隣の席の手塚くん。まともに話したことはないけれど、長くすらっとした綺麗な指から綴られる字が綺麗だなぁといつも盗み見ていた。
眠たくなるような授業も手塚くんを盗み見ることによって起きていられる。あの指に触れてみたいな、とか。そんなことを思うようになってから気づく。私は手塚くんが好きらしい。
それから手塚くん観察は授業中以外も続いた。放課後は校舎からこっそりテニス部を眺めたり、休み時間は図書室によく行くと知り私も図書室へ行ってみたり。しかし同じクラスの隣の席以外接点がない私と手塚くんが会話をすることはなかった。

「共通の話題もないもんなぁ」

今日もストーカー紛いなことをしたというのに、目が合うこともなく…。肩を落とした。朝見た星座占いは一位で、今日はなんだか良いことが起こりそうなんて思っていたけれど。
いつも通り校舎からこっそりテニス部を眺め堪能した後、昇降口へと向かった。いつか、卒業までに会話ができればいい。烏滸がましいかも知れないけど、名前を覚えてもらえたならそれでいい。チキンでヘタレな私は手塚くんに今日も話しかけることなく靴を履き替えた。そしてテニスコートの横をわざわざ通るようにして下校する。
いつもとなんら変わらない、いつも通りの1日を終えようとした時足元に転がってきた黄色いボール。ゆっくり転がってきたボールは、私の足にぶつかり回転を止めた。

「ああ悪い。それ取ってもらえるか?」

声のした方へ顔を向けて心臓が跳ねた。て、手塚くん?!なんで、どうして?!なんて慌てふためいてから冷静になる。なんでもどうしてもない、テニス部の手塚くんがテニスコートから出てしまったボールを取りに来ただけである。

「あっ、えっと、ぼぼ、ボールだよね?」

緊張の余り吃ってしまった…!
手塚くんは不思議そうに、それ以外に何があるんだと言わんばかりの顔で「ああ」と言う。こっそり見て、こっそり声を聞くぶんにはなんとも思わなかったのに、実際に目の前に本人がいて私に話しかけているんだと思えば心臓はばくばくするらしい。だって手を伸ばしたら触れてしまいそうなほど近くに憧れの人が居るんですよ、これがどうしたら冷静でいられますか!!

「…はい」

どくんどくんとこれでもかと存在を主張する心臓を抑えながら足元のボールを拾い上げ、手塚くんへ差し出す。ありがとうと言った手塚くんの指先がほんの少し私の指先に触れて、手を離してしまった。

「あっ、ご、ごめんねっ」

ポンポンと地面を弾むボール。何してるんだろう私。鈍臭いというか、なんというか。慌てて落としてしまったボールを拾おうとすれば手塚くんは持っていたラケットで器用にボールを止めた。そしてボールを拾いながら「別にみょうじが謝ることじゃない」と言った。

「え…私の名前、知ってる、の?」

まともに話したことだってないのに。
先ほどよりも煩く暴れ狂う心臓は痛いくらいだ。ぎゅっと握りしめた手にはうっすら汗が滲んでいる気がする。

「みょうじなまえだろう?隣の席の」

図書室でもよく見かける、と言った手塚くんに目を見開く。気づいてたの?一度も目が合ったことないのに?
ストーカーをしているのがバレるのも時間の問題かも、と冷や汗が出る。気持ち悪いと思われていたらどうしよう。バレないようにこっそり、本当にこっそり影から眺めていたいだけなのに。あ、でも欲を言えば話したいし名前を覚えて呼んで貰いたいとか思うけど…
何も話さずに一人で赤くなったり青くなったりしてる私を手塚くんはきっと不審に思ったと思う。それでもなんて返せばいいか分からなくて、でもその場を立ち去ることも出来なくて。ただただ肩にかけたスクールバッグの持ち手を強く握った。

「…また明日」

すると投げかけられた言葉。まさか手塚くんからまた明日なんて言葉を聞けると思わなかった。あっ、と口を開いたのに、私の心臓は限界を迎えそうらしい。緊張のし過ぎで"また明日"が出てこない。そんなこんなで口をパクパクさせていれば手塚くんはそのままコートの方へ足を運びはじめてしまった。このままでは手塚くんは私を鈍臭くて挨拶もろくに出来ない奴だと認識してしまうかも知れない。
握りしめていた手へさらに力を込める。ぎちぎちに握りしめ、勇気を出した。

「て、手塚くんっ」

びくっと跳ねた肩。それは手塚くんだけじゃなく私も一緒だ。思いの外大きな声が出たことに驚かせてしまい、自分までもが驚いた。振り返った手塚くんと目が合う。肺いっぱいに届くように大きく息を吸って「明日から挨拶してもいいかな?」と息を吐き出すように、溜め込んだ勇気も放出するように聞けば、手塚くんは少し驚いたように目をいつもより丸くして「ああ」と答えてくれた。
ゆっくり開いた手のひら。汗で湿っていて気持ちが悪い。

「ま、また明日!」

恥ずかしくて、逃げるようにその場から走り去る。明日からどういう顔して学校に行けばいいんだろう。変な子だと思われたかな?どうしよう。でも名前を知ってもらえてたこと、存在を知ってもらえてたことが嬉しくて、不安になったら喜んだり、この日は家に帰ってからずっと落ち着かなかった。やっぱり手塚くんが好き、そう自覚したある日の放課後だった。

近づきたいのです