鏡越しに美容師さんが笑う。よくお似合いですって笑う。久しぶりに見る自分の本来の髪の色はなんだか少し照れくさかった。

「こんなに黒かったですっけ」

「元々は綺麗な黒髪ですから」

忘れてた。もう何年もずっと、あの透けるような栗毛色だったから忘れていた。そうか、本当の私はこっちだったのか。

「でもどうしてまた急に?」

何かありました?と笑顔で聞いてくる美容師さんに特に何もと答えた。私はもう、間違いを犯したくない。


ガサっとビニール袋が潰れる音がした。足元へ目線落とせばいつだか大量に頂いた煎餅の残りを踏んでしまっていた。激辛煎餅とかかれたそれを拾い上げ、万事屋さんと書かれたダンボールに詰め込む。そして残る荷造りを再開した。

「はいはいじゃあこれは新居で、これは…万事屋さんってなに?うち?」

引越しの手伝いにやってきましたーと約束した時間より30分遅れてやってきた万事屋さん。以前迷い猫の時にお世話になった以来だ。

「ああそれは、こないだ依頼に行った時眼鏡の男の子が不要なものはまとめといてくださいって。うちで処分するからって言ってたんですけど」

「ゴミとかは要らねえぞ?」

「あっ、大丈夫です。要らないけどまだ使えるもの限定って言われてたのでそこは大丈夫です」

もしあれだったら中確認してくださいと言えば、万事屋の社長さんは迷うことなくその場で封を解いた。

「まだ食える缶詰とか入ってんぞ!あっ、ストレートアイロンも入ってんじゃん。いいの?え、まじでいいの?」

「はい。断捨離と言いますか…本当に要らないものを詰め込んだので失礼じゃなければ」

「そこは気にすんな。こっちでちゃんとしっかり選別して処理しとくから」

あ、これって。と言われて他に何か入れてたっけと私もダンボールの中を覗き込んだ。

「おたくも好きなの?これ」

「え?」

「知り合いもこれが好きでさー。俺には良さが全くわからなかったんだけどね?」

なんでおやつと唐辛子を掛け合わせたのか分からねーよなと言った社長さんにそうですねと笑うしかなかった。
それから万事屋さんが紹介してくれた新居へと荷物を運び、荷解きまで手伝ってくれた。当初の約束では荷解きは依頼内容に含まれていなかったから大丈夫ですと断りを入れたが、社長さんは暇だからとご厚意で手伝ってくれた。
全て終わったのが夜の21時過ぎ。辺りはもちろんすっかり暗くなっていて、集中していたから忘れていたが夕食時間をとうに過ぎていた。

「あのっ、お礼と言いますか…もし良かったらピザでも取りませんか?」

「へ?お礼?」

「荷解きまで手伝ってもらったので。もし迷惑じゃなければ」

社長さんはまじで?ラッキーと快諾してくれた。それから一緒に夕食をとり、無言で食べるのもアレだからと色々話をした。

「答えづらかったら別にいいんだけど、一個聞いていいか?」

「はい?」

「いや、なんつーか。職場からは今と同じくらいもしくは今より近い方が良くて即入居可でできるだけ裏道沿いがいいって、おたくもしかして警察に追われる側の人?」

「は?」

「だって、じゃなきゃおかしいっしょ。ワケあり?なにしたの?」

答えづらかったら答えなくていいと言ったくせにグイグイとくる社長さん。好奇心から目の奥がキラキラしちゃっている。

「別に何もないですよ。ただ、即刻引っ越したかったんです」

「またまたぁ〜何もない奴はそんな急いで、しかも人目につかない所希望なんてしねーって。本当はなんかあったんじゃねーの?」

白い髪の毛をふわふわさせながら、社長さんはさきほどよりも身を乗り出して聞いてくる。なんて答えようか迷って悩んで、ついこないだ同僚が話していた話を思い出した。

「絶対誰にも言わないでくれますか?」

「言わない言わない。銀さんちょー口堅いから。秘密主義者の銀ちゃんって呼ばれてっから」

「あそこのアパート、出るんです」

「は?」

「だから、あそこのアパート幽霊が出、」

「アァァァァ!思い出した、思い出したわ思い出した。依頼人の個人情報にはあまり踏み入っちゃいけねえんだったそうだったそうだった」

ガハハと笑った社長さんはそのままピザを口に詰め込んで、急用を思い出したと急いで帰っていった。
こうして私は思い立ってから二日後に引越しを完了させることに成功した。十四郎には何も告げていない。逃げるように決めた新居は以前の部屋よりもほんの少し広いだけだ。家具の配置も以前と同じようにしたからなんだか引っ越した実感が湧かない。なのに窓からの景色は全く違って見えた。同じ町から見上げる空なんて変わらないはずなのに。
この部屋から見える空は狭い


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