔を上げて、言葉に詰まった。

「十四郎?なに、どうしたの?」

不機嫌、とは違う。この表情はなんだ?苦虫を噛み潰したような、なんとも言えない表情をしている十四郎。困惑、が一番しっくりくるだろうか。十四郎?ともう一度呼べば「ああ、悪いありがとな」といつも通りの声色でお礼を口にした。声色こそいつもと変わらない気がするが、やはり表情は晴れない。

「辛いのは苦手だった?」

「いや?得意でもねえけど苦手でもねえよ」

サンキューな、ともう一度言って私から受け取った紙袋を山崎さんに渡す。山崎さんまでもがご丁寧にお礼を言ってくれた。
別に何もおかしくない。私が渡したものにありがとうと言ってくれて、苦手じゃないとも言ってくれている。山崎さんもお礼を言ってくれたのだからそれでもういいじゃないか。なのにどうしてこんなにも胸が騒つくのだろう。

「迷惑だった?」

「は?」

「突然、こんな風に職場までやって来て…」

ただの知り合いなのに。以前沖田くんが言っていた言葉を思い出す。
"野郎はアンタの気持ちに気づいたら離れていきやす"
もしかして、私の気持ちに気付いたとか?
自分で迷惑だったかと聞いといて、答えを聞くのが怖くなった。「は?」と怪訝そうな顔をしている十四郎に早く答えてくれと思いつつも、やっぱり答えないでくれと願う。暑くて汗ばんでいるのに、生ぬるい風にぶるりと身震いがした。

「迷惑だったら声なんざ掛けねえよ。職場もなにも俺ここに住んでるんだしな、渡そうとしたらここ以外来るところねえだろ」

迷惑じゃねえよと言うわりに、十四郎の表情は曇ったままだった。そんな顔で迷惑じゃないなんて言ってくれるな、ありがとうなんて思ってもないことを言ってくれるなと哀しくなった。

「凄い辛いんだけど、ビールによく合うの。良かったら皆さんで夕涼みがてら食べて」

「おう。お前からの差し入れだってちゃんと言っておく」

わざわざ悪いなと言った十四郎にまたねと笑顔で言えた。私にしては上出来だ。言いたいことを飲み込んだ喉は、見えない何かが突っかかったようだった。
私からの差し入れだと言おうが言わまいが、沖田くんと山崎さん以外私のことなど知らないだろう。それでも私は十四郎の本心を探らないように、言葉だけを信じれるように、またねと笑ったのだ。
綺麗な嘘だけ拾った


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