この日は珍しく昼間のシフトだった。バイトを終え家に帰ればリビングからなにやら如何わしい声が聞こえる。あんっあっあっ!とかなりの声量らしい。いつも開けられたままのリビングと廊下を繋ぐドアも閉められていて、私はそのまま自室へと入った。こんなのは始めてだった。
ルームシェアを始めて、あと何日かで二ヶ月が経とうとしている。そりゃ高杉さんだって男の人だし、あれだけいい男だったら女の人も放っておかないと思う。だからああいうことをする人くらいいるのだろうけど。


「リビングでしなくてもいいと思う」


これに尽きる。あれかな、バイトだって言ったからこんな早く帰ってくると思わなかったのだろうか。いつもバイトの時は女の人を連れ込んでいるのだろうか。
私がとやかく言える義理ではないけれど、胸が痛んだ。
幸い部屋に居れば、声を聞く必要もなかった。
助かった。

しばらくしてどうしてもトイレに行きたくなった。でも部屋から出た時に女の人とバッタリ会ってしまったらどうしようと中々出れない。ただの同居人だとしても、彼女さんからしたらいい気はしないんじゃないだろうか。
かといって生理現象を我慢できるわけもなく、ギリギリまで我慢してトイレへと向かった。
スッキリしてトイレから出れば高杉さんが驚いた顔をしてリビングから出てくるところだった。


「あっ……ごめん、なさい」
「は?なにが。つかお前バイトは?」
「えっと……今日のも早番だったから」
「ふぅん。帰ってきてんなら声くらいかけろよ」


お疲れさん、といつも通りの高杉さんにただいまが言えない。女の人は帰ったんだろうか?私が居てもいいのだろうか。
ちらりと高杉さんの間からリビングを覗こうと試みたが上手く見えない。
そんな私を怪しむように眉をひそめられた。


「なんだよ。なんかあんのか」
「なっなにも?」
「挙動不審すぎんだよ。言え」


言えるか、と思いつつなにもないよと言い部屋に向かった。


「なにもねえならなんで目をそらすんだ」
「痛っ、え、なに、なに?」


掴まれた腕が痛かった。それよりも心の方が痛かった。気に入ってるとか言われて、特別だとか思ってた。私は高杉さんにとって、その辺の人とは違うんだって。


「離して、ください」
「は?」
「離して」


こんなのはおかしい。高杉さんはなにも悪いことをしていないし、私が勝手に自惚れていただけだ。高杉さんはなにも悪くない。悪くないのに、心が痛い、痛いのだから仕方ないじゃんか。
「なに怒ってんだ?」と少し落ち着いた声が余計に私をイラつかせた。私はこんなに傷ついてるのにどうして冷静なんだって。
でもそんなのは高杉さんに関係ない。だって私はただ三ヶ月一緒に暮らすだけの存在なのだから。


「痛いから離して」
「そんなに強く握ってねえよ」
「でも痛い」
「なんなんだよお前」


溜息と共に緩んだ手から逃げるようにして部屋に入った。おい、と呼ばれたけど聞こえないフリをした。何度かドアを叩かれたけど、部屋には勝手に入らない約束だ、開けられることはなかった。
パタンと高杉さんの部屋のドアが閉まる音がして、ズルズルと座り込んでしまった。

かっこいい人だとは思っていた。迎えに来てくれたり買い物に連れてってくれたり優しい人だとも思った。
それが段々と高杉さんを知って、家にいればなにかと意識してしまった。ご飯だって高杉さんが肉が食いてえと言えばグラタンの予定で買い物してたとしても急遽メニュー変更したりもした。柔軟剤だって、本当は外国メーカーの香り強いものが好きだけど高杉さんが以前香水みてえだなって言っていたからなるべく無香料を選んでいる。

私の中で高杉さんはただの同居人じゃなくなっていたのに、どうして高杉さんの中ではただの同居人のままなのだとか。そんなことを思ってしまった。


「他の人に触った手で触らないでほしい」


先ほど掴まれた腕をぎゅっと抑えて気づいた。
あぁ私、好きなんだ、あの人が。
だからこんなにも気に食わなくてこんなにもいじけているのだ。

高杉さんの中で私はただの同居人なのだから、仕方がないことだと言い聞かせてみても全く納得できない。勝手に好きになったのだけど、高杉さんだって思わせぶりな態度を散々とっていたんじゃないか?惚れた私だけが悪いのか?

そんなことを考えていれば夕食の時間になってしまった。こんな状態でお腹が空くわけもなく、そのままベッドに突っ伏した。高杉さんだって私があんな態度を取ったのだから一緒にご飯なんて食べる気にならないだろう。
瞼を閉じていれば自然と眠気がやってくる。そのまま私は少し眠りにつくことにした。



ガシャンという音で目が覚めた。この家で大きな物音なんて初めて聞いた。慌てて部屋から飛び出しリビングへと向かえば、高杉さんがキッチンに立っていた。そして鍋が噴き出している。


「高杉さん…?」
「あぁ、起きたか。飯作った、食え」
「え?高杉さんが?」
「当たり前だろーが。お前が作らなきゃ俺が作るだろ」


具合悪いんだろ?と続けた高杉さんの手元には粥の作り方と書いてある紙が置いてある。シンクには使い終わったのかおたまやらまな板、包丁などが突っ込まれていた。


「薬も必要なら買ってきてやるけど?」


野菜ジュースも飲んでいいぜ、なんてコップに注いでくれる。そんな姿に目をパチクリさせてしまった。誰だよお前、本当に高杉さんか?


「私、元気だよ」
「なら身体じゃなく精神的に疲れてんじゃねえの?」
「どうして」
「泣きそうな面してたじゃねえか」


腹も満たされりゃ気も晴れんじゃねえの?とレンゲを取り出した高杉さんに、じっとしてられなくて後ろから抱きついてしまった。だってこんなの反則だ。


「危ねえな、なんだよ」


そんな腹減ってんのか、と言われて全然ちっともお腹なんて空いてないけどこくりと頷いた。他に女の人が居てもいい、ただの同居人でもいい。あと一ヶ月、一緒にいれるならそんなことでこの人とご飯を食べないなんて勿体無い。


「片付けは私がするね」
「運ぶのも手伝え」


もうこの人が好きだと、認めざる得なかった。