「おい、まだ終わらねえのかよ」

「ちょっと待って、最終確認してるから」

「足りないものがあったらあっちで買えばいいだろう」

「やだよ勿体無い」

「…何がそんな心配なんだよ」

ったく、とぶつくさ文句を言う十四郎の冷ややかな視線を横目にキャリーバッグの中身を今一度確認する。昨夜も今朝も、何度も確認しているけれどやっぱりまだ不安で。

「初めての土地だし気温とか分からないし」

「江戸とそんなに変わらねえって」

「でもさぁ」

羽織りものは薄いもので事足りるだろうか。タオルや袋はもしも何か起きた時の為に多めに持って行った方がいいだろうか。いろいろな事態を想像すれば家の中にあるもの全て持って行きたくなってしまう。
ねえ、この装いじゃおかしい?と聞けばうんざりしたような声色で「なんでもいいから早くしろ」と言われた。

「冷めてる」

「ああ?」

「普通付き合って初めての旅行ならもっと浮き足立ったりしない?」

本当はもっといろいろ持って行きたいけどこれ以上は入りきりそうもない。諦めて立ち上がろうとすれば目の前に手が差し伸べられた。

「今更何行ってんだよ。そんな俺に惚れてんだろお前」

「…クッサ」

「うっせーよ。早くしろまじで」

真っ赤な顔して引っ張り上げられて、それだけでもう十分。年が明けて2週間が経った。クリスマスも年越しも年明けも、忙しい十四郎と会えるなんてことはなくて。

「よく連休なんて貰えたね」

「馬鹿言え。貰えたんじゃねえ、無理矢理取ったんだよ」

寂しくて何度もあのキスは気まぐれだったんじゃないかとか、好きの反対は嫌いだとして嫌いの反対は好きに成り得ないんじゃないかとか、マイナス思考のスパライラルに陥りそうになったけど。

「好きで居続けて良かったわ」

「…恥ずかしくねえの?」

「なにが」

「そんなクセェ台詞」

「初めての旅行で自分の故郷へ連れて行きたがる人に言われたくない」

「なに喜んでんだよ」

「うるさ、うるさ、まじうるさ」

言葉にされなくとも伝わるものがあるらしい。私の寂しさも我儘さも弱さも、全てを受け止めてくれたこの人から離れられそうもなかった。

「ほら寄越せ荷物」

「持ってくれんの?」

「生憎、女に大荷物引かせててめえだけ身軽く隣歩くほど非情になった覚えはねえからな」

早く行くぞと薄ピンクのキャリーバッグを持つ十四郎の後ろ姿に、頬が緩んでどうしようもなく胸が満たされた。


列車に揺られ、やって来た十四郎の故郷。江戸よりも時間がずっとゆっくり流れてるように感じた。

「へえ、ここが十四郎の生まれ育ったところかぁ」

「近藤さんや総悟、真選組の奴等はここの出が多いんだよ」

「懐かしい?」

「そりゃあな」

そう言って少しだけ優しそうな顔をしたように見えたから、なぜか私まで懐かしいと思えてしまった。私の故郷とは反対方向なんだけど。

「それでそれで、本日はどこへ連れてってくれるの?」

「近藤さんの実家」

「はあ?!」

「だから近藤さんの実家だっつーの」

ほら行くぞと足を進める十四郎。ちょ、待ってよ!ねえ!なんて言いながら先行く背中を追いかける。違う、私の想像していた旅行と少し違う。もっとどこか観光したりするのかと思ってたんだけど、え?近藤さんの実家って?
十四郎の意図が分からずただただ背を追った。

「ここだよ」

山道を行きやっと着いた一軒の家。もうそこには人が住んでいる様子はなく、しかし空き家の割には手入れが行き届いているようだった。

「うん」

いやいやいやいや。ぜっんぜん分からないんだけど。わざわざ連れてきてくれて申し訳ないけど、何故ここ(近藤さんのご実家)なのか皆目検討もつかないんだけど。
少し困って声が上ずる。てか寒い、江戸より風通しが良いのか、人が少なく山だからか分からないが寒い。身を縮こまらせるように腕を摩れば、横から大きな羽織が掛けられた。あ、と顔を向ければ煙草に火をつけるところだった。しゅぽっという音がして、スパーという音がする。周りの音が少ないからか、いつもなら気にならないそんな音に耳が反応した。

「ここでよ、いろんなことがあって」

懐かしそうな顔して、そんなことを言い出した。うん、と相槌をうって目を閉じる。私には想像するしかできないけど、近藤さんや沖田くん。それから十四郎の若い頃を思い浮かべてみる。

