"変わりないか?" "会えるか?"
そう言ってくれていたのを私は何度素直になれず断ってきたのだろう。鳴らなくなった携帯を横目にため息を吐く。放っておいてと、もういいから私のことなんて気にかけないでと、どうにか今の関係を少しでも良くしようとしてくれた十四郎を突き放したくせに。本当に連絡が来なくなった途端、寂しくて会いたくて声が聞きたくてー…

「いつから私はこんなにもめんどくさくなったんだろう」

十四郎が嫌気を差すのも納得の愚か者である。差し伸べられた手は払いのけるくせに、縋りたがってるのは私の方だ。関係を壊したのも私で、今更どうすればいいのか分からなくなってしまった。十四郎は初めから何も変わっていない、変わってしまったのは自分自身なのだと気付いた時にはもう手遅れな気がしていた。


沖田くんと会ったあの日から、十四郎への気持ちはより一層ぐちゃぐちゃになった。会わなければ忘れられる、時が解決してくれるはずと思っていたのにそうでもないらしい。思い返すのはいつだって二人でくだらない会話をしていた頃のこと。ふと鏡に映った髪の毛を見て、そういえば十四郎は私の髪を綺麗だと褒めてくれたっけと懐かしい気持ちになった。

「あ、あれは違うか。私じゃないか」

まあその数秒後に黒くなった髪の毛に現実を突きつけられることになったけど。しかし以前とは違いほんの少し、本当に少しだが心の隅で期待も生まれた。沖田くんと話したことでずっと否定し続けてきた"十四郎はもしかしたら私自身を見てくれていたのではないか"という淡い期待が。
ここ三日ほど一人就寝時になると画面に浮かべてしまう番号に問いただしたくなった。一人でぐるぐる考えてしまうこの期待は実際のところどうなのかと聞いてみたくなって、ショートメッセージに何度も何度も同じ文字を打ち込んでは消している。会えるか?と時間を取ろうとしてくれた十四郎は今でも私なんかの為に時間を割いてくれるのだろうか。

「情けないなぁ」

いい歳して私は一体何をしているのだろう。結局のところ、私は十四郎とのことを無かったことにしたくないのかも知れないなと気付いたのは去年も一昨年も十四郎が忙しいと漏らしていた年の瀬だった。今なら電話を掛けても繋がらないかも知れない、でも相手には着信履歴として残る、もしかしたら掛け直してもらえるかも知れない、そうしたらー…多分今の私はおかしい。以前の私ならたかが恋愛で泣いたり悩んだりする人間を他にやることはないのかだなんて思っていただろう。しかし今私はその、たかが恋愛でもう何十回も泣いて数え切れないほど同じことを悩んでいるのだ。おかしい、実におかしい。頭で分かってるつもりのことなのに、心がそうじゃないと違う意見を出す。昨日出した答えと今日出す答えは全然違う。私が思っていたよりも恋愛というものは複雑だったらしい。
もうこれ以上悩むのは疲れた。どうせなら白黒はっきりさせればいい。私は沖田くんのお姉さんにはなれないし、そんなことは私よりも十四郎の方がずっと分かっているだろう。ああもういいや、どうせ会えないならどうせこのまま終わるなら最後にちゃんと話がしたい。

「私ってこんなに自分勝手だったんだ」

初めて知ることばかりだな、と自嘲してから何度も頭の中でなぞり既に暗記してしまった番号に電話を掛けた。自分で掛けといて本当に勝手だと思うけど、できれば出てくれるななんて願いながら。

『…どうした』

「あっ…」

願い虚しく、何度目かの機械音の後に低くて少しだけ疲れが感じられてそれでいてどこか落ち着くような声がした。聞きたかったずっと聞きたかった声が耳に入ってきた瞬間、もう本当に私も自分自身に「一体お前はいくつだ」と突っ込んでやりたいくらい情けない声と涙が流れる。

『なまえ?』

私が何も答えられずただただ声を押し殺して泣いていれば"おい、なんかあったか?"と今度は少し焦ったような声色に変化した。名前を呼ばれてもっと泣いた私はもうどうしたらいいんだろうか。きっと冷静になった時このことを思い返して恥ずかしくなるのだろう。

