職場の机の上、ブーブーと携帯が震えている。画面に浮かぶ番号に泣き出してやりたくなった。そうしてしまったのは自分自身のくせに。

「誰か携帯鳴ってない?」

そんな声がして慌てて携帯をポケットへ突っ込む。話す勇気がなくて電話に出れないくせに着信拒否にすることはもっとできない。私は弱虫だ。ずるくて弱虫で泣き虫だ。
鳴り止んだ携帯を取り出して着信履歴を開いた。電話帳からは消すことができたから誰からの着信か名前は出ないのに、もう番号を見るだけで分かってしまう。

「下四桁覚えちゃってるもんなぁ」

私は一体どうしたかったんだろう。


代わりになれるなんて思ってなかった。代わりになりたいと思ったわけでもなかった。ただ十四郎の力になりたくて、支えになれたらいいのにって思って。

「マヨリーン工場?なにそれ」

「は?お前CM観てねえの?あ、このマヨネーズ開けていいか?」

「別にいいけど…」

ものすごい勢いで人ん家の玄関を叩き、これまたものすごい剣幕で人の家に上がってきたかと思えばマヨリーン工場がどうのこうのと言い出してストックのマヨネーズを袋から出し始めた十四郎。相変わらずよく分からない人だなと思いながら、怖いくらい真剣にマヨリーン工場について語る姿を眺めた。

「それで、みんなでマヨネーズ消費してるって?それそのうちストライキ起きるよ」

「大丈夫だ。うちにそんな柔な奴はいねえ」

「いやね、柔とかそういうのじゃなくて…まあいいや。行けるといいねマヨリーン工場」

「おう!なまえもマヨネーズ買ったらよく見といてくれ」

そう言って十四郎は私の両手を握り頼んだと頭を下げた。異常だ、これは本当に異常だと思う。ちょっ、なに、離してと言いながら口から出てしまった「病んでるの?」。十四郎は病む?と首を傾げた。

「あっ、いや、そうじゃなくて。マヨリーンがどうのこうのってあまりにも真剣だから、それだけ!」

本当に他の意味はなかったのに、慌てて言葉を付け加えたら余計おかしな言葉になってしまった。十四郎がなにも答えないからああやばいと更に焦る。そりゃ病んでないわけがない。沖田くんのお姉さんを亡くしてしまったのだから。あぁもう、余計なことを言ってしまった。十四郎を傷つけてしまったかも知れない。

「十四郎っ。私が、」

「病んでねえよ別に」

「え?」

「悪かった。分かってたんだ、お前が俺に気を遣ってること」

「…はい?」

突然落ちた声のトーン。マヨリーンマヨリーン言ってた時とは大違いだ。悪かったと言われて、なにが?と首を傾げてしまう。

「お前があの日、そばに居るって言ってくれて助かった。もう大丈夫だ。言うのが遅くなって悪かったな」

もう俺は大丈夫だからと言われて、目の前が真っ暗になった。大丈夫ってなに?もういいって?

「あっ、えっと…」

なんて言えばいいか分からなかった。ただ全身の血が引いていくような気がして、なのに恥ずかしくて顔から火が出そうな感覚になった。私がそばにいるからなんて、そんなの私の為に言った言葉だ。私なんかじゃ十四郎に空いてしまった穴は埋められないと分かっていた。分かっていたけどそれ以上広がらないようにくらいはできるかもと驕っていた。これでもかと弱ってるところを汚いやり方で、救いを差し伸べるふりをして…

「ごめん」

「お前が謝ることはなにもっ、」

「ごめん、十四郎。ごめん、帰って」

おいなまえと十四郎が私の名を呼んでいる。聞こえているのに反応できない。あの日から2回十四郎に抱かれて、私たちはなにが変わった?私は十四郎の何になった?十四郎は私をどの位置に置いた?
閉まった玄関のドアの音を聞き終えてから、その場にへたり込んだ。

「馬鹿だなぁ…」

ぽたぽたと部屋着に落ちたものが広がり色を濃く変えていく。弱ってるところへ漬け込んだところで私は満たされなかった。十四郎は私を見てくれなかった。私がいるから私は十四郎の味方だからと、私は十四郎の為にと。
押し付けがましい善意のふりをした悪意だ。
ごめんと繰り返したところで過去は消えてくれない。私がこんなだから十四郎はもういいと言ったのだろう。
俯いた頬横から落ちる色の抜けた髪の毛が涙で頬に引っ付いた。どこから始めよう、何から断ち切ろう。

「私が望んだのは、なんだったっけ」

もうなんだか泣き疲れた。私はずるくて卑怯で弱虫で泣き虫だ。
涙で枯れた遠い春


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