「まさか、ここに女を連れてくる日が来るとは思わなかった」

その瞬間、背後から抱きしめられるように包み込まれた。驚き瞼を開き振り返ろうとしてみたが少し動いただけで回された腕に力を込められて辞めた。

「十四郎」

「悪かったな」

「…なにが」

「いろいろと、だ。いろいろと」

「そんなこと言ったら私の方こそ謝らなきゃいけない」

「俺は助かったぞ。あん時お前が居て」

「…でも」

「いいんだよ、別に。必要だったんだろ、あれも」

ずっと触れてこなかったこと。
ずっと気になっていたこと。
ずっとずっと心が重かったこと。
全てがその中にあった気がした。
悲しくないのに目頭があつくてツンとして、羽織をぎゅっと掴む。

「ねえ、お願いがあるんだけど」

「…叶えてやれるかは分からねえけど」

「好きって言って」

「はあ?なんでだよ。今更っ、つかこんなところで誰が言うか」

「今更もなにも言われたことないんだけど」

「言わねえよ。どこのキザ野郎だそんなこと言うなんて」

「玄関前でキスはするのに?」

「あれはー…勢だろ勢」

「会社調べちゃうのに?」

「お前が急にいなくなんから」

「こんなところで抱きしめちゃうくせに?」

「ここは人が居ねえからな」

「じゃあいいじゃない。言ってよ」

「言わねえよアホか」

「ケチ」

「今更この歳になってそんな歯の浮く台詞言えるかっつーの」

「今更って何さ今更って」

「言ったことねえんだよ、そういうの」

「え?」

「言わねえだろ、夜の姉ちゃんには」

「は、」

「だ、から」

特定の女作ったの初めてだっつってんだよ
その言葉に驚いて勢よく振り返った私に、真っ赤な顔した十四郎が顔を背けるように抑え込んできた。痛いっと叫んだ私にこっち向くなと十四郎も声を上げる。いい歳したアラサー2人でぎゃあぎゃあ騒いだ。

「他から見たら変な人だよ私たち」

「一緒にしてくれるな頼むから」

ハアハアと肩で息をする。
年甲斐もなく散々騒いで2人で馬鹿らしくなって笑い合った。
それでどちらからともなく指を絡ませあって来た道路を戻り宿へと向かう。

「ふふ」

無言で歩んでいたら不意に笑みが溢れてしまった。そんな私を怪訝そうに眉をひそめ「何笑ってんだ」と十四郎が問う。

「私が初めてだって〜、初めての女だって〜」

嬉しいのだ。好きだと言われるよりもずっと。
ふふーんと調子に乗った私に十四郎はそんなことで笑ってんのかとでも言いたげな顔して口を開いた。

「最後の女もくれてやるよ」

「えー…」

足が止まった。そして私の顔から笑みも消えた。

「は、何突っ立って…」

十四郎はズレている。好きだとは言えないくせにそんなことはさらりと言えてしまうらしい。なんだかもういっぱいいっぱいである。

「泣いていい?」

「はあ?なんでだよ」

「私もさ、同じ気持ちなんだよ」

「…取り敢えず歩けよ」

同じ気持ちにピンと来ていないらしく、首を捻る十四郎。繋がれた手を引かれる。そういえば手を繋いだのは何回目だろうか。こんな暖かな気持ちで繋いだのは初めてな気がする。

「私も、最後の女で在りたいよ」

「そうかよ。じゃあそれでいいじゃねえか」

なんで泣く必要があんだよと言った十四郎はきっと私よりもずっと純粋な人なのだろう。
だからこそここまで来るのにこんなに時間が掛かったのだろう。

「十四郎」

「ああ?」

振り向きもせず声だけが返ってきた。それでも私の心は溢れんばかりの幸福感に満たされる。
言いたくて言いたくてどうしようもなくて。好きだよと口に出してみる。案の定「そうかよ」としか返ってこなかったけど。

「なにちゃっかり手に力込めてんの」

「うっせーな、いちいち口に出すんじゃねえよ」

「俺もだよって言えばいいのに」

「だから言わねえっつーの」

何度泣いたっけ。何度諦めたいって思ったっけ。何度辛いって、何度ー…。
"必要だった"
十四郎がそういうならそうなのかも知れない。
随分と長い間迷い続けた気がする。かなり遠回りした気がした。
それでも、明けない夜が無いように止まない雨がないように。

「もう春が来るね」

「立春過ぎたろうが」

「じゃあもう春?」

「まだまだ寒いけどな。すぐ暖かくなんだろ」

もうじき冬が終わりを告げ、春がやって来る。
季節は巡り繰り返す。
きっと私たちはこれからも時に迷って時に遠回りをするんだろう。でもきっとそれはその時の私たちには必要なことなんだろう。
間違っていたかも知れない、これからも間違うかも知れない。それでもこの手を離さなければきっとー…
見えない未来に誓った

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