「最近婦女誘拐事件がこの辺で起きてんのは知ってっか?」
「え?ああ、なんかニュースで観たかも。物騒な世の中になったもんだよね」
「今の台詞ババくせえな」
「…放っておいて。もう人生の折り返し地点なの」
「何お前、四十そこそこで死ぬつもりなわけ?」
「延命治療は望んでないタイプ」
「…へえ」
欲がねえなと言った十四郎はどこか遠くを見ているように思えた。
その日「お前も一応女だからな。なんかあったら即連絡しろ」と交換した携帯番号は、その二日後に役目を果たした。まぁ私が掛けたわけじゃないんだけれど。
『なまえって酒呑めたっけか』
「呑めなくはないかな、進んで飲みもしないけど」
『あっそう。付き合えよ』
「話聞いてた?進んで飲まないって。好きじゃないの、お酒って」
体質なのか、お酒を飲むと体が痛くなるんだよねと言った私はの言葉を聞こえないふりして十四郎が続ける。今から迎え行くと続けた。
私の予定は無視かとか、今から迎え行くなんて私が家に居なかったらどうするつもりなんたとか。思うところはいろいろあるけど、私は急いで洗面所へと向かった。朝からしていた化粧は少し崩れてきていて、髪の毛もよれている。
「あぁもう、本当に」
十四郎じゃなきゃ絶対居留守使ってやるのにと悪態をつきながら、鏡に映った自分がどこか嬉しそうに見えて笑えてしまった。
▽
呑みに誘われたのはこれが初めてだった。本当に迎えに来た十四郎は疲れ切っていて、人の顔を見るなりため息を吐いた。
「誘っといてため息吐かれるなんて心外だね」
「観ただろ、夕方のニュース」
「残念。お昼の中継辺りからリアルタイムで観てたよ。3回回って犬の真似してるところもバッチリ」
「その記憶今すぐ消せ。さもなくば一発殴らせろ」
「怖い怖い。だからチンピラ警察24時なんて比喩られるんだよ?」
そういえば一緒に居た男の子、と続けた私の言葉を遮って十四郎が立ち飲みでいいだろうと言った。私が話してる時に言葉を被せてきたのもこれが初めてだった。
「え、あぁうん。どこでも。私は飲まないし」
「奢ってやるぞ?付き合わせるんだし」
「さすが税金泥棒さん。懐が暖かいようで」
「お前段々言うようになりやがったな」
「ハハッ。あの栗毛色の男の子に比べたら私なんて可愛いほうでしょう」
今日観たニュースで初めて十四郎が仕事してるところをちゃんと見た気がする。あのじゃれ合ってた男の子と仲良いの?と聞けば十四郎は腐れ縁だなと答えてくれた。
立ち飲み屋は男の人ばかりで、初めて入る雰囲気のお店だった。居酒屋には付き合いで行くこともあるけど立ち飲みは初めてだ。慣れない雰囲気に飲まれそうで、キョロキョロと辺りを警戒する私に十四郎が「どうした?」と声をかける。
「ううん。こういうところ初めてだから」
「なんだよ。洒落たところ行きたかったのか?」
「普通こんないい女誘うならもっと敷居の高いところじゃない?」
「はっ、言ってろ」
何食う?とメニューを渡された。うーんどうしようと覗き込む。
「おでん食べたい」
「こういうところ初めてとか言うわりには頼むもんがおっさんじゃねえか」
「じゃあいい、マリネとかにする」
「ンなもんねえよ」
くくっと笑った十四郎がやっぱお前誘って正解だったと言った。私は何でもないふりをしてそう?なんて返した。本当は内心心臓がばっくばくしていた。そんなことを毛ほども知らない十四郎は私の心臓をもっともっと締め付けてくる。
「次はちゃんとした店探しとく。女誘うのなんざ初めてだからな、勝手が分からなかったんだよ」
ああもう、そういうのやめて欲しい。ゆっくり深呼吸をバレないよう小さくしてから「マリネとかアランチーニとかあるところがいいな」と笑顔を向けてやった。十四郎は「カタカナにすりゃいいと思ってんじゃねえよ」とため息まじりに言った。
「ねえところでお通ちゃんのサインって余ってない?」
「俺が書いたやつならあるぞ。いるか?」
「え、なにそれ凄いいらない」
「やるよ、ほら」
「いらないって!いらないいらない!」
この日押し付けられた色紙をこっそり大事にちゃんと持って帰ったことを十四郎は気づいているのだろうか。
▽ 追いかける群青
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