『おいどうしー…泣いてんのか?』

バレないように声を押し殺していたつもりが、鼻をすすった音でバレてしまったらしい。泣いてるのか?と聞かれて鼻がつんと痛くなった。

「…泣いてない」

『…そうかよ』

震えた声で、鼻声で。泣いてないなんて嘘、きっと十四郎にはバレていたに違いない。その証拠に安心したかのように声がほんの少しだけ高くなって聞こえた。十四郎の気持ちが声で分かるように十四郎にも私の気持ちは筒抜けなのかも知れない。かちゃかちゃと石を回す音がして、それからふぅと一息吐いた十四郎はもう一度『どうした』と言った。私は深く息を吸ってから強く瞼を閉じて、なるべく明るい声を出した。

「どうもしないよ。ただこの時期十四郎は忙しいだろうからさ、生きてるかなって」

『忙しいって分かってんならこんな時間に電話してくんじゃねえよ』

「あ、迷惑だった?」

『迷惑…じゃねえけどなんかあったのかと思うだろうが普通』

「友達からの電話でいちいち心配してたら身が持たないよお巡りさん」

『…てめえだからだろ』

「え?」

『てめえだからなんかあったのかと思ったんだろうが』

普通に会話ができてたはずだった。ポンポンと会話をしているうちに涙が止めどなく流れるなんてことはなかったし、やっぱり十四郎との会話は楽しいななんて思っていた。黙りこくってしまった私に十四郎がそれで、と言葉を続ける。

『ずっと音沙汰無しで人のこと避けてた奴が一体何の用だよ』

「…ごめん」

咄嗟に出た言葉はごめんだった。何に対してのごめんなのか、言った本人さえ分かっちゃいない。避けてたの分かってたんだ。そりゃ分かるか。音沙汰無しって、十四郎だって連絡してこなかったじゃないか。いや、避けられてるの分かってるんだから当たり前か。
自分勝手な奴はどこまでも自分勝手らしい。これじゃあ十四郎だって私とのこと、無かったことにしたいよねと妙に納得してしまった。

『別に責めてるわけじゃねえよ』

「責められることした自覚はあるんだよ」

避けたとか避けてないとか、そういうことじゃなくて。もっと前から私は十四郎に対して謝るべきことがあったのだ。貴方の為のよう顔して自分の為だけに動いてました。そのくせ一方的に傷つけられた気になって…

「ごめん、本当にっ」

いろいろなことを思い返していたらまた泣けてきた。今度は自分自身の身勝手さや愚かさに対しての涙なんだけど。二度目のごめんに十四郎は深くため息を吐く。

『お前が謝ることなんてなかったろうが』

「謝ることしかなかったじゃん」

『あー、もうめんどくせえから住所言え住所』

「やだ」

『なんでだよ、めんどくせえな』

電話の向こうでなにやら物音がした。戸を閉める音とかガチャっと鍵を回す音とか車のエンジンがかかる音、とか。

「十四郎?どこか行くなら電話また今度す、」

『サイレン鳴らして探されたくなかったらさっさと住所言えこら。こっちがその気になればてめえの家くらいすぐに炙りだせんの知ってんだろ?』

「…脅迫だよそれ」

『知らねえよそんなもん』

「忙しいんじゃないの」

『おかげで今日は一睡もできなそうだな』

「今度、落ち着いたらでいいじゃん」

『そんなにサイレン鳴らされてえか』

「勘弁してください近所迷惑です」

気づけば前のように言い合っていた。
気づけば私の涙は止まっていて、胸が締め付けられるくらい頬が緩んでいた。

『総悟は家に入れたくせになんで俺には教えねえんだよ』

「…ばっかじゃないの本当に」

これが最後でいい。私の気持ちを知って、私がしたことの意味を知って、十四郎が離れてしまって二度とこうして会話ができなくてもいい。
少しムッとしたように『簡単に押し倒されてんじゃねえよ』と言われて私は住所と部屋番号を伝えた。
エンドロールは巻き戻せない


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