そんなに昔のことじゃない。それでも懐かしく思ったのは久しくなまえの顔をちゃんと見てねえからか。

「好きじゃないの、お酒って」

そう言って、初めて呑みに誘った時あいつは本当に一杯も飲まなかった。酒を飲むと体が痛くなるだとか体質的に合わないだとか言っていたのを俺は信じていた。立ち飲み屋に誘った俺になまえは困ったように笑ってもっと洒落たところにしてと言っていたと思う。あの時俺は酒を飲まねえ奴だから今度はもう少しマシなところに誘ってやろうと思って、本当にそう思って"次は"なんて口走った。次は簡単に来ると思っていたし、俺とあいつのことだから飯でも食いに行こうぜって言えばすぐにでも実行できる口約束のはずだった。

「あ、トイレ行くなら戻るついでに冷蔵庫からビール取ってきてね」

「…てめえで取れよ、つかお前飲めんのかよ」

「へ?何が?」

「何がって、酒だよ酒。体質に合わねえとかなんとか言ってなかったか?」

ほら立ち飲み屋で、と言った俺になまえは険しい顔をして「はあ?」と言った。

「今更何言ってんの。私が夏に枝豆とビールと冷奴をこよなく愛してることはもう知ったことだと思ってた」

「思い出したんだよ」

「…黙って立ち上がったと思えば私との思い出を思い返してたの?気持ち悪い」

「言ってろ」

もう既にほろ酔い気分でいつもより少しだけ楽しそうに笑うなまえを見てればあの時どうして飲めないと言ったのかなんてどうでもよく思えた。冷蔵庫からビールを取り出して投げ渡す。するとありがとうと言ったなまえが「男の人の前では飲まないようにしてるだけ。自分の身は自分で守れって死んだばあちゃんが言ってた」と笑う。

「…俺も一応男だろうが」

「十四郎はいいんだよ、特別」

ニッと白い歯を見せて笑ったなまえは風呂上がりらしく昼間定食屋で会う時とは違って見える。だがそれが"特別"という言葉をより一層際立たせた。

「何突っ立ってんの。いいの?トイレ」

「ああ?」

「だからトイレ。あっもしかして特別って言われて照れた?」

十四郎でも照れることあるんだ、なんて言ってる相手を本気で相手する必要もない。うっせ、と短く返答をして用を足しにと向かった。周りに気を遣わずに済み、なおかつ外で会うより家で会う方が俺には居心地が良かったしあいつもそうだと思っていた。二人で暑いとボヤきながらカタカタ音のする扇風機と冷房の効いた部屋で特売の缶ビール片手に愚痴を言ったり…そんな関係が特別だと思ってた。

「つかお前、こないだばあちゃんと電話してたろうが」

「よく覚えてるね。ばあちゃん元気だよ」

もしもあの居心地の良かった部屋から連れ出して、あいつの言うカタカナだらけの店に連れてっていたら。こんなにも携帯片手に何を話せばいいか悩むことなんて無かったのかもな。
今日も画面に浮かばせた番号にかけることはなかった。


人の部屋に断りなしに入ってきた総悟が態とらしく咳き込んだ。ゲホゲホと人の真横、つまりは耳元で耳障りな咳をする。

「…なんだよ」

「そんなに煙てェー部屋に篭りたいんですかィ土方さん」

よっこいしょと持ち込まれた七輪に眉をひそめる。ああ?と不機嫌な声を出せば総悟はにっこりと笑った。

「なら俺がいいの貸してやりやしょう。これならそんな草燃やすよりも手っ取り早くこの部屋煙だらけにしてやれやすぜィ」

「俺を殺す気かてめえは」

「こっちはあんたの垂れ流す副流煙で気管支炎になりそうでさァ」

「用がねえなら来なきゃいいだろ」

「廊下にまでクッセーの、流れ出てんでィ」

換気くらいしたらどうなんで?と窓を開けられて、自室がどれだけ煙たかったのか気づく。手元にあった灰皿はこれ以上役目を果たせそうもないくらい山盛りになっていた。こりゃ苦情が来ても仕方ねえわ。

「ああ、悪い」

総悟が俺の身を案じる日が来るなんて思いもしなかった。悪いと言われたのが意外だったのか、総悟までもが驚いた顔をする。

「アンタついに頭までもやられちまいやした?部屋に七輪置かれて感謝されるとは思いやせんでした」

「そっちなわけねえだろ」

誰が七輪置かれて喜ぶかよ。畳に落ちている灰を片付けながら「どうした?」と聞けば総悟がアンタこそどうしたんでさァと腰を下ろした。アンタこそって、用があったのはてめえの方だろうが。俺はお前を呼んだ覚えはねえ。

