男の人の名前は高杉さんと言うらしい。あの後不動産屋の坂田さんに鬼電して教えてもらった。「なんか質問ある?って聞いたのになんも聞いてこなかったのお姉さんでしょうが」と言われ、理不尽ながらも怒りを覚えてしまった。私は見ず知らずの人に初対面で土下座したんですけど!?

高杉さんは基本的に家にいた。というか部屋にいた。この一週間顔を合わせたのは数える程度である。それは高杉さんが部屋から滅多に出てこないのもあるが、私も部屋から必要以上にでないようにしていたからだった。小さな冷蔵庫を買おうか悩むくらい部屋に引きこもっていた。

それでも同じ家に住んでいるのだから、トイレやらお風呂やら、外出するとき帰宅したとき、運悪く顔を合わせてしまうこともあった。あったけれど高杉さんは本当に私を空気だと思っているらしい、挨拶すら無視された。
もちろんパスタを作ってワインを飲みながら夜景を観るなんてことはしていない。むしろリビングで食事を摂っていないのだ。部屋でコンビニ弁当を食べて済ますのがもう二週間続いていた。そろそろ自炊がしたい。料理が得意なわけじゃないが、嫌いなわけでもない私はうずうずしていた。
あの広いキッチンが使いたい、できたらリビングで食事を摂りたい。

我慢が限界にきた私は、そろりそろりと部屋から出てスーパーへと向かった。共有部分は散らかすなとは言われているが、使用するなとは言われていないのだから使ってもいいんじゃないかな。

スーパーでボンゴレの材料を揃えた。それから生ハムとモッツァレラチーズも買った。そして家に着いてからワインを買い忘れたと少し凹んだ。
初めて入るキッチンは、一度も使用したことがないらしく新品同様、ピカピカである。こんな綺麗なキッチンを使えるなんて、とても美味しいものが作れそうだと思った。
材料を並べ、オリーブオイルを探す。どこを探しても見当たらない。もっと言えば、フライパンや包丁まな板なども見当たらない。

バタンバタンとすべての棚を開けては閉め、開けては閉めを繰り返していれば「おい」と背後から声をかけられた。


「ふぁっ、はいっ」
「何してんだ」


土下座した日以来、初めて声を聞いたと思う。高杉さんがいた。


「いや、あの、怪しいことはなにもしてないです」
「だからなにしてるんだよ」


バタンバタンうるせえよ、と言われてしまい申し訳ありませんでしたと深々頭を下げた。そんなにバタンバタンうるさかったのだろうか。


「なんだこれ」
「あっ、それは、」


ズカズカとシンクの前にやってきた高杉さんは、先ほど買ってきたボンゴレの材料(と言ってもあさりミックスを買ってきたからボンゴレと言えるのか分からないけれど)を手に不思議そうにこちらを見ている。


「お前、料理できんのか?」
「へ?」
「一回で聞き取れ、面倒くせえな」


だからお前料理できんのかって、と言う高杉さんにコクコクと頷けば行くぞと残し背を向けられた。


「え?行くぞ?」
「うちなんもねえから」


器具揃えねえと、と言い財布と車の鍵を手にしている。意味がわからず戸惑っていれば高杉さんは「なに間抜け面してんだ、早くしろ」と言った。


「わっ私も行くんですか?」
「当たり前だろーが。使いやすいとかあんじゃねえの?」


なにがどうなっているのだろう。
必要以上に干渉するなと言っていたのに、私は高杉さんのマイカー、そして助手席に乗っている。


「食器も買わねえといけねえな。お前も食うんだろ?」


そう聞いてきた高杉さんは至極真面目な顔をしていた。お前もって……それじゃあ私は一体誰のために料理しようとしていたのだろうか。
はい、と返事をすれば無視されてしまったが、調理器具と食器の他に調味料もワインも高杉さんが全て買ってくださったので良しとしよう。


「出来上がったら呼んでくれ」
「はい、分かりました」


荷物を運んでくださった高杉さんはまた部屋へと戻ってしまった。
買って頂いた器具をとりあえず洗って、ボンゴレ作りに取り掛かる。広いキッチンでの料理は楽しかった。
料理が出来上がり、テーブルに並べてからふと高杉さんがここで召し上がるのなら私は部屋の方がいいんじゃないかと思った。見ず知らずの女と向かい合って食事を摂るような人には見えないし、干渉するなと言われているし。
あぁ夜景を観ながら食べるのは無理か、と思いながら高杉さんの分だけを残し自分の分は部屋へと持っていく。
そして高杉さんの部屋をノックした。


「出来上がったのか?」
「はい、用意してあるのでよかったら召し上がってください」


ドア越しに声を掛け、自室へと戻った。
久しぶりに手料理を食べる気がするわと満足しながら腰を下ろす。まぁ、欲を言えば私もリビングでワイン片手に夜景を観ながら食べたかったけど。
フォークを手にした時、部屋のドアが開けられた。


「なんでそこで食ってんだよ」
「え?」
「ワイン、飲めねえのか?」
「へ?」
「お前は日本語が分からねえのか、毎回毎回聞き直すんじゃねえよ」


すみません、と謝りながら日本語が分かるからそんな返ししかできないんですと心で言い訳をする。だって、それって、私もリビングで食べていいってことでしょうか。


「家政婦を雇ったわけじゃねえだろ」


早く来いよと言われ、私は急いでリビングへと向かった。ルームシェア二週間目にして、初めてルームシェア相手と食事を摂ることになった。なんだかやっとルームシェアらしいことをする気がする。