「なんだこれ」
「うちの鍵」
「は?」
「いやだから、ここの鍵」
じゃらっと顔の前で昨日作ったばかりの合鍵を揺らせば十四郎は少し眉間に皺を寄せた。どくんどくんと早くなる鼓動を必死に抑え込む。悟られるな、感じとられるな。なんでもないような顔して、なんでもないことのようにやり過ごせ。そう自分に言い聞かせながら何度も考え直した台詞をなぞるように唱える。
「連絡なしでくることあるでしょ?もしその時私がいなかったら入れないじゃん」
そして「私がいない時に仕事で使ってもいいし」と十四郎がこの部屋の鍵を持つことによって得られるメリット的なものも付け足した。断らないで欲しい。俺とお前はそんな関係じゃないとか言われたら私多分もう、前向きにことを考えられそうもないから。
曖昧な関係のままでいれなくなって、私は小さな頭をフル回転させたのだ。どうにか十四郎にとって私といることがプラスであると認識してもらえないだろうか。
「助かるわ」
全く腹の中を読ませてくれない十四郎だから、どんな気持ちでそう言ったのか分からない。しかし私の手の中から鍵はなくなった。
「失くさないでね」
「失くさねえよ」
同じ部屋の鍵を共有してもいくら身体を重ねても、この関係に名前をつけるとしたらきっとー…
▽
玄関を開けて一番に視界に入ったのが黒い靴だった。私のではないそれは狭い玄関で異彩を放っている。ああ来てるんだ、なんてつぶやき落としながらも口元が緩んだ。来るなら来るって言ってくれれば家に居たのにと、時間潰しがてら買い物に出掛けてしまったことを少し悔やんだ。
「ただいまー…って」
ドサッと音を立てて荷物を床に下ろしてからその人物が寝ていることに気づいた。テーブルに顔を伏せ、小さな寝息を立てている。
「休みじゃなかったんだ」
着流しではなく、隊服だ。
休憩がてら来たのだろうか?だとしたらいつまで寝かしとけばいい?起こそうか起こすまいか悩んで、隣に腰を下ろせば滅多に見れないであろう寝顔がアップで視界を占領する。分かっちゃいたけど本当にこの人は羨ましいくらいかっこいいな、なんて思わぬところで再確認させられた気がした。
十四郎と出会ってもう何年だろう。何年一緒にいるんだろう。何年私はこの人だけを想い続けてるんだろう。
「好きだなぁ」
「…襲うんじゃねえぞ」
「っだ、わっ!えっ?!」
寝顔にぽつりと独り言を投げかけてしまっただけなのに突然なんの前触れもなく開いた目は私を映した。若干寝起きだからか掠れた声に慌てて距離を取る。
「おっ、起きてたの?」
「髪、撫でられりゃ起きんだろ」
ふあぁ、と欠伸をしながら十四郎が背を伸ばした。首を回しゴキゴキと音を立てる。
「出掛けてたのか?」
「えっ、ああ、うん。デパートに」
「へえ」
いつも通り、普通に会話をしてくる十四郎にどぎまぎしてしまう。十四郎が私の気持ちを知っていることなんて分かっているけど
「普通すぎない?」
「は?」
「え?」
「は?」
声に出ていたらしい。はあ?とこちらを見る十四郎の顔が脈略のない会話に困惑していた。いやもう、私、どうしてくれてるんだろう。
「なんでもないよ」
そう言って飲み物でも出そうかと立ち上がれば腕を掴まれた。部屋には秋を感じさせる赤い夕日が差し込んでいて、十四郎の黒い髪がオレンジ色のように見えた。
「何しに来たのか、聞かねえの?」
いつもならされない質問に今度は私が「は?」と困惑した。いやだって、そんなこと知るわけないじゃないか。
仮眠、休息、暇つぶし等々を思い浮かべてみた。しかしなんだかしっくりこなくて「欲求不満?」と口にすれば十四郎は「あながち外れてねえよ」と笑った。
そうだったそうだった、私と十四郎はそういうフレンドだった。悲しいやら虚しいやら嬉しいやら…私も自分の感情がイマイチ把握できない。掴まれた腕に視線を落としてそれでもこの手が離されないうちはいっか、と笑った。
「じゃあシャワー浴びてくる」
「んや、俺この後18時から会食あんだわ」
「は?」
「松平のとっつぁんと会食」
「…は?」
喉元まで出かかった"じゃあ何しに来たの?"。抱かれるかと思ったのに十四郎はそれを断り、私の手を離した。
「なんだよ、お前の方が欲求不満なんじゃねえの」
「勘弁してよ。私は十四郎と違ってお金払ってまでしたいと思わないよ」
「馬鹿言え。俺だって最近そんなことしてねえよ」
そんな暇あるわけねえだろうと言って私の横を通り過ぎ玄関へ向かっていく。ちょっと待ってよ、本当に帰るの?何しに来たの?
こんなことは鍵を渡してから初めてのことだった。
「十四郎?何かあった?」
不安になって、もう出ていく後ろ姿に問いかける。くわえ煙草でどう見てもお巡りさんに見えないその男は振り向きながら「なんもねえけど?」と不思議そうに言った。
私にはこの男の思考がイマイチ理解できそうもない。決定的な言葉はくれない。でも自惚れてもいいだろうか。
「もう18時過ぎてるよ、十四郎」
もしかして私の帰りを待っていてくれたのかな、なんて。
▽ 沁みる夕焼け
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