「アンタ、野郎の…」
「えーっと…沖田くん、だっけ?」
「あり?名乗りやしたっけ?」
「あ、ううん。十四郎から聞いたことがあって」
「十四郎、ねィ」
パチンと破れた風船ガム。風に乗って香った少し甘いその匂いにほんの少しだけ鼻がムズムズとした。
「野郎とはどんな関係で?」
「十四郎に聞いたんじゃないの?だってあの日」
「野郎が俺にちゃんと説明するわけがありやせん。なんせあいつは…」
まァーいいやと沖田くんが新しいガムを口へ放り込んだ。この2人、あまり仲が良くないのかも知れない。十四郎もあのクソガキって言ってたし。
「えっと、何の用?」
私の前から動かない沖田くんに眉を潜めれば、行列のできているパン屋を指さされた。
「腹減りやせん?」
「え?」
「あそこのパン屋、えらく評判がいいんでねィ。一度食べてみてェと思ってたんでさァ」
「あぁ、うん?」
「察しが悪ィーな。奢れって言ってんでさァ野郎の知り合いなら俺の知り合いみてェーなもんだろィ」
「…今のどこらへんに奢れって言葉があったのかわからなかったんだけど」
「これだから野郎は」
「十四郎と私は全く関係ないんだけどね。ただの友人だよ友人」
まあいいや十四郎の部下らしいし。見るからに私より年下なわけだし。私が奢ると言えば沖田くんは先程と打って変わって「さすが。話のよく分かる女は違ェーや」と言った。この子はとんでもなく調子のいいやつらしい。
▽
沖田くんと直接会うのはこれが二度目だった。一度目の時は十四郎も一緒で、仕事途中だった2人と仕事帰りの私がたまたま街中で遭遇したのだ。
「今帰りか」
「うん。今日は早かったの」
すれ違いざまに、他愛のない会話。それを隣で聞いていた沖田くんが茶化すように「土方さん、この女は?アンタのコレですかィ」と小指を立てた。
「違えよ。知り合いだ知り合い」
「へえ。アンタに女の知り合いがいるとは思いやせんでした。しかも中々親密そうに見えらァ」
「普通だろ。お前だって女の知り合いくらいいんだろ、見廻り組のほら、あの女とかチャイナ娘とか」
「そりゃ仕事上つーか、立場上の知り合いでしょう。それじゃあこの女はどこか、土方さんが行きつけの店の女ですかィ?」
「それじゃあの意味が分かんねえんだけど」
「土方さんがそんなに入り込む女なら俺も一発試してみてェーや。おいアンタ、どこの店のもんでさァ」
目の前でポンポン繰り広げられる会話についていけない。十四郎から話には聞いていたけど、この子は随分とー…
「だーかーら、違えっつーの。どこの店でもねえよ。つか仮にそういうところで世話になった女ならこんな所で会っても声掛けねえわ、恥ずかしい」
「俺ァ声掛けやすけどねィ」
「てめえと一緒にすんな」
そういうお店に行ってることを私の前で隠しもせず、普通に話す辺りを見て沖田くんは少しだけ顔をしかめた。その表情にどきりとして、私の気持ちがバレてしまう気がした。やだな、この子。凄く探ってきてるというか、私の視線や呼吸の仕方にさえも目を光らせてる気がする。
「じゃあ私帰るところだから」
2人の会話にはついていけないし(私にはそういうお店に行った経験がないからよくわからないし)なんだか沖田くんの探るような視線が怖くて足早に去ろうとした。おう、と返してくれた十四郎。そしてその横にいた沖田くんにはぺこりと軽く会釈をした。2人の横を通り過ぎた時、背後から名前を呼ばれる。
「なまえ」
十四郎が私の名前を呼ぶのはそんなに多くない。大抵お前なのだ。だから少しだけ驚いて肩が跳ねた。
「ん?」
「気付けろよ、最近殺傷事件があったばっかだからな」