「なんか話があって来たんだろ?用がなきゃてめえが俺の元へなんざ来るわけがねえ」

「だからコレを置きに来たんでさァ」

「暇だなお前は」

「どっかの誰かさんがたかだか女に振られたくれェーで情けない面下げてるんでねィ。暇にもなりやさァ」

弄っても茶化しても反応がなくてつまらねェーやとボヤく。そこで最近えらいペースでストックのマヨがなくなったり目覚まし時計が毎日のように壊れてたのはこいつの仕業かと気づいた。そんなことに気が回らないほど自分に余裕が無かったのだと気付かされて不愉快だ。

「そんなに暇なら仕事でもしろよ。先月の夏祭り警備報告書、一番隊だけまだもらってねえぞ」

「部屋に篭ってムンムンしてる土方さんの為にとっときやした」

「…嬉しくねえよ」

ため息混じりに答えた俺に総悟が舌打ちをする。つまらねえとわざとらしくため息までつけて。

「はぁー…聞いてやりやしょうか?」

「は?」

「話」

「なんの」

「あの女のに決まってらァ」

めんどくせェーけどと両手を後ろにつき、足を伸ばしてかなりデカイ態度で総悟が言う。
おいおいなんの冗談だ?お前が俺にそんな気を遣うなんて。総悟の気遣いに戸惑った。俺たちはいつからそんな仲良しこよし相談し合う仲になったんだよ。つかお前俺にそんなに興味あったのかよ。
総悟の意図が読めず「なんのつもりだ?」と身構えた。

「なんのつもりもクソもありやせん。毎日毎日不機嫌丸出しにして屯所中でクッセー煙垂れ流してりゃ、こっちまで病んじまいそうでさァ」

いい加減にしてくだせェーよ、近藤さんも心配してやすぜと言われてそういうことかとやっと理解できた。大方近藤さんに俺の話を聞いてやってくれとでも言われたんだろう。近藤さんにだけは忠実なこいつのことだ、嫌々ながら渋々本当に渋々、俺の部屋に来たんだろうな。

「別に大したことねえよ」

わざわざ来てもらって悪いがお前に相談することなんざなにもねえよと言えば「そんなにいい女でしたかィ?」と返された。ああ?と顔を上げれば大きく丸っこい目がこちらを見ていてバッチリと視線が合ってしまう。

「姉上よりもいい女でしたかィ?」

ドクンと心臓が強く跳ねて、冷えた。逃げるように反らした視線は灰を拾い集めた時に汚れた指先へと向かった。

「別に、あいつとミツバは関係ねえだろ」

弱々しく消え入りそうな声に総悟は鼻で笑った。
近藤さん。今度から俺の様子を気にかけてくれるならこいつじゃなく山崎辺りを寄越してくれねえか。

「どうしてアンタはそうも生き辛い道を選ぶんでしょうねィ」

「そうでもねえよ」

「たった一言、言ってやりゃ何か変わるかも知れねェーっつーのに。あの時だって今だって」

総悟が、自らミツバの話を吹っかけてくるとは思わなかった。俺と総悟の間でその話題は避けるのが暗黙の了解だったように思っていた。だから意外で、だから俺も、答えなきゃいいのに答えちまった。

「言ってどうすんだよ」

守れねえ約束なんざ、誰が喜ぶ?
ボソリと吐き出したその言葉に総悟は「さァ?」と言った。おいおい、俺の心の底へ静かに落としていた言葉を引っ張り出しといて、さァ?はねえんじゃねえの。

「お前何がしたいわけ?」

「土方さんになら伝わると思ってたんですがねィ、分かりやせんか?」

そう言って携帯を取り出した総悟が画面を突きつけてくる。写し出された写真に心臓を握られたように思えた。

「お前…」

「本当。選択を間違えてばっかだとアンタ絶対後悔しやすぜ」

"あ、これで貸し借り無しにしてくだせェーよ"と言った総悟に俺は何の貸しを返されたのか分からなかった。こいつが俺に迷惑かけることなんざ日常茶飯事で、こいつはそれを生き甲斐にしてるような奴で…

「こんなことなら真面目に仕事でもしてくれてる方がマシだ」

「嫌だなァ土方さん。惚れた腫れたの事情で借りた借りですぜ?惚れた腫れたで返さなきゃ筋が通らねェーってモンでさァ」

こいつに俺の考えが全てお見通しってことが何よりも気に食わねえ。
季節は過ぎた


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