いつだか十四郎が言った"立ち飲み屋じゃない店に誘ってやる"という約束は果たされないままだった。いや、果たされたと言えば果たされてるんだけど。何度か飲みには連れてってもらったし、一緒にご飯なんてしょっちゅうだった。主に定食屋だったけど。

「アランチーニとか十四郎は好きじゃなかったのかな?」

投函されていたチラシを見ながら当時の会話を思い返す。本当は立ち飲み屋だって汚シュランだってどこだって、十四郎と一緒なら良かったのに。もっと私に可愛げがあったら良かったのだろうか。もっと私が他人に優しくできる性格で辛党で常に笑顔を絶やさなくて強く美しく清らかだったらー…
そんな思考をしてしまった自分に呆れて失笑した。私は私で、誰かになるなんてこと無理だったじゃないか。手の中のチラシをぐしゃりと握りつぶしゴミ箱へと捨て入れた。
私が素直でもっと思いやりがあって辛いものが大好きでよく笑う女だったとしても、十四郎は私に見向きもしなかっただろう。

「そんな簡単なことじゃないって」

分かってる。だって私もきっと、十四郎みたいな人が現れたとしても十四郎じゃないならこんなにも焦がれないと思うのだ。


定食屋に行かなくなってからは社員食堂を利用していた。しかしここは安くて早くて不味い。日替わり定食なんていうのも1日置きに変わるだけのものだった。もうメニューは食べ尽くしたよなぁと小さな券売機を眺めてため息を吐く。300円均一とはいえ食べたいと思えなくなっていた。

「ありがとうございましたぁ」

間延びしたやる気の無さそうな金髪モヒカン鼻に輪っかのピアスをつけるコンビニアルバイターの声を背に店を出る。そろそろ暖かくなってきたしどこか人目の少ないところ、野外で昼休憩も有りかななんて。サンドイッチとお茶をぶら下げながら天気が良くて助かったと座れるところを探す。ああこんなところに公園があったんだ。公園と呼ぶには寂しいような、大きな木とベンチ、それから砂場があるだけの小さなそれは大通りから離れたところにあった。
人があまり来なそうな、都会の騒音から隠れようにひっそりと佇むベンチに腰を下ろす。春から夏、これなら秋もここで昼を済ませられそうだとサンドイッチを取り出した。携帯を弄りネットサーフィンをしながらぼんやりとしていれば背後から聞き覚えのある声がした。

「あ。野郎の」

振り返って声の主を知る。野郎のと言われたのが癪で、少し冷たく返してしまった。

「…野郎の、何?」

「んにゃ、なんでもありやせん。こんなところで何してるんで?」

睨んだつもりなのに沖田くんはフッと鼻で笑っただけだった。こんな年下の子にさえ笑われるのだ。惨めだと思った。十四郎の求める理想になりたくて、私はとても愚かで惨めなことをしていたのだ。木の枝の間から射し込む陽を含んだ沖田くんの髪の毛はどう足掻いたって人口で染めた色には見えなかった。

「お昼ご飯食べてるの。昼休憩だから」

「ここは俺の特等席ですぜ」

へえ、そう。そうなの。
沖田くんを見上げながら「総悟とは…似てるようで似てねえ」と言った十四郎を思い出す。沖田くんより髪は長かったんだろうな。顔は似てたのだろうか?沖田くんは小顔で目が大きくて鼻筋がよく通っていて…ああ、髪の毛の色はきっと同じく栗毛色だったんだろう。
知りたくないのに勝手に沖田くんのお姉さんを想像して思い浮かべて、悲しくなった。私は思っていたよりも性根が腐っていたらしい。故人に対して妬みを抱いている。

「…今までこんなところで食ってなかったろィ」

そう言った沖田くんは私の中の黒く汚い塊までも見透かしているようだった。そして哀れだと言いたげな眼で見てくる。なにも、なにも知らないはずなのに、何もかも分かってるようなその眼に逃げたくなった。もう放っておいて。私の内面を勝手に見ないで。私だって…私だってこんなこと思いたくない考えたくない。
小さなベンチに座る私の隣に腰を下ろした沖田くんが「やっぱり全然似てねェーな」と言った。それが誰と誰の話なのか、外見がなのか内面がなのか、考えたくもなくて聞こえないふりをする。そんな私にはお構い無しに沖田くんは話を続けた。

「今日、うちは総出で寺門通公式ファンクラブ争奪戦なんでさァ」

「は?」

「もう始まってるんだがねィ」

「え?」

いや、だから何?
沖田くんの話に困惑した。真選組って、一体どんな組織なのだろうか。アイドルの公式ファンクラブ争奪戦に総出ってどういうこと?
今までなら真選組の話は十四郎から聞いていた。局長の近藤さんがキャバ嬢にハマってること、沖田くんが仕事をサボること。将軍の護衛で旅行に行ったこと。楽しそう話の数々を思い出して懐かしく思う。そういえば私最近、ニュースも見てないや。

「ったく、トッシーだかトッキーだか知らねェーが私情に隊士を巻き込むなんざ職権乱用にもほどがあらァ」

ブーブー文句を垂れる沖田くんに大変だねと言えばキッと睨まれた。え?睨まれることしてないよね?

「野郎は無様な姿曝してますぜ、毎日毎日飽きもせずに」

「へ?」

「トッシーだけでもこっちは腹一杯だっつーのに、女のケツ追っかけ回して部屋中有害ガスだらけでさァ」

俺の上司はどいつもこいつもドMらしいやと嘆いている。近藤さんのキャバクラ通いの話?と聞けば沖田くんはパッと立ち上がり「んや?犬の餌好きな味覚音痴の話でィ」と言った。ちっともなんの話だか分かりゃしない。そのままそんじゃと歩き出した沖田くんに「え?なんだったの?」と問えば振り向きながら「よくよく考えれば俺にゃー関係のねェーことでした」と言われてしまった。やっぱりますます分からない。

「テレビで生放送らしいんでねィ。暇だったら情緒不安定な野郎の姿でも見て笑ってやってくだせェ」

そう言ってタクシーを停めた沖田くんはそのままどこかへ乗り去ってしまった。携帯で真選組、寺門通公式ファンクラブと検索すればサングラスにハチマキを巻いて袖のないジージャンを着ている十四郎らしき人物の画像がヒットした。

「…うっわ、これは」

実際に会って茶化してやりたい。
何も無かった友達の頃に戻れるなら、何だってするのに。好きが消えなくて、違う人を想う十四郎の隣で笑える自信もなくて。もういっそ知り合わなきゃ良かったのにって。
過去はやり直せなくて、何も無かった頃には戻れないと分かっていて、かといってどうやってこの思慕いを捨てればいいか分からなくて。終わりの見えない思考を休ませる為にお茶を流し込んだ。
溶けて恋


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