寄り道なんかして俺の仕事増やすんじゃねえぞと言った十四郎にまっすぐ帰るつもりだと返す。この会話も別におかしいところはなく、以前は婦女誘拐事件がどうのこうのと言われたものだ。市民の安全の為か、自分の仕事を増やしたくないからか、その辺はよくわからないけど気をつけろは十四郎なりの挨拶みたいなものだった。もう一度沖田くんに頭を下げ膝を返す。この時から沖田くんが少し、ほんの少しだけだけど苦手だった。
「アンタ、野郎が好きなんだろィ」
「はっ?」
ゲホゲホと咳き込む私を全く心配せず、パンを頬張りながらもう一度同じ台詞を吐いた沖田くん。私は水を一気に流し込み、喉に引っかかったパンを飲み込んだ。
「人としては、す、好きだけど」
「真っ赤ですぜ」
「暑いから…」
「へえ。俺は寒ィーけどねィ」
ほらやっぱり、この子は私の気持ちに気づいてた。何の為にそんな確認がしたいのだろう。鋭いこの子に嘘をついたところで意味がない気がした。なんて返せばいいか分からずパンを貪っていれば沖田くんが口を開く。私の考えが全てお見通しのようで怖くなった。
「別にアンタが野郎に惚れてようが俺には関係ありやせんけど。それは一生叶いやせんぜ?」
そしてそのまま野郎は女を必要としていないと言った。
「まあねィ、野郎も健全な男だからヤることはそれなりにヤってるみてェーだけど。それも後腐れねェーようにちゃんとそういうところでヤってるみてェーですぜ」
そう言った沖田くんになんて返せばいいのか、分からなかった。分からなかったけど黙っているわけにもいかず「そっか」と返した。それが今の私の精一杯な気がした。
「テメェが特別だなんて思わねェー方がアンタの為ですぜ。野郎はアンタの気持ちに気づいたら離れていきやす。今までのことなんて無かったかのように、真っ赤っかな他人になるんでさァ」
そういう奴なんでィ野郎は、と言った沖田くんの目は鋭くて周りの纏う空気までもが冷たくなったように感じる。そしてだから傷つきたくなきゃ深く入り込むなと言った。
「ねえ、どうして私にそんなこと言ったの?」
沖田くんって十四郎のことあんまり好きそうじゃないよね?しかも私なんて顔見知りもいいところってくらい関わりもないのに。傷つきたくなければって、それって私のこと心配してるってことになるの?
不思議で、意図が読めなくて。ねえ、と問いかけてみれば沖田くんはパンの包み紙をゴミ箱に投げ入れた。
「別に、深い意味はありやせんぜ」
ただの気まぐれ、パン奢ってもらったお礼でさァと立ち上がった。
「あ、ねえ沖田く、」
「なァ」
「え?あっなに?」
帰ろうとする沖田くんを呼び止めた私の声に被さった沖田くんの少し間延びした「なァ」。どうかした?と首を傾げた私の頭上に沖田くんの手が伸びてきた。何故か殴られる気がして、咄嗟に瞼をぎゅっと閉じてしまう。
「アンタの髪と俺の髪、色がよく似てらァ。これ地毛なんですかィ?」
さらっと頬をかすめた髪の毛。ゆっくりと瞼を開ければ沖田くんが私の髪を触っていて驚いた。
「ち、がう。元々色素は薄いんだけど…」
染めてるよと答えた私に沖田くんはへえと返してくれた。聞いてきたわりには素っ気ない返しだと思った。
じゃ、と背を向け歩き出した沖田くんを見ながらそういえばと思い出す。
「同じことを十四郎にも聞かれた気がする」
だんだんと小さくなる沖田くんの後ろ姿を見ながら、確かに髪色がよく似ているなと思った。沖田くんは地毛なのだろうか。だとしたら羨ましいほど綺麗な色だと思う。
▽ それは生ぬるい絶望
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